県民の海の足 南海フェリーの歴史を振り返る【徳島】
50年以上にわたり、県民の海の足として親しまれてきた南海フェリー。
その歴史を振り返ります。
こちらは開業当初1975年の映像。
最初は小松島港から発着していました。
以降50年以上にわたり、徳島から関西への交通手段として県民に親しまれます。
当時の関西への交通手段はほとんどが海路。
旧国鉄の小松島線を乗り継ぎ、南海フェリーではじめて大阪へ行ったという人も多かったのではないでしょうか。
阿波踊りシーズンにはこの人出。
災害時には、命の道にもなりました。
(1995年フォーカス徳島)
「小松島と和歌山を結ぶ南海フェリーは、きのうから臨時に3往復運航していますが、依然として大混雑が続いています」
「南海フェリーは交通マヒとなっている被災地を避け、関西方面へと向かう大型トラックなどで、地震直後から大混雑が続いています」
「このため臨時に3往復増便して、1日15往復運航していますが、駐車場は順番待ちの車であふれ」
「5時間から、中には30時間待ちのケースが出るなど、フェリー会社は対応に追われています」
(記者)
「何時間待っている」
(ドライバー)
「14時間」
(記者)
「たいへんですね」
(ドライバー)
「ここしか通る道がないもんね」
1999年からは、現在の徳島港に移り1日8往復となりました。
その後の明石海峡大橋の開通、少子化での利用者の減少。
コロナ禍での外出自粛。
さまざまな荒波を乗り越え、現在まで県民にとって最も身近なフェリーであり続けました。
