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トヨタ&ミドシップ、鮮烈な記憶

text:Takuo Yoshida(吉田拓生)photo:Koichi Shinohara(篠原晃一)editor:Taro Ueno(上野太朗)

エンジンを車体の中心に置くミドシップ。

1950年代の末、イギリスのクーパーF1チームがグランプリの世界に革命をもたらしたこのパワートレイン・レイアウトは瞬く間にル・マンに代表されるスポーツ・レーシングカーの世界にも波及していった。

トヨタMR2    篠原晃一

ミドシップ・レイアウトは少し遅れて市販車の世界でも頭角を現し、今日でもなおスポーツカー世界の究極の選択肢でありつづけている。

重量物を車体中心に集めることで慣性モーメントが小さくなり、運動性能を高める。そんなミドシップ・レイアウトを国産スポーツカーとして最初に採用した1台が初代のトヨタMR2だった。

車名に含まれるMRの文字はミドシップを想起させる。実際にはミドシップ・ラナバウト2シーター(Midship Runabout 2Seater)の頭文字を取ったものである。初代MR2は1983年の東京モーターショーでプロトタイプが話題を集め、デビューイヤーとなった1984年には日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞し華々しいスタート切っている。

MR2は1989年に2代目(SW20)へとモデルチェンジ。さらにトヨタのミドシップ・スポーツカーの血統は1999年に誕生したMR-Sへと受け継がれていたが、この命脈は残念ながら2007年に尽きてしまっている。

カローラのコンポーネンツを有効活用

エンジンを横置きし、ギアボックスと一体化されたパワートレインを積むミドシップ・スポーツカーは、MR2以前にもいくつか前例があった。

フィアットのX1/9がその代表的なモデルとして知られるが、イギリスにはクラシック・ミニのパワーパックを流用した小メーカーの作品がいくつも存在していた。またMR2登場の前年にポンティアックがリリースしたフィエロもそこに含まれる。

トヨタMR2    篠原晃一

MR2はE80系カローラのパワートレインをそのまま後方に移動させることで、ドライブシャフトやサスペンションパーツ以外にも多くのコンポーネンツを流用でき、コストを抑えた設計がされていた。

MR2にはデビュー当初3つのグレードが存在した。1.5Lシングルカムの3A-LUエンジンを搭載したベーシックなSと1.6Lのツインカムの4A-GELUを搭載した上位グレードのGとGリミテッドである。前者が「AW10」、後者が初代MR2の代名詞にもなっている「AW11」という型式を与えられていた。

初代MR2はデビューから2年が経過した1986年にマイナーチェンジが施されている。後期型の話題の中心は4A-GZEと呼ばれるスーパーチャージャーが追加されたエンジンを搭載していた点で、NAエンジンの130psに対し、145psの最高出力を誇っていた。

「平凡ではないトヨタ」の先駆けとして

もともとレーシングの世界で誕生し、発展したミドシップのレイアウトは「機敏に走る」という点で理想的だが、そのドライビング特性はピーキーであると言われてきた。

フロント・エンジンのクルマに比べ前輪の接地荷重が軽いため、荷重移動をしっかりおこなわないとアンダーステアが容易に顔を覗かせる。

トヨタMR2    篠原晃一

一方「曲がりやすい」特性は、同時にスピンしやすいということも意味していた。実際に初代MR2は事細かに年次改良が施されており、ハンドリングをマイルドな方向にするチューニングもおこなわれていたのである。

国産の量産型ミドシップ・スポーツカー第1号という肩書を引っさげたMR2の人気は絶大だった。1980年代の後半から終盤にかけて盛り上がっていったバブルの流れにもうまく乗り、比較的短い5年ほどのモデルライフだったにもかかわらず、AW11の生産台数は4万台を超えたのだった。

現在のトヨタは平凡な大衆車ばかりではなく、クルマ好きに訴えかける魅力的なモデルを送り出すメーカーという認知が進んでいる。そんな今日のブランドの評価につながるきっかけは、MR2〜MR-Sというミドシップ・スポーツカーの一群によって切り開かれたという見方もできるのである。

後編では試乗記をお届けする。