社員からのクリスマス・プレゼント ウーズレー25 ドロップヘッド・クーペ 特別な手作り 前編
社員から大きな尊敬を集めていた証拠
素晴らしいコンディションを保つ、ウーズレー25 ドロップヘッド・クーペのダッシュボードには、印象的なメッセージが刻まれたプレートが貼られている。約1世紀前の英国社会を物語る歴史の資料としても、大きな意味を持つと筆者は思う。
【画像】手作りのプレゼント ウーズレー25 ドロップヘッド・クーペ 同年代のクラシックと比較 全104枚
「ウーズレー・モーターズ社の従業員一同による感謝の証として、ナフィールド爵へ贈ります。すべての素晴らしい願いとともに。1937年 クリスマス」

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)
現在の概念では少し想像しにくい内容だが、ウーズレー・モーターズのトップが、社員から大きな尊敬を集めていた証拠といえる。クリスマス前にカンパを募り、社長へ特別なクルマをプレゼントしたのだ。
記録によると、「ウーズレー・ワークスの仲間からの称賛と尊敬を表すものとして、このクルマをお納めください。あなたとレディ・ナフィールドにとってのクリスマスと新年が、多幸でありますように」。という挨拶とともに、ボディ工場で贈られたという。
このウーズレー25は、通常のモデルとは異なっていた。1937年12月23日にキーが渡された時点で、そもそもモデルラインナップに25 ドロップヘッド・クーペは含まれていなかった。正式に発売されるのは、1938年になってからだ。
ナフィールドを思い、社員の技術や能力が発揮されたといえるかもしれない。あるいは、約4か月後に限定で生産されているため、市販へ向けた試作車だった可能性もゼロではない。だが少なくとも、プレゼントと同等の水準では仕上げられていなかった。
彼が歩いた地面すら、崇める対象だった
ウーズレー・モーターズの社員が、なぜそこまでトップを敬愛していたのか、疑問を抱くかもしれない。1930年代後半に同社へ勤めていたマイルズ・トーマス氏の記録によれば、彼が歩いた地面すら崇める対象だった、という。
遡ること1927年、当時のウィリアム・モーリス爵、後のナフィールド爵は、倒産に追い込まれたウーズレー・モーターズを創業者の1人、ハーバート・オースチン卿から買収。第一次大戦後にモデルを手頃な価格帯へシフトさせ、経営を立て直すことに成功した。

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペがナフィールド爵へ贈られた時の様子
初代の経営陣が目標達成に苦労するなかで、ナフィールドはウーズレーの栄光を取り戻す可能性を見出していた。そこで当時で73万ポンドという巨額を自ら拠出し、同社へ投資。モーリスというブランドの独自性を強める方策を、クルマ作りで進めた。
グレートブリテン島の中央部、バーミンガムに位置したウーズレーのウォードエンド工場とその従業員は、彼の自己資金で窮地を救われたのだった。その直後、1929年から1930年代前半まで世界を襲った深刻な不況、世界恐慌も乗り越えることができていた。
ワンオフで作られた2ドア・コンバーチブル
1912年にモーリス・モーター社を創業し、1924年にモーリス・ガレージ、後のMGを立ち上げたナフィールドは、慈善家としても広く知られていた。当時は、英国で最も寛大な考えを持つ人物の1人だった。
彼の意志は自動車業界を越え、現在も残るナフィールド財団やオックスフォード大学のナフィールド・カレッジなどの創設にも繋がっている。

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)
1936年には、自身が保有していた200万ポンド相当のモーリス・モーターズ株、100万株を従業員基金へ寄付。配当金は、自社の従業員のボーナスとして充てがわれた。当時としては珍しいほどの厚遇といえ、仕事に対する意欲を高めたことだろう。
彼は多忙だったこともあり、1930年代後半にはウーズレー・モーターズにおける影響力は限定的になっていた。それでも、トップとして尊敬は集めていた。
ナフィールドへ贈られたクルマは、当初は1台限りの手作りだったと考えられる。美しい装飾が施された4シーターの2ドア・コンバーチブルをイチから製造するには、小さくない費用と手間が必要だったはず。
1937年、ウーズレー・モーターズの社員約4000名が、それぞれ2シリング前後を提供。当時の価値としては、1週間の稼ぎの3%程度だったようだ。
カンパで集まった予算は、恐らく400ポンド前後。量産版の25 ドロップヘッド・クーペの英国価格は498ポンドだったため、ディーラーの利益などを省いたと考えれば妥当な金額ではあるが、その数倍の費用を掛けて作られたことは間違いない。
シャシーは1938年に発売される新モデル用
ナフィールドの25 ドロップヘッド・クーペが完成するまでのプロセスは、解明が難しい。残念なことに、記録は一切残っていない。1938年4月1日に発売された初期の量産モデルを、当時のAUTOCARでは次のように紹介している。
「ベースとなっているのは、最新版のスーパーシックス用シャシー。三角形のメンバーで補強された、専用のボックスセクション・フレームが備わっています。

ウーズレー25ドロップヘッド・クーペ(1937年式/英国仕様)
「ホイールベースは8フィート8.5インチ(約2654mm)。スーパーシックス・サルーンより、12インチ(約305mm)ほど短縮されています」
ところが、この情報は正確ではなかった。寸法は合っているが、シャシーは1937年の新開発。本来は、1938年に発売されるウーズレー14や16、18HPといったモデルへ向けて設計されたものだった。
25 ドロップヘッド・クーペも、これをベースにしていた。新しい試作シャシーが仕上がった段階で、特別なコンバーチブル・ボデイが作られ、プレゼントされたのかもしれない。憶測にすぎないが。
その頃、リアのクオーターウインドウが備わる、丸みを帯びた2ドアボディは珍しかった。そこでウーズレー・モーターズは、台数限定での生産を決めたと考えても不思議でなない。第二次大戦後が始まるまでに、153台がラインオフしている。
この続きは後編にて。
