オナラの恨みで刺されて死亡。戦国武将・千葉邦胤を襲った悲劇「放屁事件」

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戦国時代には様々な理由で命を落とした武将が存在した。

今回は、そんな中でも「オナラ」という少し変わった理由で殺されてしまった男をご紹介する。

千葉 邦胤(ちば くにたね)

1557年。千葉邦胤は千葉氏一族の子として、下総(現在の千葉県北部)に生まれた。

千葉氏は同じく安房(現在の千葉県南部)を中心に勢力を拡大していた里見氏と対立しており、71年の邦胤の元服はそんな情勢下で行われた。

放屁事件

1585年。居城である佐倉城で新年の祝賀会が行われた。その席で、近習として仕えていた桑田孫五郎という人物が、邦胤の前で配膳の際に二度に渡って放屁した。

二度にも渡る無礼な振る舞いに邦胤は激怒し、孫五郎を叱責。しかし、孫五郎はしたくなってしまったものは仕方がないという旨の弁解を口にしたため、邦胤は孫五郎を蹴り付け、その場で切り捨てようとした。

周りの家臣の制止により場は取り繕われたものの、邦胤の怒りは収まらず、孫五郎は家臣の元にお預けの身となる。

報復と死

その後、孫五郎は赦免され再び邦胤のそばで働くことになったが、事件の恨みを忘れていなかった孫五郎は、邦胤の殺害を決意。

1585年(88年説もあり)。夜中に邦胤の寝所に忍び込んだ孫五郎は、寝ている邦胤を短刀で刺して逃亡。邦胤は重傷を負い、その傷が元で死亡した。享年29(異説あり)。

孫五郎は佐倉城を脱出するも、追っ手に囲まれ自害したとされる。年齢は18とも19とも伝わっておりはっきりしていない。

佐倉城跡(Wikipediaより)

邦胤には重胤という息子がいた。邦胤の死亡時にはまだ幼少であり家督は継がず、北条氏の人質として小田原に暮らしたとされる。その後は千葉氏を継いだとされるが、詳細は分かっていない。