肉乃小路ニクヨ「自分で自分を認めてあげればいい」は独りよがり?《承認欲求》の全てが悪いわけではなく…
ニューレディ、経済愛好家としてテレビやラジオなどで活躍する肉乃小路ニクヨさん。その知的な語り口と温かい人柄が支持され、対談依頼が増加。今では「対話おばさん」と自称することも。人見知りで、コミュニケーションが下手だったニクヨさんが、どのように「対話力」を磨いてきたのか。著書『育つ、育てる。対話力 話し下手が強みになるニクヨ式会話術』より、一部を抜粋して紹介します。
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対話を通じて、社会と人から認められる。「承認欲求」を手放さない
自らと対話し、他者と対話し、時代や社会と対話する。「その目的はなんですか?」と問われたら「幸せになるためです」と私は答えます。
「幸せとはなんなのか?」人によって定義は異なりますが、私が前著『いま必要なお金のお作法 幸せを呼ぶ40のマネープラン』(KADOKAWA)でも書いた「幸せは感じることで初めて実感できる」ということで考えると、「社会および人から自分の役割が認められていると実感する」ことも幸せの一形態なのではないかと思います。
この点に関しては「自分で自分を認めてあげれば、それでいいんじゃないの?」という意見もあると思います。
たしかに自分自身が役割を果たしていると認めてあげて、実感していればいいんじゃない、という考えもあるでしょう。また「謙虚さこそが美徳」という古くからの規範にあるように、承認欲求という言葉が「悪」であるという考えは今も根強いです。
昨今では「私らしく」「人がどう言おうと構わない」ということを重んじる風潮もあります。
「もう一人の自分」は甘やかし役ではない
ただ、敢えて問いたいのですが、本当にそれだけでよいのでしょうか? 私は違うと思います。まず自分の中の「もう一人の自分」をつくって、自分の中での対話というのを始めてしまった私たちは客観性を内包します。
次にその「もう一人の自分」が「自分一人だけが認めている」だけの状態を「独りよがり」と判断するのではないでしょうか。その状態で本当に幸せを実感できるのでしょうか?
たしかに過剰な承認欲求というのはよくないです。ただそれが理由で全ての承認欲求を放棄するのはもっとよくないです。ではどういう承認欲求を手放し、どういう「承認欲求」を受け入れるべきかという問題になります。
私が考えるに自分の「人格」や「人間性」に関する「承認欲求」というのは無視してよいと思いますが、「役割」「職責」についての「承認欲求」は手放してはいけないと思っています。

『育つ、育てる。対話力 話し下手が強みになるニクヨ式会話術』(肉乃小路ニクヨ:著/KADOKAWA)

(撮影:西尾豊司〈Rongress Inc.〉/画像提供:『育つ、育てる。対話力 話し下手が強みになるニクヨ式会話術』KADOKAWA)
なぜなら全ての「職責」「役割」というのは自分のためだけでなく、人のためにあるものだからです。つまり「いい人」「素敵な人」に思われるための承認欲求に血道をあげるのはよくないと思いますが、与えられた「職責」や「役割」についての承認欲求にはこだわってもよいのではないかと考えます。
たとえば「XX会社の営業部の社員」としての仕事を、役割の一つとして選んだのであれば、その仕事の役割を考え、自分の中の「もう一人の自分」と対話しながら、仕事をしてみます。
それについて他人から評価されたらうれしいですよね。「役に立っている」「役割を果たせている」という実感がわき、幸せな気持ちになります。この場合は、「仕事」の役割についての評価ですから、対話相手は仕事の関係者に限定されることになります。
逆に、自分の仕事に対して批判された場合、それは「役割に対する理解度が低い」と考えることができます。その場合は、自分の特性を踏まえて、どうすればいい役割を果たせるかを考えればよいのです。
批判されても「あなた自身」が否定されたのではなく「あなたの役割に対する理解度」が批判されただけなのです。そう切り分けて、修正が必要な場合は役割を微調整していくだけです。
自分にばかりフォーカスしてしまうのが若者の性(さが)
若い頃は役割というものに意識が向いていなかったので、怒られると自分自身が否定されたような気持ちになっていました。また、褒められても私自身の全てが褒められていると勘違いしていい気になっていたことも多かったです。
どちらにしても自意識過剰。承認されたい、自分を承認してほしい、認めてほしい。全て自分と直結していたのです。
私の場合、ドラァグクイーンという仕事をしていたのも、役割と個人を切り離すのに時間がかかった理由となっていました。自分で考えたショーをお客さんに見てもらって、ダイレクトに反響を得ることができるドラァグクイーンは、個人の手柄だと勘違いしやすい仕事でもあるからです。
もっと大人になってから考えると、バックステージやスタッフの人々に支えられているからできる仕事であるということに気付くのですが、駆け出しの20代の頃はそこまで目が行き届かず、自分にばかりフォーカスしてしまいがちでした。
当時は経験不足で周囲が見えていなかったというのもあります。社会に出て、実際に自分が社会の歯車になって、支える側の役割を経験してやっと、周囲の支えに気付くものなのです。
そういった意味で社会人として、社会の歯車となる経験は貴重で尊いことだと私は考えます。
※本稿は、『育つ、育てる。対話力 話し下手が強みになるニクヨ式会話術』(肉乃小路ニクヨ:著/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
