「娘婿にモーションをかける」"女むき出し"で娘をライバル視…40代娘が70代老母の断捨離決行を心に決めた瞬間
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■娘婿に色目を使う母親
幼少時から、日常的に両親からさまざまなDVを受けてきた谷中紗里さん(仮名・40代・既婚)は20歳の時、同じ公務員でひとつ年上の男性と交際に発展し、24歳で結婚。25歳で長男を出産し、3年後に長女、その3年後に次男を出産した。
「両親(当時50代前半・40代後半)からは結婚については反対されず、かといってすごく喜ぶわけでもなく、『こんな子をもらっていただきありがたい』としきりに言っていました。きっと親は純粋に喜んでいたというよりは、親戚やご近所への体裁を繕い、自分のプライドを満たしたかったんだと思います。ずっとバカにしたように、『まだ結婚しんのか?』としつこく言われ、結婚すればしたで、『孫はまだなんか? ホントダメやの〜』と嘲笑されていたので、私自身には無意識に期待に応えなければという気持ちと、見返したいという気持ちがあったかもしれません」

結婚後、谷中さんが結婚式の写真を見せに実家を訪れると、母親は娘婿だけが写っている写真を欲しがった。
「親にとって娘の花嫁姿って感慨深いものではないでしょうか? 母親なら娘の写真を欲しがるものだと信じて疑いませんでした。これまでの多くの仕打ちから考えたらそんなワケないのは今なら容易にわかりますが、それだけ感情をマヒさせて蓋をして、なかったことにして生きてたんだと思います」
その後母親は、娘婿に会う度、デレデレベタベタ。もちろん嫉妬深い父親が不在のときに限るが。
「娘婿に色目を使って娘と張り合うとか、本当に母親なんでしょうか? ただの女ですよね? 本当に呆れました……」
■父親のがんと死
建設会社で働いていた父親は57歳になった頃から背中が痛いと言い出し、しばらく行きつけの病院で湿布をもらっていたが、なかなか良くならないため、総合病院で検査をしたところ、すぐに末期の膵臓(すいぞう)がんだと分かった。
もともと糖尿病があり血糖値がかなり高かったため、がんが原因だとは思わず発見が遅れた。すでに手術ができない状態に陥っていると父親から聞かされた谷中さんは、思いのほか大きなショックを受けた。

「あれだけ強がっていた父の弱った姿はさすがにショックで、必死で民間療法をあさりました。妹もショックを受けていましたが、兄も母もドライな感じで、1年経たずに亡くなりましたが、悲しそうには見えませんでした」
母親(当時50代)は父親の見舞いに行くたびに、弱った父親に八つ当たりされ、文句を言っていた。
「病床で苦しむ父が誰かに当たりたい気持ちもわかるので、最期ぐらい受容してあげたらいいのにと思いましたが、母は、同じ病気で入院しているよそのおじさんが、家族に対してとても気丈に振る舞っているのを見て羨ましがっていました」
谷中さんは、病院と家の往復では母親も気が滅入るだろうと思い、気分転換に買い物や外食に誘ったが、ある日父親に「誘うな」と止められる。「さすがにそれはないだろう」と反論しようとすると「あと少しだから」と言われ、何も言えなくなった。
父親が亡くなった後は、母親は葬儀などの手続きに追われパニックに陥った。谷中さんや妹が手伝おうとするが、自分のやり方を通したがり、手を出せずにいると、「誰も手伝ってくれん!」と終始イライラしていた。
何とか葬儀や納骨を終えると、母親は不眠や眼瞼けいれんなどの症状に悩まされ始めた。長年、家庭内のヒエラルキーを牛耳り、支配・管理していた父親がいなくなり、かえって心身のバランスを崩したのかもしれない。
ところが、悲しんでいた谷中さんのところに、突然「相続人」として300万円の返済を求める通知が届く。確認すると、兄、妹にも届いていた。
「父方の祖父から伯父(父親の兄)が継いだ会社を突然任され、その会社が倒産して多額の負債を抱えた後も、父は変わらず仕事後に必ずパチンコに通い、週一でボートレースをしていましたし、貧乏ながらも食べていけないほどではなかったため、返済したものだとばかり思っていました。届いた通知に驚いて母に連絡したところ、母には8000万円の通知が届いていました」
谷中さんたちは、すぐに裁判所で相続放棄の手続きを行った。父親は多額の借金のことを家族に一切語らないまま、逝ってしまったのだ。
■毒母の断捨離開始
現在、谷中さんは夫とともに、自分の実家の隣に家を建てて暮らしている。
谷中さん夫婦が「そろそろ家を建てたい」と思って土地を探していたところに父親のがんが発覚。たまたま実家の隣の土地が空いたため、父親を安心させたい気持ちと遺される母親を心配する気持ちから、夫と話し合い、実家の隣に家を建ててしまった。30代だった谷中さんはそれまで薄々とは感じつつも、自分の親=毒親だと明確に認識できていなかったのだ。
しかし十数年経過した2021年8月。ついにその日はきた。
谷中さんの家に母親が遊びに来ていて、大学生の長女と母親が手を並べ、「若いから手がキレイだね〜」と話している。そこへ谷中さんは、自分も手を並べた。
すると、パシッ! と並べた手を叩かれ、母親ににらまれた。まるで「お前はお呼びでない」とでも言うかのように。
「叩かれた手以上に、心が痛みました。孫には甘いのに、娘の私は敵。ライバルです。40代後半のオバサンと張り合う、80近いオバアサン。滑稽ですよね? 私自身は結婚後、幼少期からされてきたことを水に流し、仲良くやっているつもりでした。いい娘と思われたかったんです。でも、すべてが一瞬にして壊れました」
この日を境に谷中さんは母親と距離を置き、隣に住んではいるが、なるべく関わらないようにし始める。

その変化に気付いた母親は、結婚して車で約1時間の距離に住んでいる次女(谷中さんの妹)に電話で、「あの子が冷たくなった」と言って泣きつき、谷中さんの悪口を吹き込むようになった。谷中さんほどではないが、やはり幼い頃から母親に大事にされてこなかった妹は、谷中さんの味方だ。妹は、「そっとしておいてあげて」とたしなめるが、母親は一向に耳を貸さない。
「母は自分がないがしろにされている事実にしか関心がなく、私が冷たくなった理由を、『私と旦那が仲良すぎるもんだから、嫉妬してるんじゃない?』などとトンチンカンな想像をしているようです。80歳近いのに、まだまだ女むき出しで40代の娘と張り合おうとするなんて、正直バカじゃないの? と呆れました。この日母に、いえ、“この人”にまだ愛されたいと思っていた自分がとても惨めになり、心と身体が拒否してしまうようになりました」
毒母を断捨離しようと心を決めた瞬間だった。
■谷中家のタブー
筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。
「短絡的思考」は、今回ケースの両親それぞれに見られる。嫉妬心が強く、日常的に暴力をふるう父親との間に3人も子どもをもうけた母親は、子どもにまで暴力をふるわれても、それを止めようともしない。そして唯一母親を庇おうとする谷中さんを、搾取子として邪険に扱い続けた。母親はその気になれば父親と別れることもできただろうに、最後まで行動に移すことはなかった。
一方父親も、長男ばかりをかわいがり、娘たちには暴言を吐きまくる母親をたしなめたことは一度もなく、むしろ一緒になって暴言を吐いていた。谷中さんの両親は、「子どもには衣食住を与え、勉強さえさせておけば親の務めを果たせている」「子どもは親の所有物だ」と思っているように感じる。
先にも触れた通り、母親の実の母親(谷中さんの実の祖母)は、理由はわからないが、当時1歳の母親を自分の姉(母親にとって伯母)に養女として出している。養母はとても気難しく気性が激しい人で、養父も短気で気性が荒い人だった。
「母は愛されて育ったという感じではなく、祖父母と母が仲が良いとは思えませんでした。祖父や父が亡くなってからも、母と祖母は仕方なく同居を続けていたようですが、家事の分担やお金のことでいつもお互いに悪口を言い合っていました……」
と谷中さんは話すが、いい大人同士が、仕方なく同居を続ける必要はない。それなのに同居を続けたのは、母親と祖母が共依存関係に陥っていたからだろう。
父親の育った家庭も穏やかではなかったようだ。父方の祖父は、昔気質で気性が荒く暴力的。父方の祖母は影が薄かった。
「父にはきょうだいが5人いて、みんな気性が荒く、父によく似た雰囲気でした。姉の1人はヤクザの妻になったそうです。でもその中でただ1人優秀な弟がいて、現在は大学教授をしています。その弟が父の自慢でもあり、コンプレックスにもなっていたように思います」
おそらく父親も母親も、それぞれが育った家庭の“父親像”“母親像”を無意識に踏襲していたのだろう。

父親が母親や子どもたちに暴力を振るえば、当然近隣には大きな物音や泣き声が聞こえていたはずだ。母親が谷中さんを罵倒する声も聞こえていたかもしれない。それでも、谷中さんの家に苦情や警察が来たことはなかった。
父親や兄から借金を隠して会社を継がされた父親。同僚などの悪口やうわさ話ばかりで、自分は美人だとうぬぼれ、娘や他人の外見をバカにしている母親は、親族や近隣、社会から孤立していたのだ。
そして現在、毒母を断捨離することを決断し、距離を置き始めて2年の月日が流れようとしている谷中さんだが、その決断のきっかけのひとつには、母親に対する羞恥心があったはずだ。自分も結婚して妻になり、子どもを持ち、母親と同じ立場になって、「やはりこの人はおかしい」と感じたからこそ、心と身体が拒否してしまうようになったに違いない。
■毒母は連鎖する
現在、社会人、大学生、高校生の母親である谷中さんだが、その子育ては決して順風満帆とは言えないものだった。
「絶対に自分が親にされて嫌だったことはせず、してほしかったことをしてあげようと心に決めて育児をしましたが、なかなかうまくいきませんでした。3人の子どもたちは全員、アレルギーやチック、過敏性腸症候群、起立性調節障害などを発症し、不登校になりました。母が毒親だったと気付き、距離を置くまでは、母を優先して子どもたちを後回しにしたり、母の言動に私自身が不安定になったり不機嫌になったりすることも多く、結果、子どもたちを犠牲にしてしまったせいかもしれません」

筆者はこの12月、『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)を上梓したが、毒親に育てられた人は、その事実を受け止め、これ以上毒を受けないように毒親と距離を置き、そのうえで毒を受けた自分と向き合い、過去の自分を肯定していく作業を行わないと、自分も毒親になってしまうケースが少なくない。
おそらく谷中さんも、母親を毒母だとしっかり認識するのが遅れてしまったため、谷中さん自身の苦しみが長引くだけでなく、子どもたちにも“毒”を与えてしまっていた。
「意識的には、毒親と同じ言動は絶対にしていない自信があります。でも、私自身の自己肯定感がとてつもなく低いせいか、子どもたちの言動で、自分がバカにされた、ないがしろにされたと感じると、卑屈になってしまいます。一方で、疲れていても不本意でも、とにかく自分より子どもたちを優先し、全ての要求に早急に応えようとしてしまうため、自分自身だけでなく、子どもたちにプレッシャーを与えてしまったのかもしれません」
筆者はこれまで50人近くの毒親に育てられた人に取材をしてきたが、自分を犠牲にしてばかりで、自分を大事にできない毒親育ちは少なくない。
その理由はもちろん、幼い頃から毒親を最優先にし、自分を犠牲にしてきたからだ。谷中さんの場合、そのツケは長女との関係に暗い影を落とした。
「娘とは、普段は恋愛相談に乗ったり、一緒にショッピングに行ったりする仲です。かといって依存し合うことのないよう、求められたときだけ応じるなど、距離感には気をつけています。私と同じ真ん中っ子で女の子なので、他の子以上にかわいがると決めていました。私は母と違って、『娘とこんなに仲良いんだ』という、母への復讐心もあったかもしれません。
友人関係のようになった娘は、本人に悪気はないようですが、私に対して言葉がキツく、批判や否定ばかりしてきます。私が家事などをどんなに頑張っても、できていないことを見つけて文句を言ったり、やろうとする前に手や口を出したり、常に私を見張っているような気がします。そのうえ、娘からバカにされていると感じることや、何かと都合のいいように利用されていると感じることさえあります」
谷中さんと娘との関係が、谷中さんと母親との関係そのままに踏襲されてしまっている。
毒親家庭やモラハラ家庭で育った人が、不幸にも、自分でも毒親家庭やモラハラ家庭を築いてしまうことはしばしばある。
その理由は、その人自身が毒のある人やモラハラ気質の人を引き寄せてしまうほかに、その人自身が側にいる人を毒のある人やモラハラをする人に変えてしまうケースもあるようだ。谷中さんの場合も、谷中さん自身が長女を無意識に自分の母親のように育ててしまった可能性がある。
長女からバカにされると、谷中さんは思わず無言になったり、明らかに不機嫌になったりする。ひどく責められると、頭が真っ白になってパニックに陥り、「一生懸命頑張ってるから許して〜!」「申し訳ありません! 申し訳ありません!」などと泣き叫んでしまうこともあるという。
「娘は、私の生い立ちを何となく察しているようで、理解は示してくれますが、申し訳なさでいっぱいです。こんな母親でも好いてくれているのもわかっているのですが、なかなか割り切れず、反応せずにはいられません。そして私と違い、母親に大切にされている娘への複雑な思いもあります」

子どもを持ったとき、「自分は親のようにはならない」と決意する毒親育ちは多い。そして育児の過程で、「わがままが許される我が子が羨ましい」「暴力なしで育ててもらえる我が子が羨ましい」と感じる人も少なくない。もしかしたら、この“羨ましい”という気持ちに抗い続けられる人はわが子を虐待しないが、負けてしまう人は自らもわが子を虐待してしまうのかもしれない。
「実家の隣に家を建ててしまい、本当に後悔しています。今はまだ子どもたちがいるため難しいですが、いずれは引っ越したいです。念願の持ち家に愛着のある夫に反対されたら、夫と別居し私だけ引っ越すことも検討しています。でも私がいなくなれば、夫が母の買い物の足にされると思うと、躊躇してしまいます……」
毒親育ちにとって一番の薬は、物理的にも精神的にも毒親から離れることだ。子どもたちにも毒の影響を与えてしまっている可能性があるため、谷中さんは一度腹を割って、自分の生い立ちや両親との関係について子どもたちに話す必要があるだろう。連鎖を止めることはできるのだから。
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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
