「あの時、先輩たちにジャズバンドに引きずり込まれなかったら、音楽の道に進んでいなかったと思います」(撮影:岡本隆史)

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演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第51回は作曲家・俳優の宇崎竜童さん。中学、高校とブラスバンド部でトランペットを吹いていたという宇崎さん。大学入学後、先輩にジャズバンドに引きずり込まれたそうで――。(撮影:岡本隆史)

【写真】ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成した頃

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ラッパを吹きに学校へ

白のつなぎとサングラス姿で「アンタ あの娘の何んなのさ」(「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」)と呟く宇崎竜童さんをテレビで観て新鮮な魅力を感じたのが1975年のこと。

でももっと強い衝撃を受けたのは、その3年後の映画『曽根崎心中』。純二枚目がつとめるべき平野屋手代の徳兵衛役を、いかにも女に引きずられていきそうな生身の男としてリアルに演じたのに瞠目させられた。

続いてテレビドラマ『阿修羅のごとく』では、興信所の探偵役が何ともユニークで。でも、まずは少年時代のお話から。

――年の離れた二人の姉が、ラジオの進駐軍向けの放送ばかり聴いていたんで、それを横で聴いてた私は小学校3年の時に、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」に出合うわけです。

ある日、学校でデタラメ英語の「ハートブレイク〜」を歌っていたら、同級生が生活指導の先生に言いつけて、私と母が呼ばれて叱られた。当時、代々木上原に住んでいて、戦後すぐだったから米兵たちがいわゆる《オンリー》を連れて歩いたりしてる。ロックンロールを学校で歌うなんてとんでもない、と。

でもそれから何日かした放課後、担任の若い女の先生が、「プレスリーのレコード持ってるの? 聴きたいな」って。私は嬉しくて走って帰って、姉のレコードボックスから黙って借りてまた走って持って行きました。

それを運動会で曲を流すスピーカー付きの手回し蓄音機でかけたものだから、誰もいない校庭にプレスリーの歌が朗々と流れて(笑)。この先生のことが大好きになりました。

竜童さんがブラスバンドでトランペットを吹いていたのは、中学生の時からだとか。

――ええ、ブラバン部には中学2年から入って高3まで。学校には勉強に行ったというより、ラッパを吹きに行ってたって感じですね(笑)。

で、中学の卒業式から帰宅したら、うちの前にトラックだのリヤカーだのが。何だと思ったら引っ越しでした。親父は元船乗りで、それから船具を作る事業に失敗し、庭のある家から下高井戸の新築だけれど棟割長屋みたいな借家へ引っ越したんです。

でも親父の次の就職が決まって、もう少しましな借家に住めるようになった。私はそういう時でも、まったく親の心子知らずで陽気な学生生活を送っていました。

附属校から明治大学に推薦で入れましたが、ここでもラッパ吹いてるだけの日々(笑)。入学式が終わるとすぐに、ブラバン時代の先輩たちから呼ばれました。

彼らは大学でジャズバンドをやっていて、「お前、ラッパやれ」と譜面を渡された。「初見で吹いてみろ」と言われて吹いたら、「お前うまいな、今度はアドリブでやってみろ」。

アドリブってなんですか? と聞くと、「フェイクして吹くんだよ、自分なりに崩して吹くんだ」。吹いてみたらみんなびっくりして、「お前、アドリブできるんだな」って。

私はアドリブができることをそんなにすごいことだと思ってなかった。でも、即興演奏ができるってことは作曲もできるなと、その時、急に思ったんです。ですからあの時、先輩たちにジャズバンドに引きずり込まれなかったら、音楽の道に進んでいなかったと思います。


大学時代、出会った当時の阿木さんと宇崎さん(写真提供:宇崎さん)

嫁になる人が歩いてきた

第1の転機はこのジャズの先輩たちが序奏となって、生涯の重要なパートナーとなる阿木燿子さんとの出逢いをおいてないと思う。

――まったくそうですね。先輩たちから、ジャズをやる部員を勧誘して来い、って言われて、私は校門に立ってたんです。そしたら向こうから私の嫁になる人が歩いてきた。

小学生のころから私は前世を信じていて、将来嫁になる人といつか今世で再会するに決まってる、ってガキのくせに思っていて(笑)。

やっと出逢えた!と思って声をかけたら、「私、何も楽器できませんよ」。いや、私が教えますから、って。それで御茶ノ水の部室まで電車で一緒に行って、その間に確信しました。この人が嫁だ、って。まぁ、向こうは思ってないんですけど。(笑)

デートはだいたい渋谷で会って、東急プラザで紅茶とスパゲッティ。そこから神宮球場まで歩いてベンチに腰かける。

その3回目の時に、「君と私は結婚することになっています。前世で添えなかったから今世で添う。それは神様が決めたことだから」と言ったんです。え? 向こうの返事? 「そうかしら」って。(笑)

向こうは女子ハワイアン部だったんで、私は頼まれもしないのに「エンディング、ビシッとキメよう」とかいろいろコーチみたいなこと言ったりして、帰りは横浜の彼女の家まで送って行く。

そのうち「上がってく?」って言われるように。とにかく、彼女の親に気に入られたいと思っていたので、お母さんがケーキが好きだとわかればすぐにケーキを買って持って行って。

私が18の時に出会って、25で結婚しましたから、7年くらいかかりましたかね。その間、彼女も自立して働いていました。

結婚した時の私の持ち物は、旧式のステレオと数枚のレコード、貯金が5万円くらいかな。呆れ返られましたね、ほとんどゼロスタートでしたから。

<後編につづく>