90年のW杯は史上初めて2大会連続で同一カードの決勝となった。 (C)Getty Images

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 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1990年の第14回大会だ。

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●第14回大会(1990年)/イタリア開催
優勝:西ドイツ
準優勝:アルゼンチン
【得点王】サルバトーレ・スキラッチ(イタリア):6得点

 セリエAが黄金期を迎えていた。

 当時欧州には3大カップが存在し、チャンピオンズカップはミランが連覇、カップウィナーズカップはサンプドリア、UEFAカップはユベントスが制し、イタリア勢が独占していた。

 1990年、世界最高水準のリーグが繰り広げられるイタリア・ミラノのスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで、ワールドカップは華々しく開幕した。ピッチ中央には巨大なサッカーボールが据えられ、その周りでレオタード姿の少女たちが舞い、外周をフェッレ、バレンチノ、ミッソーニ、ミラ・ショーンがデザインした大陸別の衣装を身にまとうモデルたちが颯爽と行進した。

 華麗な演出の開会式の後には、大番狂わせが待っていた。開幕戦で前回優勝のアルゼンチンの相手に選ばれたのはカメルーン。並外れた身体能力と荒さを兼備し、まず61分にカーナ・ビイクが退場した。ところがその6分後には、オマン・ビイクがマークする相手より半身長近く跳ね上がる常識破りのヘディングで先制。カメルーンは、終盤さらに退場者を出し最後は9人で戦うことになるが、アルゼンチンを下すショッキングな幕開けを演出した。

 グループBでアルゼンチンを抑えて首位通過したカメルーンは、ラウンド(R)16でも、38歳ロジェ・ミラの活躍などでコロンビアを下し、アフリカ勢最高のベスト8まで勝ち上がる。それはフットボールの未来を照らす数少ない前向きなエピソードだった。

 だが反面、両チーム合わせて2枚のレッドと4枚のイエロー、また左足首の故障もあり精彩を欠くディエゴ・マラドーナ…、開幕戦は大会の行方を示唆していたとも言える。
 
 追い込まれたマラドーナは、この大会でも「神の手」を使った。2戦目の相手はソ連。開始早々のCKからオレグ・クズネツォフのヘディングシュートが枠内に飛ぶ。GK不在の位置でネットを揺するはずのシュートを跳ね返したのが、カバーに入っていたマラドーナ、つまり「神の手」だった。

 大会の分岐点とも言えるファウルだった。もしエリック・フレデリクソン主審が反則に気づいていたら、ソ連にPKが与えられ、決定機阻止のマラドーナにはレッドカードが出ていたはずだ。ところが「神の手」は再び看過され、アルゼンチンはソ連を2−0で下してR16へと生き残る。開幕戦で金星を献上したアルゼンチンは、その後マラドーナの神通力と幸運を味方に、今度は次々に番狂わせを起こしていくのだった。

 大会前年には「ベルリンの壁」が崩壊したので、フランツ・ベッケンバウアー監督と西ドイツにとっては、これが最後のワールドカップだった。2年前に地元開催の欧州選手権準決勝でオランダに敗れ、必ずしも西ドイツは大本命ではなかった。しかも初戦の相手は、タレントの宝庫だったユーゴスラビア。最大限に危機感を募らせ「この試合にピークを持ってきた」とギド・ブッフバルトは振り返る。

 序盤から飛ばす西ドイツは、この大会で10番を背負いキャプテンを任されたローター・マテウスが左右の足で鮮やかに2ゴールするなど、4−1で快勝。チーム内の不安げな空気は一掃され「これならどことやっても勝てるぞ」とテンションが上がったという。