【熊本地震10年】阪神淡路大震災と熊本地震2つの大地震を経験した女性が今、母となり思うこと
熊本地震から10年、「あのとき私は これから私は」。きょうは、阪神淡路大震災と熊本地震、2つの大地震を経験した女性です。
被災した自分にできることを探し続けて、地震から10年、いま、守りたい命があります。
兵庫県神戸市で暮らす(旧姓)圓藤沙和さん(31)。これまでに2つの大地震を経験しました。
■圓藤沙和さん「阪神淡路(大震災)の時の経験談っていうのが、自分自身にも、熊本地震の時にいくらか役に立ったんだろうな」
甚大な被害を受けた神戸で町の復興とともに育ちながらも、自分の記憶にない、震災を少し離れた出来事に感じていたといいます。
そして、牛について研究したいと、熊本県にある東海大学農学部に進学。10年前まで阿蘇キャンパスのそばで暮らしていました。
熊本地震が起きたのは、4年生になったばかりの春。
■アパートが倒壊して
圓藤さんが寝ていた下宿は1階部分が崩れ、ゆがんだドアを体当たりして開け、命からがら逃げ出しました。
「前震」の後に神戸の親戚から、携帯電話を手元に置いて眠るようアドバイスを受けていたため、すぐ周りに無事を伝えることができたといいます。
■被災した学生村
800人の学生が生活し、「学生村」と呼ばれた集落では、天井や倒れた家具の下敷きになり、同級生を含む4人が犠牲になりました。
キャンパスは閉鎖され、学生村を離れた圓藤さん。
□「あのとき私は――」
■圓藤さん「正直、地震の後は、大事なものをもう増やさんと生きていこうかなというふうに思った時期もあって」
それは、神戸で「震災を知らない世代」と呼ばれて育った圓藤さんが、身をもって感じた災害の恐怖と絶望でした。
■語り部活動
今度は自分が被災した体験と教訓を伝えたい。学生村で暮らしていた仲間と始めたのが、語り部活動でした。
■圓藤さん「神戸もそうですけど、復興していっている、していったと、20年経ってそう言えると思うんで、この町もいつか、復興できた、復興が終わった、学生が戻ってきたというふうになればいいかなと思います」
大好きな牛と触れ合うことができぬままの日々。
卒業したら、地元に帰ることを決めました。
阪神淡路大震災を知らない世代が増えた神戸で、災害の教訓を伝えることが自分の役目だと考えたのです。
■消防の防災講座
防災や減災について学んだ兵庫県教職員の専門チーム「EARTH」。
その存在を知ったことで、教師になる道を選びました。
EARTHのメンバーとして防災教育に取り組み、熊本地震の体験や災害に備えることの大切さを伝える活動をしています。
そして…熊本地震から10年を前に、もうひとつ大きな転機がありました。
■圓藤さん「自分に守るものができたとき、子どもができたときに、絶対守るためには何ができるんやろうっていうふうな考え方に変わって」
去年、長女を出産しました。
■圓藤さん「『子どもファースト』というか、何かあっても今までは自分たちだけで良かったけど、やっぱり子どもがおる分、その子をどうやって守れるかみたいなところも含めて考えたりもするようになりました」
妊娠がわかったときに、夫と一緒に準備したものがあるといいます。
■圓藤さん「赤ちゃんもお腹空いたりしたらずっと機嫌悪かったりするので、本当に生活に一番身近に必要なものっていうのをここに入れるようにして」
また、地震が起きても子どもが下敷きにならないように、背の高い家具は置かないようにしています。
□「これから私は――」
■圓藤さん「自分が経験したこととか感じたこと、伝えたいことっていうのを伝えることができるというのが、私だからできることなのかなと思って。防災教育に行くときは、熊本の話をどこかに入れたりとかして、みんなに備えることの大切さというのを伝えるようにしています」
悲しみを知ったからこそ、守れる命がある。
母として、教師として。震災を知らない世代に伝え続けます。
