【普通の歴史】1−5 江戸から明治へ(5)ヨーロッパ勢、最後の侵略(中部大学教授 武田邦彦)
今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
■【普通の歴史】1−5 江戸から明治へ(5)ヨーロッパ勢、最後の侵略(中部大学教授 武田邦彦)
「優れた人が、平凡な人を殺すのは合理的である」という考えの基でヨーロッパ人による世界制覇が1500年から1950年まで行われた。
さて、ここでは歴史を話すのにできるだけ「年号」を書かないようにして歴史の筋道だけを示しているが、それでは何となく満足しない人もいるとおもうので、アジア、アフリカ、アメリカ大陸がヨーロッパの侵略を受けた年を少しまとめてみた。
アステカ王国 1521年スペイン
インカ帝国 1533年スペイン
(ブラジル) ポルトガル
インディアン 1890年アメリカ(イギリス)
アフリカ大陸
アンゴラ 1575年ポルトガル
アフリカ分割 1884年ベルリン会議(順次、すべて植民地)
リビア 1912年イタリア(最後の植民地)
アジア(主として東アジア)
フィリピン 1529年スペイン
シベリア 1626年ロシア
インド 1761年イギリス
インドネシア 1800年オランダ
マレーシア 1862年イギリス
インドシナ 1862年フランス
オセアニア
オーストラリア 1787年 イギリス
ニュージーランド 1769年 イギリス
中国(直接領有と利権、鉄道敷設権など)
香港 1842年イギリス
満州 1860年ロシア
南部 1885年フランス
青島 1897年ドイツ
ざっと見ると、ヨーロッパ勢の世界侵略がおおよそわかる。16世紀にはポルトガルとスペインが、18世紀にはイギリスやオランダ、ロシアが、19世紀に遅れてフランス、ドイツ、アメリカが侵略を拡大してきた。
細かいことを言わなければ、明治維新(1868年頃)の世界はほとんどがヨーロッパ人に侵略され、残された国は「中国の半分と日本」だけになっていた。このことが日本の近代史の基礎中の基礎になる歴史的な事実である。
明治維新を坂本龍馬や西郷隆盛を中心に考えるのもドラマチックで良いけれど、それだけではその後の日本の戦争や社会を理解することはできない。ある程度のヒントを与えてくれる人物としては、高杉晋作、久坂玄蕃、伊藤博文、山県有朋などを出した松下村塾の先生、吉田松陰だろう。
彼は山口の萩の地にいてヨーロッパ勢が中国に近づいてくるのを肌で感じていた。その中でももっとも大きな刺激を与えたのはイギリスが中国を攻撃したアヘン戦争だった。
1838年の春、イギリスのアヘン密貿易に手を焼いた清(中国)の道光帝は全国から有能な人材を登用し、その一人であった林則徐を採用してアヘンの禁止に乗り出した。林則徐はイギリスのアヘン船の強力な取り締まりに乗り出したが、利権を得ていた人々との間に軋轢を生じ、遂にイギリス艦隊の出撃となった。
その出撃決定の直前、イギリス下院では青年代議士グラッドストーンが政府の批判演説を行っている。
「清国にはアヘン貿易を止めさせる権利がある。それなのになぜこの正当な清国の権利を踏みにじって、わが国の外務大臣はこの不正な貿易を援助したのか。これほど不正な、わが国の恥さらしになるような戦争はかつて聞いたこともない。大英帝国の国旗は、かつては正義の味方、圧制の敵、民族の権利、公明正大な商業の為に戦ってきた。それなのに、今やあの醜悪なアヘン貿易を保護するために掲げられるのだ。国旗の名誉はけがされた。もはや我々は大英帝国の国旗が扁翻と翻っているのをみても、血湧き肉おどるような間隙を覚えないだろう。」
