ボイコットの前には“伏線”が…伊原監督の酷すぎる一言にプッツン「オメエの方が使えねえんだよ!」【山武司 これが俺の生きる道】#74
【山粼武司 これが俺の生きる道】#74
【続きを読む】ケンカ別れした伊原監督から“まさかの誘い”も「何を今さら」と断った
2004年4月28日、伊原春樹監督と激しく衝突した。理由は地元であり古巣のナゴヤドームで開催された試合(西武戦)でスタメンを外されたこと。伊原監督には「名古屋の試合だけはスタメンで使ってください。頑張りますんで」と再三お願いしていたし、この日に限って地元の関係者を200人も招待していた。それだけにショックは大きかった。
監督室で口論となり、「帰っていいぞ」という監督の言葉に「そうさせてもらいます」と言って帰宅。翌日、スポーツ紙には「試合前練習をボイコット」と書かれた。
実は、この1週間前にも伏線があった。谷佳知とルーズベルト・ブラウンがケガをしていたこともあり、20日のダイエー戦でシーズン初の4番(DH)に座った(4打数1安打)。しかし、翌21日にブラウンが復帰すると、何の説明もないままスタメン落ち。疑問と怒りがこみ上げた。
伊原監督と口論した翌29日には「懲罰二軍落ち」が決定。球団は「微熱による体調不良のため登録抹消」と発表したが、スポーツ紙にはすでに「起用法に不満爆発」と書かれ、体裁を取り繕う姿勢がバレバレだった。
同じ時期、起用法をめぐって伊原監督と対立していた左腕投手の具台晟(ク・デソン)も「懲罰」で登録抹消。しばらくファーム漬けになっていた。一方で、俺は10日後にあっさり昇格。5月9日のダイエー戦、10日の近鉄戦では2試合連続ホームランを打った。
自分の中では打撃の調子も悪くなかった。そんな感覚に反し、ベンチを温める試合が増加。本塁打を打ったのは8月8日のダイエー戦で寺原隼人から打った4号が最後だった。
試合に出してもらえないフラストレーションはたまる一方。モヤモヤした夏を過ごし、9月5日、8月15日以来のスタメン起用となった。珍しく一塁を守ったこの試合では4打数1安打。ところが試合後、二軍行きを告げられた。
打撃コーチの河村健一郎さんに「何で二軍なんですか」と聞くと、「分からん。監督に聞いてくれ」と言われた。伊原監督のもとへ理由を聞きに行くと、こう吐き捨てた。
「使えねえから、いらねえんだよ」
頭の中で何かが「プチン」と切れる音がした。
「使えねえ?…オメエの方が使えねえんだよ!」
このとき俺は35歳。プロ18年目のベテランだった。チームは夏場以降、最下位を独走。9月は事実上の消化試合だった。来季以降を見据え、若手に経験を積ませる方針にシフトすることぐらいは俺も理解していた。
だから、そこで伊原監督が「消化ゲームだから、若手を中心に使いたい。悪いけど二軍に行ってくれないか」と説明してくれたら、俺もすんなり納得しただろう。それを「使えねえ」のひと言であしらうのは酷すぎる。
「言葉だけでも『若手を使いたいから』と言ったらこっちも気が済むのに、何で言わないんですか。ベテランがこういう扱いをされたとき、どんな気持ちになるか、監督は分からんのですか?」
俺がそう聞くと、監督はナント、こう返したのだ。
(山粼武司/元プロ野球選手)
◇ ◇ ◇
次回は、話がボイコット後に戻り、伊原監督と最後に交わした会話について。伊原監督から「まさかの提案」を持ちかけられたそうだが…。プロ野球ファンは関連記事【続きを読む】…から要チェックだ。
