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僕らは、多分、信頼されている!

行ってまいりました「Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project」へ。そこには手を叩いて爆笑するエンタメ精神あふれる第1部「REALIVE」と、新たなアイスストーリー4th「WHITE...」へとつながる前日譚「Prequel:Before the WHITE」のみを演じる第2部という、驚くような展開が待っていました。固定観念の外にある、そう言ってもいい構成でした。

第1部「REALIVE」は想像を超える楽しさではありましたが、その時点では想像通りのものでもありました。これまでに演じたプログラムをストーリーから解き放たれた状態で再度演じる。ある意味でベスト版であり、わかりやすい楽しさがあります。こういうものが2部構成で2時間くらいつづくのだろう、合計で10演目くらいあるのだろう…最大公約数的な感覚で言えばそんな相場感覚で想像していました。で、その終わりに、いわゆるアンコール的な部分で、告知映像として4thの開催が告げられるであろうと内心で思ってこの舞台に臨んでいたもの。

しかし、第2部として用意されていたのは、まさかの4thの前日譚、休憩ナシで25分にも及ぶひとつながりの大演目でした。これが4thの予告ならば、この大演目を最後のアンコール部分でやるなんてのは無理筋ですし、「REALIVE」部分で全部を出し尽くすわけにもいきませんので、結果として2部構成のように見えているということなんだろうと思いますが(※REALIVEはアンコール相当のSEIMEIまで含めてキッチリ締まりました)、まさかこんな異例の構成で臨んでくるとは。想像を超えるだけでなく、「そういう形で超えるか」と超え方自体にも驚かされる、衝撃的な時間でした。

そうした異例の構成で「Prequel」を演じたこと。そこには作り手からの熱い信頼を感じずにはいられません。ものすごくザックリ言うと、作り手は「飛ばすぞ。ちゃんとついてこいよ」と言っているわけでしょう。初日公演の「Prequel」後に羽生氏自身もアイスストーリーが難解であることを認め、「Prequel」についても噛めば噛むほど味が出るという話をしていました。過去の公演を振り返っても、初見でアイスストーリーを理解するのはなかなかに難しく、数公演を見て、何度も録画で再視聴して、それでようやく「自分なりにはこう思うことにした」というところにいくのがせいぜいで、いまだにGIFTもRE_PRAYもEchoesも理解できた気持ちにはなっていません(※だからこそ何公演も見たくなる)。そこを羽生氏も察してか、アイスストーリー前の情報出しはじょじょに大胆になり、Echoesではほぼ本編と同じテキストが書かれた原作小説が公演前に刊行されました。そのときは僕も「さすがにこれなら初見でわかるだろう」と思ってEchoes初日に臨んだものですが、「それでもわからん」だったのは過去記事などでご承知の通りです。

羽生氏の思考であったり哲学であったり表現であったりはどんどん進化しています。よりハイコンテクストになっていたり、より前提となる知識が必要になっていたりするかもしれません。ただ、そこで「もうちょっと簡単なヤツにするか」となったらおかしな話です。作り手は歩みを止めず、自分の表現を追求すべきです。どんどん進化していく自分と、その進化の方向が心の内面にどんどん潜航していくような傾向と、その結果難解になりかねない作品性との調和を図る手法のひとつとして、この「Prequel」があるのではなかろうか、そんなことを思いました。物語の筋云々という断片ではなく、今追求している表現手法だったりテーマだったり、最終的にどういう形になるかという全体像を大胆に提示することで、羽生結弦の「今」を追いかけられるようにしてくれているのが「Prequel」という手法なのかなと。速いマシンに後ろからついていくことで走りの感覚を学ぶようなことができるような、新作映画公開前に金曜ロードショーで前作が放映されるような、そんな感覚で僕はこの「Prequel」を受け止めています。

そして、思うのです。

前日譚とは言え「4th」をここまで見せるのか、と。

ならば、相当飛ばすんだろうな、と。

なるほど、アイスストーリーの名を冠する公演を本拠地宮城の2公演だけに絞ることには大いなる違和感を覚えていましたが、これは聖地に集うファンに宛てたメッセージだったんだなと思いました。プロローグがその後のアイスストーリーにつながる実験であり序章であったように、この公演もプロ2.0とでもいう新たな次元への序奏なのでしょう。のちに振り返ってみればきっと、「確かにあのときからつながっている」と思えるものになっているのでしょうが、それを現時点で受け止めるには熾烈なチケット争奪戦を勝ち抜いて聖地に集うくらいの情熱があったほうがいい。誰かれに言っているのではなく「飛ばすぞ。ちゃんとついてこいよ」と言える相手と見込んでそう言っている。それが距離も風も狭き門も乗り越えてきた聖地に集う人たちなのだと。そんなことを思うと、今回はだいぶチケット取りに苦労した僕なども「ちゃんとたどり着いたよ」と胸が熱くなる思いがするのです。燃えるように、たぎるように、4thの始まりを感じています。ホント、第1部の途中でチケット争奪戦をいじられたときに大爆笑できたぶんも合わせて、簡単にチケット取れなくてラッキーだったなと思いましたよね。苦労したぶん情熱がさらに大きくなるって感じで!僕のなかではもう4thは始まっています!

↓そんなことで、ここから「REALIVE」公演の感想など記録していこうと思います!


↓現地の雰囲気を動画でまとめておりますので、先に動画でご覧ください!




まずは第1部の「REALIVE」から。こちらはもう本当に楽しくて盛り上がって大興奮のエンタメでした。公演全体をDJユヅル的なキャラがラジオ的に束ねるイメージで、過去の公演の音声や映像がミックスされて次々に思い出を刺激してきます。演じられる演目もワーキャー盛り上がるバトル系あり、緊張感漂う競技会的なものもあり、しっとりと胸に迫るバラード系あり、最後にはアンコール相当のSEIMEIもありと、濃厚圧縮の「羽生結弦全部入り」のような構成です。

冒頭、新衣装で演じる「MEGALOVANIA」。映像並べての細かい比較などはしていませんが、メンテナンスを経た動きは「あれ?サンズ前より強くね?」「こんな攻撃あったっけ?」「ヘランジは回避不能!」と感じる進化版です。これはハート(自分)も真っぷたつに斬られるわけです。レコード盤を模した映像演出で召喚された「Mass Destruction -Reload-」と合わせて、初っ端からブチ上がる流れで、盆と正月もしくはハンバーグとエビフライが一緒にやってきた気持ちになります。こんなにワーキャーなれる演目がプロ以降に生み出されているって、改めてすごいことだなと思います。いやー、召喚器撃つときの表情もメンテナンスされてるなって思いましたよね!

つづく演目はアイスストーリーで直接演じられてはこなかった久々の「Otonal」。この演目にとっても記念日であろう2019年のスケートカナダで総合得点での自己最高を記録した日付を表示したうえで演じるあたり、そこに6分間練習があったりプーさんがいたりはしませんでしたが、競技会のような緊張感をこの公演にもたらすサプライズでした。このOtonalを踏まえて、つづく幕間の映像演出での「メンテナンス期間に私も頑張る!」「ダイエットしてホソナル!」「フトナルになりました…」の界隈状況を踏まえたフトナル落下ネタを見ると、「さっきまで8bitのMEGALOVANIAだったのに何で着替えたし!」などとは言えないですよね。どっちで先にOtonal登場が決まったのか機会があれば聞いてみたいところです。

チケット争奪戦ネタなど数々の大爆笑が巻き起こったトロッコ問題の映像演出を経て、画面には8bitの鶏蛇様が登場。そしてリンクでも「鶏と蛇と豚」が演じられます。この公演ではステージはありませんが、終盤の倒れ込んで演じる場面はスポットライトで魅せました。あそこも込みで鶏蛇様であるけれど、あのステージを毎回組むのも大変…というところを上手く解決して、今後の再演にも期待が掛かる、そんな「REALIVE」ならではの演目となりました。

プロ転向以降の道のりを日数のカウントともにたどりながら「REALIVE」は終盤へ。これまでの3つのアイスストーリーのバランスを取るように、GIFTから「あの夏へ」、Echoesから「Utai IV〜Reawakening〜」を蘇らせます。録画した映像を見るとUtai IVでは画面全体が発光しているのですが、現地で見ると足元だけが一筋の青い光を帯びていて、それがとても美しくて、肉眼ならではの体験もさせてもらいました。その衣装のままSEIMEIが始まり、さらに「ありがとうございました!」で退場していったのには驚きもありつつも、すべてを終えてみれば納得の締めでした。REALIVEとしては、アンコール相当のものとしてのSEIMEI(※原点の「プロローグ」から引いたということのよう)まで演じて一度締まり、第2部からは内容が切り替わったものを見せる、そんなことだったのかなと思いました。



さて、40分間の休憩を挟んで第2部の「Prequel:Before the WHITE」です。まったく未知の状態から始まった、アイスストーリー4th「WHITE...」の前日譚であるというこの演目。まったく何もわかりませんし、想像もついていないのですが、いろいろ考え始めたいなと思います。まず全体としてこのストーリーの核となる部分に「色」があるというのは間違いないのかなと思います。

冒頭、黒い世界のなかに白い光が浮かび流れるような場面から始まり、モノトーンの衣装をまとった羽生氏(主人公)がリンクにいます。光の明滅とともに、歩くような動きを、さまざまな方向に示すのは時間の経過でしょうか。そこに、傷ついた何らかの球体から赤(マゼンタ)の雫が落ち、やがてリンクには青(シアン)、赤(マゼンタ)、黄(イエロー)の渦が生まれ、世界に色が付き始めます。公表された楽曲名やグッズ名からするに、これは色の三原色ということなのでしょう(※光の三原色RGBではなく、色の三原色CMY)。いつしか映像中の主人公も青い髪となって色づき始めました。

白と黒の世界で、主人公を身に宿しているのであろう羽生氏と、主人公の幼い姿のような影とが歩みを進めていきます。重なる楽曲は「Before the WHITE」と名づけられています。その後の「Magenta Paradox」など含めて、原摩利彦さん(※映画「国宝」の音楽で知られる)がすべて書き下ろしたという楽曲群も色を主題とする様子が見受けられます。マゼンタには戦いや痛みの色合いもありそうな音色です。マゼンタをまとった世界で、主人公は長くリンクに横たわると、その間に映像では別のキャラクターとの出会いが描かれます。氷のような結晶のようなそのキャラクター…グッズの一覧から見ると「kaku」と呼ぶようですが、kakuと一緒に旅をするような姿が描かれます。もしかしたらこの公演でのセンターハングのモニターが単純な4面ではなく、八角形の角ばったものだったのは、最後にこのkakuを想起させるためだったのかもしれないなと思いました。

その後映像に広がった黄(イエロー)の世界は、ふたりが旅した場所なのか、目指した場所なのか。まだ理解が及ぶまでには時間がかかりそうです。つづく世界は水のなかにあるかのような青(シアン)の世界で、キャラクターたちはそこで鳥居のようなものをくぐり?、狛犬のようなものの前を通って?、坂道のような階段のような道を進んでいきます。あるいはイエローの世界の水底にシアンの世界があり、イエローの世界に浮上したいということでしょうか。映像演出を見ても、ふたりのキャラクターが同じ場所を同じときに旅しているのかは判然としませんし、楽曲もシアンを冠するものではなかったので、シアンの世界についてもまだまだ謎は奥深そう。

その後、リンクには白く長い布が垂れてきました。主人公はその何本かを四方に広げます。初日公演では引っ掛かっていましたが、2日目公演を見るとやはり四方に広げるのが狙いのよう。コメントでは「風のイメージ」「風に切り裂かれながらも」「巻き込まれずに」「自分の意思で突き進む」といったイメージであるようです。主人公はその布をくぐったり、またいだりして抗う様を演じます。「もし布を踏んでエッジに噛んだら…」と少し怖くなるような場面でしたが、だからこそその強さも表現されるのでしょう。

そして、ふたりのキャラクターたちは出会い、向き合い、主人公がkakuに手を差し伸べると、リンクには雪のようなものが降り始めました。映像ではkakuが砕け散っています。そのカケラのようなものを拾って、リンク上で嘆く主人公。kakuは死んだ?のでしょうか。主人公が後ろ向きで直進し、バックヤードに消えるとスタッフロールが流れ始めました。ということは、主人公が生まれ、kakuと出会い、別れた、というのが4th以前に起きた出来事ということでしょうか。よくありそうな話で言えば、ここからkakuを探すとか、蘇らせるとか、代わりに思いを遂げるとか、まずはそのあたりから考え始めたいところ。

スタッフロール後の部分は、4th本編にリンクする部分なのかなと思いましたが、傷ついた球体に主人公が落ちるように向かっていき、黒い液体?がしたたるなかを通っていくと、すべてが消えた白い世界にたどりついています。そして、そこには美術館があるのだと言います。それが何なのかは4thで描かれるのでしょうが、美術館ということなのでやはり色についての話なのかなと思います。今はまだ何もわからない、謎に満ちた前日譚でした。

↓主人公についてまずは呼び方を教えていただけるとありがたく…!ホワイトくんでよかったでしょうか…?



さて、具体的に出てきて色名を見るとマゼンタがあり、イエローがあり、そしてシアンもあるということですが、これは「色の三原色」です。よく三原色と聞くと赤・緑・青のRGBが出てきます。今これを見ているスマホやPCのモニターもこのRGB三原色で表現されており、基本的にはこの3つの光ですべての色が表現されます。もう少し細かく言うと、人間の目には色を感じる細胞があり、その細胞は「おおよそ赤のあたりの波長を感じる細胞」「おおよそ緑のあたりの波長を感じる細胞」「おおよそ青のあたりの波長を感じる細胞」が存在し、その波長の組み合わせによって人間は色を認識しています。別に色を表現するだけならRGBの組み合わせじゃなくてもいいのですが、人間が感じられる色がおおよそRGBの3つだから、それが三原色となっているという順番です。そして、それは細胞の働き次第なので、実は僕が思っている青と誰かが思っている青は違っているかもしれない。人間が見る色とはそんな不思議なものです。

ただ、これは「光の三原色」の話であり、RGBの光を同時に見ればそれは明るい白になりますが、それを再現しようと赤と緑と青の絵具を混ぜれば黒っぽい淀んだ色になります。絵具は光を放っているわけではなく、光を反射して色がついているように見えるので、絵画や印刷物ではRGBでは多様な色は表現できません。そのように絵具で色を表現するときに出てくるのがシアン(C)・マゼンタ(M)・イエロー(Y)の「色の三原色」です。この3色は光の三原色の補色となっており、マゼンタは「赤と青を反射し、緑を吸収する」、シアンは「青と緑を反射し、赤を吸収する」、イエローは「赤と緑を反射し、青を吸収する」ようになっています。なのでマゼンタとシアンを重ねたものに光を当てると両方の色で反射される青色に見え、マゼンタとイエローを重ねると両方の色で反射される赤に見え、シアンとイエローを重ねると両方の色で反射される緑に見えるので、それを組み合わせてRGBの組み合わせのようにさまざまな色を表現するのです。世のなかの印刷物の大半はこのCMYに黒(K)を加えたCMYKの4色の印刷で表現されています。お手元の印刷物を高倍率のルーペで見れば、CMYとKの小さな点が並んでいるのが見えるでしょう。その点の大きさで反射する光の量を調整し、人間に色を感じさせているのです。

このCMYは「色の三原色」ですので、これを三色掛け合わせると、全部の光を吸収して黒になります(※実際の印刷ではそれだけだと言うほど黒っぽくならないので黒(K)のインクも使う)。実は色の三原色の組み合わせでは全部の光を反射する「白」は作れないのです(※白の印刷はそれ用の白インクで行なう)。なので、お手元の印刷物の白い部分は、基本的には何も印刷していない紙の色です(※たまに色紙に白インクで印刷していることもあるが…)。全部の光を反射して白く見える素材だから、その印刷物の一部は白く見えるだけで、そこに何かを印刷して白くしているわけではないという。ここで何を言いたいかというと、「シアン・マゼンタ・イエロー」を出しておいて公演のタイトルが「WHITE...」だというのは、ものすごく不思議だということです。だって、その三色では白は作れないのですから。

この色の三原色の視点からすると、彼らが「白」を求めるのはもう無理です。印刷物のようにマゼンタをまとい、シアンをまとい、イエローをまとってしまったら、それはやがて「黒」になるしかないのです。それはもしかしたら、大人になるということかもしれません。生まれたときは、何の色もない白紙だったものが、成長とともに色をまとい、いつしか黒に近づいていく。勝利や栄光は素敵な色を与えてくれるけれど、それをまとうごとに身体は重くなり淀んでいく、本当に純真無垢だった子どもの頃には帰れなくなっていく。そんな世界観のなかで、「生まれたままではなくなった黒の人が、再び白を求める物語」であったなら…何だか色が物語になりそうな感じがしてきました。

そしてkakuというキャラクターも「色」という点では気になる存在です。彼はそもそも「色」をまとえるのでしょうか。形からすると水晶のような、氷のキューブのようなものに見えますが、だとしたら彼は「透明」なのではないでしょうか。公表されたキーホルダーのグッズ画像を見ると、緑のような紫のような黄色のような色がグラデーションでついていますが、キラキラした透明なアクリルブロックとかにほんのり色がついているように見えます。あるいは色がついているのではなく、そういう風にキラキラしますよ、という話でも不思議はないなと思います。

通常、こうした透明素材に印刷するときは、一度白の顔料で白を印刷し、その上にCMYKの4色で印刷をします。もしかしたらkakuは「白」を求めていたのかもしれない。白を求めてたくさんの色を渡り歩き、ただどの色も彼を通過するばかりで白にはなれず、最後にたどり着いたのが「砕ける」ことだったとしたら。氷は光を透過させて透明に見えますが、細かく砕けば光が乱反射して白い雪のようになります。白を求めたkakuが白くなるために、砕けることが必要だと考え、それを実行したとしたら…そのとき傍らにいた主人公は何を感じるでしょう。絶望のなかで黒く沈み、やがて同じように砕けてしまうのではないでしょうか。そして、もしその先に白い世界があったなら、今度こそは生まれたままの白紙でなくとも、白に戻るために砕けるようなことをしなくても、「白」に至れる方法を探すのではないだろうか。それは大人になった人、成長してきた人、それがゆえに黒に近づいた人が、もう一度「白」に至るために、何かを知り、考えていく、そんなことだったりする?のかなと思いました。戦いのなかで傷つき、けれど戦ったことでたくさんのものを得てきた人たち、色をまとい過ぎてしまった人にも、未来を指し示すような物語だったりする?のかなと思いました。

そうだとしたら、その「白」はきっと白紙の白とは違う、生まれたままであるがゆえの白ではないのでしょう。「Prequel」は「Before the WHITE」で、美術館のある世界が「WHITE」だとしたときに、その先にあるものを求める旅が「WHITE...」だったりするのかなと。公演中の紹介のように「WHITE...」の正式な読みが「ホワイトナンチャラカンチャラ」だとも思えないので、点の部分につながる言葉や概念があり、このストーリーを受け止めることで、見る者も「そうだ、私は白いんだ」とか「もう一度、白くなることはできる」とか「白は200色ある」とか思えるようになったら、人生はひとつ前向きになるのかなと思いました。もしかしたらそこで光の三原色が出てきて、「反射するんじゃなくて自分で光るんだよ」みたいな展開とかもあり得るかもしれませんよね。まぁとにかく、色だけに、色々考えて、本編を待ちたいなと思います。こうやっていろいろ考えて、わからなくて、ときどきヒントをもらって何かに気づいて、だんだん自分の考えが深まっていくのがアイスストーリーの楽しさだったりするので、今回も噛み噛みしていけたらいいなと思います。

↓「4th」が約束されたこと、その喜びでとりあえずコチラはバラ色です!



ひととおり第一印象を書き綴っていて思いましたが、アイスストーリーのアンコールに相当する部分、あそこは「REALIVE」にしたらいいんじゃないかなと思いました。そもそもアンコールって音楽ライブとかの概念であって、物語のアンコールなんてナイでしょう。ジャッキー・チェンさんが最後につけてるのも繰り返しではなくNG集だったりしますし。今回は第1部が「REALIVE」で、第2部が「Prequel」でしたが、並び順が逆でも成立するなと。

どっぷりとストーリーにひたっていただいたあとで、そのなかに含まれているものかもしれないし、そうではないものかもしれないし、その日の「今」を感じられるような何かが行なわれる。それは新しい概念として、こうした物語公演のアンコール相当のものとして、しっくりくるのかなと。「アイスストーリー楽しんでいただけましたか?ここからはREALIVEの時間です!」みたいな流れは、極論何でもできて自由なのかなと思ったりしました。いい概念だと思うので、またどこかでREALIVEも見られたら嬉しいですね!


まだまとめていない「巡り」もあるので、次は観光部分の記録にかかります!