「森光子さんの楽屋に遊びに…」30年前の自分に絶句。元“天才子役”が明かす初舞台の裏側
そんな宇野さんが30代女性として等身大の思い、ちょっとズッコケな日常をお届けするエッセイ連載。今回は自身の初舞台について綴ります(以下、宇野さんによる寄稿)。
眩しくて、大人が盛大に嘘をつく舞台の上。
暗くて、ちょっとほこりっぽくて、木の匂いがする舞台袖。
どちらも大好きな場所でした。
先日、ランドセルが歩いてるような、小さい1年生を見かけました。親御さんの心配はいかばかりか、と謎の感情移入をしてしまったアラフォー、宇野なおみです。皆様、ご機嫌よう。春ですねえ。
私が初めて舞台に立ったのが小学1年生だったので、黄色いカバーがかかった小学生を見て、何やら懐かしくなり、今回はそのお話を。
ちなみに渡鬼に出始めた当初は4年生。130センチ位しかなかったので、そのころまではランドセルを背負っていると小1に間違えられておりました。かなしい。
◆初舞台はオーチャードホールのオペラ公演
児童劇団に6歳で入ったと話すと、「親御さんが入れたの?」とよく聞かれます。私も姉も、自分からやりたいと言い出しました。今思うと劇団ってお金かかるので、姉妹で通わせてもらってありがたかったです。
初舞台は忘れもしない、小学校に入りたての5月18日。オペラ『マダム・バタフライ』蝶々夫人の息子役を演じました。なお、初舞台がオーチャードホール。我ながら意味不明です。
1年生の時の学芸会は秋だったと記憶しているので、体育館の舞台に立つより、オーチャードホールや芸術座(有楽町、現シアタークリエ)に立つほうが早かったです。もう一度言いますけど、意味不明ですわね。
オペラを歌ったわけではなく、セリフは「ママー!」の一言だけ。主役の蝶々さんが抱っこするシーンがあったので、女子じゃないと重すぎるとのこと。私含めて、劇団から二人の女子が参加しました。当時、きわめて小柄だったこと、セーラームーンの水野亜美ちゃんに憧れたショートカットだったのが幸いしたのでしょう。
セリフがなくても、意外と舞台にいる役でした。お稽古に参加するうち、有名な『ある晴れた日に』のメロディと歌詞を覚えて歌い出したので、母はびっくりしたそうです。
◆6歳、初舞台、幕切れを担当する
舞台は二階建てのセットが組まれていて、二階には角度がついていました。ラストは蝶々さんが二階の舞台最奥で自害するシーンです。
この時一階にいた息子役の私は、船の中に隠されていた血のりを手にべったりつけてから、舞台端の階段を上がる段取りでした。
そして、騒ぎを聞きつけ一階の舞台に出てきたピンカートン大佐(蝶々さんを現地妻にしたアメリカ人大佐)と“本妻”に向かって、正面切って手のひらをゆっくり開いて見せつける。つまり、高くなった舞台のど真ん中で、客席に向かって手を広げるわけです。
なんと、そこで幕が下りてくる。いわゆる「幕切れ」を担当していたのでした。
……どうやってこの手順を覚えて、きっちりやりこなしていたのか、今となってはまったくわかりません。ちゃんと「ママが死んじゃったよ、どうするの?」と思いながら手のひらを見せていました。お芝居していたんですよね〜。
初舞台の6ちゃいでこんなことしてたの? 何? 天才じゃない? 他人事すぎますが、もう30年前の話ですからね。
いくつかの記憶は未だに鮮明です。舞台からまっすぐ客席を見た時、ライトがいっぱいこっちを向いていて、三階までの客席が見えたことも覚えています。映画『国宝』見た方は、舞台から見た客席とライトのカット、わかりますか? まさにあんな感じです。

