《日本アニメのコスプレも》アリサ・リュウ(20)はなぜ注目されるのか? 父は亡命者、4年前に“爆弾宣言”…16歳での引退に至った“本当の理由”〈在米ライターが解説〉〉から続く

 ミラノ・コルティナ・オリンピック/フィギュアスケート女子シングルス、団体ともに金メダルを獲得し、世界的スーパースターとなったアリサ・リュウ(20)。現在、アイスショー『スターズ・オン・アイス』出演のため来日中の彼女だが、米国ではどう見られているのか。関心を集めた、その“ユニークな生い立ち”とは--。在米ライターの堂本かおる氏が寄稿した。(全2回2回目/初めから読む)

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(左から)坂本花織、アリサ・リュウ、中井亜美 ©時事通信社

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父は天安門事件に関わった政治亡命者

 アリサ・リュウの父、アーサー・リュウの人生も他に類をみないものだ。アーサーは1964年、中国四川省の小さな山村で生まれている。中国の大学で学士号と修士号を取得しているが、1989年、25歳の時に中国の民主化運動、天安門事件に関わったことから祖国を出ざるを得ず、政治難民として渡米。カリフォルニア州サンフランシスコのベイエリアに落ち着いたアーサーはカリフォルニア州立大学でMBA、カリフォルニア大学の法科で学位を取得し、弁護士となった。

 アーサーは大家族を持ちたいと願っていたものの、当時すでに40代となっており、妻はさらに高齢で妊娠は望めなかったことから、匿名の卵子提供による代理母出産を思い立つ。2005年にアリサが生まれ、2年後に二女のセリーナ、さらに2年後に三つ子のジュリア、ジュシュア、ジャスティンが誕生しており、全て卵子提供/代理母出産による。

 5人の子供を抱えての弁護士業に加えてアリサのスケートが始まり、アーサーは中国に住む母親に子育て支援を依頼。母、つまりアリサの祖母は渡米して8年間、アリサが13歳になるまで5人の子供の面倒をみた。

「私は中国人に見えない」と親に質問して

 アリサは自分が卵子提供/代理母によって生まれたことを8歳で知ったと語っている。「両親はともにフルで中国人なのに、私はそう見えない」ことを親に質問したのだと言う。以後は「これが自分の家族なのだ」と考え、自分は「ハーフ・チャイニーズ」だとも言っている。4人の弟妹との仲はとてもよく、まだ狭い家に暮らしていた時期は2段ベッドを5人で共有して夜中まで寝ずに遊び、それがとても楽しい思い出だと語っている。

 アリサは「母親がいない」としてネット上で悪し様に言われることもあったが、アーサーの妻はアリサにとって血縁はなくとも母親であり、父との離婚後も「私たちと縁を切ることはなかった」と言う。ただし祖母と同様、母親もメディアに登場することは一切ない。ミラノ・コルティナ・オリンピックでの金メダルの瞬間も、父アーサーと4人の弟妹は会場のスタンドで応援していたが、母親の姿はなかった。

 アーサーは、アリサが2022年の北京オリンピックに出場した後のインタビューで、中国政府からの干渉があったことを語っている。FBIから、自分と娘が「中国政府の指示によるスパイ監視の標的」になっていると連絡を受けて、「米国五輪委員会の職員を名乗る男から電話があり、自分と娘たちのパスポート番号を尋ねられた」と語っている。アーサーは「アリサがウイグル族に対する人権侵害に関してインスタグラムにメッセージをポストしており、それを中国が把握している」と告げられたとも語っている。

 事態を憂慮したアーサーは、北京での競技中は厳重な警護を付けることを米国国務省と米国五輪委員会に確約させた上で、アリサを北京に送った。ただしアリサを萎縮させないために、アリサ本人には何も告げなかった。いずれにせよ、アリサにとって北京オリンピックは祖国への初めての訪問であり、ファンやメディアからは暖かく迎えられている。

父への複雑な感情、コロナが転機に

 自分の人生のあらゆる面に深く関わってきた父アーサーに対して、アリサは複雑な感情を抱いているようだ。

 5歳で初めてスケート靴を履いた瞬間から、そのスピード感に魅せられたアリサは熱心に練習した。やがて大会に出るようになると通学が難しくなり、6年生(日本の中学1年生に相当)からはホームスクールとなった。オンライン授業を主とするホームスクールはADHDを持つアリサには合わず、苦痛だった。

 当時の大会での演技の動画を見ると、アリサは不思議な感覚にとらわれると言う。そこで滑っているのが、まるで自分であって自分でないような。変化のない自宅・練習場・大会の繰り返しで、どの大会が、いつ、どこで、といったはっきりした記憶もないと言う。

 2020年になると世界中がコロナ禍に見舞われた。アリサにとって、奇しくもこれが後のターニング・ポイントにつながった。アリサはコロナ禍によって初めての「休暇」を手に入れることとなったのだった。当時のコーチはアリサに1日たりとも休みを与えず、アリサも練習を休むことで「ジャンプができなくなる」のを恐れていたと言う。

北京五輪後に引退を決意した理由

 何日もリンクに行けない日々に最初は戸惑ったものの、やがて「これ、いい!(I love it!)」から「もう滑りたくない」となった。なぜなら、そもそもアリサは大会で競い合うことに関心がなく、滑ることへのモチベーションを持てていなかったのだ。

 しかし、この時も周囲の大人が手はずを整えてしまった。アリサは故郷カリフォルニア州を離れ、コロラド州にあるオリンピック・トレーニングセンターに独りで住むこととなったのだった。センターから近くにある練習場までUberで往復する日々。しかもコーチは自宅にいて、リンクにはアリサただ独り。14歳の少女にとって4人の弟妹に囲まれてのにぎやかな暮らしからの変化は、どれほど辛かったことだろうか。

 やがてコロナ禍は終わったが、相変わらずプログラムの曲、振り付け、衣装、ヘアメイク……アリサには何の決定権もなかった。これら全てが重なり、アリサは北京オリンピックを終えた後、16歳で引退を決意し、誰にも相談することなく決行したのだった。

復帰を喜んだ父に「腹が立った」

 金メダル後のローリングストーン誌のインタビューで引退と復帰についての父アーサーの反応を質問された際、アリサは厳しい答えを返している。曰く、復帰した時、「父は喜んだ」ことに「腹が立った」。なぜなら引退した時に「父は怒った」から。アリサは父について、「よくもそんな態度が取れるよね」とさえ言っている。かつ復帰後は、父はアリサのスケートに関わっていないとも語った。これについて父アーサーは「少し傷ついた」と、『60 Minutes』のインタビューでやや自嘲気味に答えている。突然の引退/復帰の発表をおこなった時、父と娘の間でどんな会話(議論もしくは口論)があったかは、当人たち以外に知る由はない。

 しかし、アリサは父を尊敬もしている。自分がこれほど自立した人間なのは「父が私をそう育てたから」、加えて父は世間の常識にとらわれず、勇敢だとも語っている。また、自分が社会的、政治的な意見を持ち、時にはデモにすら参加するのも父の影響だと説明している。あるインタビューで、アリサは今は「大変な時代」になっているが、「どの政府もそれぞれ問題を持っている」と、暗にアメリカと中国について語っている。

 そんなアリサは「RAD DAD」と大きく書かれたTシャツ姿の写真をインスタグラムにポストすることもしている。RAD DAD(radical dad)とは、子供と積極的に関わる“クール”な父親を指すスラングだ。

引退後、充実した生活を送っていたが…

 いったん引退を決めると、アリサは人生をとことん楽しんだ。免許を取り、友だちと出かけ、弟妹と遊び、旅行にも出掛けた。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に進み、心理学を専攻した。しかし引退から1年9カ月目に、あることが起こった。

 生まれて初めてのスキーに挑戦したアリサは、滑る際のスピード感からのアドレナリン・ラッシュを感じた。その感覚を再度、味わいたく、旅行後にスケートリンクに行った。滑った。楽しかった。またリンクに戻った。もっと滑ろうと思った。やがてアリサはコーチに電話し、復帰を相談した。

復帰に際してアリサが望んだこと

 復帰に際してのアリサの要求は、プログラム、音楽、衣装、ヘアメイクのみならず、練習の量から食事内容に至るまで自己決定するというものだった。いったんは電話を切ったコーチは、考えた末にアリサの復帰を引き受けた。コーチは、引退前のアリサは「全力を尽くしていたが、そこに目的意識はなかった」と言い、現在の練習は「私がアリサにこうしなさいと指示することは決してなく」、アリサとの「話し合い、共同作業」だと言う。

 こうして引退から2年経った2024年3月、18歳となっていたアリサは現役復帰を表明した。そこから10カ月で全米選手権2位、世界選手権優勝、翌2026年の全米選手権2位と、奇跡の復活劇を遂げた。そして、ミラノ・コルティナ・オリンピックにて金メダルを獲得した。アメリカにとって実に24年ぶりの女子シングルス金メダルだった。

 コーチは「天才という言葉はあまり好きではない」と前置きした上で、「アリサはタイガー・ウッズ、セリーナ・ウィリアムズ、シモーネ・バイルズといった偉大な選手たちと肩を並べる存在だと本当に思います」と語っている。

 オリンピック翌月の3月、アリサは世界選手権に出場する予定だった。しかしアリサは欠場を決めた。代わりにニューヨークでの雑誌撮影をこなし、パリでのファッションショーに出掛けた。瞬間瞬間を楽しむとともに、“セレブ”は楽しいだけではないことも学んだ。パパラッチに追われ、常にファンに囲まれる不自由さも知った。

 アリサのインタビューを聞くと、いかにも20歳なZ世代ファッション、朗らかで快活な話し方の中に、驚くほどの成熟さが滲み出ていることに気づく。15年間のスケート人生、父親との葛藤、まだ子供だったアリサがその存在を知る由もなかったスケート界の「偉い人たち」による決定、そうしたことに気付いて人生をやり直す覚悟での引退、自分自身の模索、そして「もう引退はしない」と決めての復帰。通常の20歳がおよそ経験し得ない濃密な人生を歩んできた故だ。そのアリサは今、アスリートのメンタルヘルスについても語り始めている。

ADHDの公表

 アリサは、自身のADHD(注意欠如・多動症)について明らかにしている。ホームスクールだった高校時代に145もの宿題を提出できていなかったことから診断を受け、ADHDとされた。

 しかしアリサは、自分のADHDをネガティブには捉えていない。今は演技に使う曲、振り付け、衣装のアイデアが溢れるほど湧いてくるが、一つのプログラムにまとめ上げるまでジグザグに迷走し、完成がギリギリになる。家族と呼べるほどの絆で繋がっているコーチと振り付け担当者はそんなアリサを理解し、アリサと共に葛藤する。

 競技中にミスを犯した時でさえ、それを楽しめてしまうのはADHDゆえだとアリサは考えている。スポーツメディアESPNのインタビューで以下のように語っている。

〈「私はADHDで、予想外の状況が大好きなんです」

「ドーパミンがバーッと出るんです。ちょっとしたミスでも、それを乗り越えるのが好きなんです」

「競技でミスをするのは理想的ではないけれど、ミスをしてしまった後も脳内でドーパミンが分泌され続けて、『次はどうしよう? ここにコンビネーション・ジャンプを追加しなきゃ』って考えなきゃいけなかったんです。ちょっと楽しかったし、いい挑戦になりました」〉

 そして今、アリサ・リュウは日本とアメリカをツアー中だ。優勝を競い合う大会ではなく、おおらかに滑ることができるエキシビションだ。競技大会については、アリサはこうポストした。

〈「See yall next season!!」(みんな、来シーズンに会おうね!!)〉

(堂本 かおる)