【アルピナと25年ぶりの再会】BMW E30 M3と別れて手に入れたC2 2.7 前編
ノイエ・クラッセから始まったアルピナtext:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
1973年という年は、自動車における重要な分岐点だったのかもしれない。その頃の英国人は今以上にヨーロッパ大陸に刺激を求めていた。
音楽から外食メニューまで、多くの変化が及んでいた。実際にホリデーを過ごすのが、スペイン南部のマルベリャではなく、英国南部のマーゲイトだったとしても。
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)味の好みが変化するように、エキゾチックな高性能サルーンへの注目も高まった。オースチン・アレグロやモーリス・マリーナが自家用車だった時代、生ぬるい大皿の料理を食べていた英国人は、新しいものを求めていた。
当時、英国に初めて上陸した外国勢の1つが、アルピナだった。ドイツ・ブーフローの古いタイプライター工場を拠点にしていた、小さなチューニングブランドだ。
BMWノイエ・クラッセ、1500サルーン用のチューニングキットで始まったアルピナ社。最終的にはBMWのモデルラインナップの大部分をカバーする、人気ブランドととなった。
アルピナは、BMWのエントリーモデルから、会社の重役が乗るようなエグゼクティブ・サルーンまで、すべての性能を引き上げた。ドイツならではの存在に、英国人は強く惹き付けた。
英国でのアルピナは、ウェスターハムにある小さな村、サリーを拠点とするクレイフォードから始まっている。クレイフォードは当時、コンバーチブルへのコンバージョンで知られた存在だったが、1970年代にはドイツ・ブランドの輸入も手掛けていた。
E21とは裏腹に人気の出なかったC1
クレイフォードが初めに英国に持ち込んだのが、BMW 2002のデモ車両。だが1982年になると、アルピナの英国での販売はシトナー社へと移る。ツーリングカー・レーサーだったフランク・シトナーを代表に、BMWの販売をしていたノッティンガムのディーラーだ。
シトナーへの転換は、英国ではアルピナのターニングポイントになった。店頭でアルピナが展示され、右ハンドル車も用意された。かつて英国で走るアルピナはすべて、ノッティンガムの工場でチューニングキットが組み付けられていたのだ。
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)1980年代に入ると、肩パットやバラードの流行する中で、BMWは2代目の3シリーズを発表。E30型と呼ばれるコンパクトサルーンは、英国でも大成功を納める。
小さなBMWは、不動産業者や銀行の投資家、サッカー選手、芸能人にまで普及。多くの人気を集めた理由は、3シリーズが備えていた幅広い魅力にあった。当時考えつく、殆どのボディ形状が選べたのだ。その普及ぶりは、日本では六本木のカローラと呼ばれるほど。
4ドアサルーンを初めに、コンバーチブル、クーペ、ステーションワゴンまでがラインナップされた。アルピナはC1 2.3を、1983年にリリースした。
前世代の2316cc直列6気筒エンジンに改良を受け、オリジナルのE30の最高出力は139ps。そこへアルピナの手でさらに30psを追加していたが、多くの人の印象に残ることはなかった。カムはアグレッシブで、3500rpmを超えて本領を発揮する性格だった。
間もなくして標準のBMWは150psへとパワーアップし、高価なアルピナC1の訴求力を低めた。アルピナC1は英国へ上陸するが、販売は振るわず。シトナーは販売目標を47台に設定したものの、実際は35台に留まった。
英国のアルピナを組んだ1人の男
それを受け、E30の大排気量エンジンをベースにした、アルピナB6 2.8が登場。259台が製造されたが、シトナーで右ハンドル車が作られたのは1台のみ。そのかわりに、より手頃なC2 2.5の販売を考えた。
エンジンは経済性も備えた小排気量版の、イータと呼ばれたM60ユニット。323iのクランクシャフトを変更し、マーレ製のピストンを組んだ。排気量は2554ccへとわずかに小さくなったが、最高出力は184psへと向上した。
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)とマーク・アドキン(左)、アレックス・ハント(右)不満のないアップグレードを果たしていたが、C2 2.5の買い手は見つからなかった。さらに大排気量のC2 2.7が1986年に登場するまで、英国ではドライバーの想像力を掻き立てなかったのだろう。
満を持して英国に入ったC2 2.7。最初の1台だけは、ノッティンガムではなく、アルピナの本拠地であるドイツ・ブーフローで組み立てられた。
担当したのは、アルピナ社から英国のチューニングを任されていた、マーク・アドキン。英国人とドイツ人のコラボレーションだ。
「当時はわたし1人で、フルタイムで働いていました」 と振り返るアドキン。1983年から1989年にかけては、アルピナのコンバージョンに専念したという。
「C2のほかに、B9、B10、B11などを作りました。1人、ドイツへV12エンジンを組み立てるために向かったこともありました。このクルマは7シリーズがベースの、フランク・シトナーのデモカーでした。C2 2.7と競合するクルマは、当時の市場にはありませんでしたね」
最初のC2 2.7がノッティンガムを離れてから3年後、1989年にアドキンのチームはラックス・シルバーに塗られた小さな2ドアクーペを手掛ける。ナンバーはF885 JCHが付いていた。
フロントヒンジの四角いボンネットを持ち上げ、シャシープレートを指差すアドキン。シャシー番号はMAと、彼のイニシャルで始まっている。
当時のM3を超える最高出力を獲得
「アルピナになる前は、Mテクのサスペンションと、Mテクのボディキットを得た325iでした。まっさらの新車をもとに、ほとんどすべての部品を外しました。エンジンとトランスミッション、サスペンション、エグゾーストやブレーキも。アルピナに変えるために」
「フロントとリアにスプリングレートの高いサスペンションを組んで、ダンパーはビルシュタイン製に交換。ジャンスピード製のチューブラー・エグゾーストマニフォールドを取り付けました。その先は、アルピナ製のマフラーです」
BMWアルピナC2 2.7(E30 1989年)インテリアでも、細部へのこだわりが印象的だったという。ダッシュボードを外し、スピードメーターとタコメーターは、針が赤く塗られたアルピナのものに入れ替えた。だが、メインディッシュは何といっても6気筒エンジンだろう。
「まるで本当の宝石のようでした。マーレ製のピストンに、オリジナルのカムシャフトとECUを用いて、ブーフローで組まれていたものです」 ベースとしていたのは、2.3などと同様にイータ・ブロック。84mmのボアと81mmのストロークのままで、排気量は2693ccだった。
専用ピストンで、圧縮比は8.5:1から10.2:1へと向上。シリンダーヘッドは、半球形の燃焼室に、大きなバルブを獲得していた。その結果得られた最高出力は、210ps/5800rpmだ。
標準のイータ・ユニット比で81psのアップなだけでなく、325i比では38psの増強。当時の注目をさらったBMW M3は、4気筒のS14エンジンから194psを絞り出していたが、それをも上回った。
馬力は自慢のネタになったが、走りを支えていたのは、大幅に増強されたトルク。アルピナC2 2.7の最大トルクは27.1kg-mに達した。一方のM3は、22.9kg-mだった。
この続きは後編にて。
