東京センチュリー社長・藤原弘治の「新事業開拓は、若者、変わり者、よそ者のYMOプロジェクトで!」
目標達成へ向けて 難題から逃げず
藤原氏は1961年(昭和36年)6月生まれの64歳。建設・土木関係の仕事をしていた父親の仕事の関係で幼少期は北海道で育ち、父親の転勤で中学2年時に福岡に移住。福岡県立筑紫丘高校から早稲田大学商学部に入学。1985年(昭和60年)に早大を卒業し、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行。
高校時代はスポーツ(水球)に熱中し、「1番を目指す」と鍛錬の日々を過ごした。大学時代は、米国に短期留学する費用を稼ぐために、築地市場で約100キロの冷凍マグロをカギ(鉤)に引っ掛けて運ぶ重労働もこなした。
目標達成には努力を惜しまない姿勢とその熱量は今も変わらない。
旧第一勧銀時代にはニューヨーク支店に赴任。そこで自分には財務や経理の知識が不足していると痛感し、自費でニューヨーク大学経営大学院の夜学に通い、MBA(経営学修士号)を取得(1993年)。その後、MIT(マサチューセッツ工科大学)でもMBAを取得するなど、頑張り屋で努力家という評判。本人は自らを「負けず嫌いの性格」と分析している。
ただ、人生は平坦ではない。時に、激しい雨風に身をさらされることもある。
バブル経済がはじけた後の1990年代後半、旧第一勧銀で総会屋への利益供与事件が発覚。当時、若手として、企画部に在籍していた藤原氏は、監督官庁の財務省への説明に当たる〝MOF担〟となった。また、海外知識が買われ、米FRB(連邦準備制度理事会)に事業説明に出向く副頭取(国際担当)に同行するなど、縁の下の仕事をこなした。
その後、金融再編が起き、第一勧銀は富士銀行、日本興業銀行と統合し、みずほホールディングスを設立(2000)、さらに2003年にみずほグループの統括会社として、現在のみずほFGが誕生した。
2017年、藤原氏はみずほ銀行の頭取に就任。金融界を代表する全国銀行協会会長も務めた。
しかし、コロナ禍の2021年2月以降、みずほ銀行では相次いでシステム障害が発生。再発防止に取り組み、責任を取る形で、2022年4月、頭取を退任した。
この時の出処進退や人柄もあって、周辺では再起を支援する声が多く、〝3年の猶予〟を経て、東京センチュリーの指名委員会からの指名を受け、今年4月、同社社長に就任というこれまでの経緯である。
シナリオプランニングで 「想定外をつくらない」
21世紀に入って25年目の今年、内外では混沌とした状況が続く。この現状況を藤原氏はどう捉えているのか?
「トランプ関税もさることながら、何て言うんでしょうかね、資本主義の副作用とも言える格差や分断も生まれて、ロシアのウクライナ侵略、中東情勢の不安定と、世界でさまざまな事が起きている。先行きの予測もなかなかしきれない。こういう世の中にあって、企業経営者としてどうあるべきなのかと、常に自らを問い直している日々です」
藤原氏は「現在の不安定な時期に一番大事なのは、想定外をつくらないことだと思うんですよ」と次のように続ける。
「これは何かというと、シナリオプランニングが大事だと。将来を正確に予測することは不可能なんですけど、何か起きた時に素早く対応するためには、さまざまなシナリオを想定しておくと。これが一番大事なことで、予想外はさておき、想定外は駄目だと思っています」
シナリオプランニングということで言えば、想定通りに物事が運ぶストライクケースシナリオだけではなく、ワーストシナリオもあり得る。
