2025年(1月〜12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。ライフ部門の第1位は、こちら!(初公開日 2025/11/30)。

【衝撃画像】「かなりグロテスクな状態でした」割れたグラスが刺さり、眼球が破裂した左目を写真で見る

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 19歳のとき、アルバイト中の事故で左目をほぼ失明した、かたのめいさん。現在は会社員として働く傍ら、「片目シンガー」として活動し、今年8月にはメジャーデビュー曲「Croissant(クロワッサン)〜欠けた世界で気づけたもの〜」をリリースした。

 そんなかたのめいさんに、事故が起こった当時の状況や、事故後の左目の状態、医者から「左目は元に戻らない」と宣告されたときの心境などを聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)


かたのめいさん ©三宅史郎/文藝春秋

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居酒屋のアルバイト先で割れたグラスが左目に…

――専門学校1年生の時に怪我をされたんですよね。当時はどんな生活をされていたんですか。

かたのめいさん(以下、めい) もうすぐ2年生になる頃で、週3〜4回、学校終わりにアルバイトをしてました。留学費用や学費を貯めたかったのと、洋服にお金を使いたかったので、がっつり働いてましたね。

――アルバイト先で怪我をしてしまったんですよね。

めい 新しく居酒屋のアルバイトを始めて、入店して3日目の夜でした。終電間近で焦っていたのもありますし、私が性格的におっちょこちょいっていうのもあって……掘りごたつの席で、グラスを持ったまま足を踏み外してしまって。

 バランスを崩したときに、顔と壁の間にグラスを挟むような状態になったんです。その衝撃でグラスが割れて左目に刺さりました。さらに、壁にぶつかった衝撃で掘りごたつの中に落ちて、「何が起こったんだろう」って感じでした。

左目に光を当てられても見えなかった

――グラスが刺さったあと、左目はどうなったんですか。

めい 左目は痛すぎて開かないし、眉下あたりから生ぬるい血がたくさん流れていたので、「結構大きい怪我をしちゃったんじゃないか」って。

 そのあと、私が倒れた音に気づいた友達が「めいちゃんどうしたの」って様子を見に来て、私の姿を見た瞬間「やばい、誰か!」ってすぐに部屋を飛び出ていきました。

――救急車を呼んだのですか?

めい いや、近くに災害拠点病院があったので、タクシーでそこに行って。病院で眉下を縫ってもらいました。その後、左目に光を当てられて「見えますか」って言われたんですけど、見えなかったんです。

 そこから大きい病院に移ることになって、もうパニックでした。「そんなにやばいの?」って不安だし、痛みと気持ち悪さで嘔吐と震えが止まらないし。貧血になるくらい出血していたので、その影響もあったと思います。

医者から「もうあなたの左目は、元のようには戻りません」と…

――大きい病院ではどんな治療をしたのでしょう。

めい 目の中の写真を撮ったあと、先生から「眼球も切れてるね」と言われて。眼球が破裂してしまっていたので、まずは眼球を縫う手術をして、1週間後に今度は網膜の手術をすることになりました。

――手術後、医師から目の状態をどのように説明されたのでしょうか。

めい 1回目の手術だったのか、2回目の手術の後だったのかは不確かなんですけど……「もうあなたの左目は、元のようには戻りません」「見えるようにはなりません」と言われたんです。

 それまでは泣くと目が痛いから、泣かないようにしてたんですけど、その時はさすがにこらえきれなくて。病院のフロア中に響くぐらい、泣きわめいてしまいました。

「見た目はなかなかグロテスクな感じ」術後の左目の状態

――術後の左目はどんな状態だったのですか。

めい 見た目はなかなかグロテスクな感じでしたね。まぶたにはアザが残り、眼球には分厚い“かさぶた”のようなものができて、まるで左目が肉の塊に覆われているみたいで。さらに、手術で水晶体を取ったためか、瞳の色も変わっちゃって。自分でも目を背けたくなるような状態だったんです。

 毎日鏡で自分の姿を見て、ショックを受けてました。「大好きだったメイクは、もうできないかもしれない」「顔にこんな大きな傷がある私は、もう誰からも愛されないかもしれない」って。成人式も控えていたから、視力は戻らなくても、せめて見た目は戻ってほしかったんです。

――大きな怪我をして、不安な気持ちになりますよね。

めい そもそも日常生活を送れるのかどうかもわからず、いろんな不安で押しつぶされそうになっていました。入院中、家族や友人が毎日のようにお見舞いに来てくれたので、日中は怪我のことを忘れて過ごせたのですが、1人になると不安が押し寄せてきて……。

 当時は怪我を受け入れて前に進んでいく自信がなかったし、そもそも生きていく自信もありませんでした。

「私はみんなと一緒のステージにいないんだ」入院中に専門学校の退学を決めたワケ

――入院中に専門学校の退学も決めたそうですね。

めい もう何も考えたくなくなっちゃったんですよね。今思えば片目でも頑張れたんですけど、当時はみんなが楽しそうな姿をSNSで見たりすると、「私はみんなと一緒のステージにいないんだ」と比べて落ち込んじゃって。

 専門学校に登校するようになったら、より一層みんなと自分を比べちゃいそうだったから、一旦学校から離れたいと思ったんです。それに、怪我をする前のように電車に乗って学校に通ったり、授業を受けたりするイメージも湧かなくて。

――不安な入院生活の中で、支えになっていたものはありますか?

めい 当時ハマっていたテイラー・スウィフトさんの「Shake It Off」っていう曲を聴いてました。「嫌なものを振り払うぞ!」という歌詞なんですよ。曲を聴いている間は元気になれる気がして、リピートしてました。

退院後にショックを受けた出来事

――怪我をしてからどれくらいで退院できたのでしょうか。

めい 退院したのは、怪我から1ヶ月後です。入院中から「できるだけ下を向いて過ごすように」と言われていたので、退院後もしばらくは下を向いて生活していましたね。

――なぜ下を向かないといけなかったのですか?

めい 手術後、眼圧を安定させるために、目の中にオイルを入れていたんです。そのオイルを眼球に浸透させるために、「うつむく姿勢」を続ける必要があったんです。ただ、その姿勢を維持するのもしんどいし、ずっと下を向いているからか気持ちもどんどん下がってきて……。

 3ヶ月ほどその生活を続けたのですが、結局、目の状態がなかなか安定せず、抜くはずだったオイルは現在もそのままです。それからは、定期的に検査をしながらも“普通の生活”に戻りました。ただ、普通の生活を送るようになってから、人の目がどうしても気になってしまって……。

――怪我をした左目を見られているように感じた?

めい そうなんです。手術したばかりで、今よりもゴツくて目立つ眼帯をしていたのもあって、外に出ると周りからの視線をめちゃくちゃ感じたんですよね。専門学校に退学の挨拶をしに行ったときも、私を見てギョッとしている人が何人もいて。当時は、それがすごくショックでした。

撮影=三宅史郎/文藝春秋

2025年読まれた記事「ライフ部門」結果一覧

1位:「割れたグラスが左目に刺さり、眼球が破裂」「たくさん血が流れて…」19歳で片目を“ほぼ失明”した女性が明かす、ケガ直後の壮絶な状況
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4位:「いったいどうなっているのか…」上空から降ってきた道路がそのまま突き刺さっている“異様な光景”…四国の国道から見えたナゾの建造物の正体とは?
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(仲 奈々)