【普通の歴史】1−5 江戸から明治へ(5)ヨーロッパ勢、最後の侵略(中部大学教授 武田邦彦)
アーリア人のなかにもグラッドストーンの様な正義の人もいたが、それは少数派に過ぎず、結局、イギリスは遠征軍を極東に送った。
アヘン戦争は約2年に及んだが、最後の決戦は1842年作浦と鎮江で行われた。作浦の戦いではイギリス軍の戦死9名に対して、清軍は女子供を含み埋葬者だけで1000名を数えたと記録されている。イギリス軍は好んで女性、子供の殺戮をしたわけではなかったが、戦いの中で多くの女性子供が殺された。また、鎮江ではイギリス軍の戦死者37に対して、1600人の清軍が死亡した。まさに圧倒的な火力を使っての中国人の虐殺と言えるものである。
このとき割譲された香港は10年ほど前に返還されているが、中国政府はイギリスの不当な「歴史的事実」について論評せず、返還の式典にイギリス元首相が列席して愛嬌を振りまいていた。アヘンの強制と100年の占領にしてはずいぶん寛容で、到底、日本とイギリスを同じ倫理観で判断しているとは思えない。
執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年08月06日時点のものです。
