アーリア人のなかにもグラッドストーンの様な正義の人もいたが、それは少数派に過ぎず、結局、イギリスは遠征軍を極東に送った。

アヘン戦争は約2年に及んだが、最後の決戦は1842年作浦と鎮江で行われた。作浦の戦いではイギリス軍の戦死9名に対して、清軍は女子供を含み埋葬者だけで1000名を数えたと記録されている。イギリス軍は好んで女性、子供の殺戮をしたわけではなかったが、戦いの中で多くの女性子供が殺された。また、鎮江ではイギリス軍の戦死者37に対して、1600人の清軍が死亡した。まさに圧倒的な火力を使っての中国人の虐殺と言えるものである。

清は降伏し、香港の割譲、戦費など2100万ドルの賠償を支払うことになった(江寧条約:受験もないので覚える必要は無し)。勝てば官軍の時代である。イギリスは香港を手に入れ、賠償金までもらった。考えて見れば、他国にアヘンの貿易を迫り、アヘンの密輸を認めないと言う理由で戦争を仕掛け、圧倒的な力で相手の人を虐殺し、その上国土の一部を取り上げ、金まで取るというのだから、まさに世にも醜悪な江寧条約である。

このとき割譲された香港は10年ほど前に返還されているが、中国政府はイギリスの不当な「歴史的事実」について論評せず、返還の式典にイギリス元首相が列席して愛嬌を振りまいていた。アヘンの強制と100年の占領にしてはずいぶん寛容で、到底、日本とイギリスを同じ倫理観で判断しているとは思えない。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年08月06日時点のものです。