だから他の警察ドラマとは全然違う…寺脇康文でも及川光博でもない「相棒」を人気作にした"もう一人の相棒"
※本稿は、太田省一『「相棒」大全 25周年を迎えた傑作刑事ドラマ大研究』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

■「相棒」と他の警察ドラマはココが違う
「相棒」の根底にはバディものと警察ドラマという2つの側面がある。そしてその両面がバラバラではなく密接に関連している。その点が、「相棒」という作品をほかのバディものや警察ドラマとは一線を画すものにしている。
その象徴が、「特命係」という卓抜な設定である。刑事ドラマ史上における一種の発明と言ってもいいだろう。
従来のバディものは、特定の部署に属する2人組という設定が多かった。つまり、上司がいる。そのなかで個性豊かな2人が上司の命令を無視した行動をとる。「俺たちの勲章」や「あぶない刑事」でもそうだった。
ところが、「相棒」の場合、杉下右京とその相棒に上司はいない。形式的にいないわけではないが、誰かの命令に従って動くわけではない。
あえて言えば、特命係に最初からいる右京が上司ということになるが、ドラマを見てわかるように右京が「上司」として振る舞うことは基本的にない。あくまで特命係の2人は、捜査に当たる現場のコンビとして行動する。
要するに、特命係という部署は既存の警察組織の埒外にある。捜査権が認められていないというのはそのことを示す意味もある。
■警察の中のアウトサイダー
特命係は架空の部署だが、それ自体は刑事ドラマにおいて珍しいことではない。
たとえば、「Gメン」(TBSテレビ系、1975年放送開始)のGメンもそうで、警察官ではあるが、部署や権限にとらわれず自由に犯罪捜査に当たる。
「相棒」の特命係にも同様の側面はある。捜査権がないはずなのに、どこからともなく現れてさまざまな事件に首を突っ込んでは捜査一課の刑事たちから「警部殿〜!」と嫌がられ、煙たがられる。
そんなアウトサイダー感が、右京と相棒たちのバディとしての魅力をさらに際立たせる。
そしてその特命係の浮いたポジションが、警察という組織における複雑な権力構造、ひいてはそこに潜む闇を浮き彫りにするための仕掛けにもなっている。
■複雑に絡み合う警察内の人間関係
特命係という設定は、バディものであることを強調するためだけでなく、警察ドラマとしての「相棒」を成立させるための要でもある。
「相棒」には、警察組織におけるさまざまな職務と肩書きを持つ人物が登場する。警視総監や警視庁副総監のような警視庁の上層部はもちろん、長官をはじめ警察庁のお偉方も登場する。
だが特命係の2人は警察組織の事情に影響されることなく独断で捜査を進め、そうした上層部の人間から組織に逆らう者としてしばしば厄介者扱いされ、時には敵視さえされる。右京らが上層部の会議に呼び出され尋問・処分される場面もおなじみだ。
一方で、特命係を支えてくれる人間もいる。内閣情報官である社美彌子(仲間由紀恵)や3代目相棒・甲斐享(成宮寛貴)の実父で警察庁の幹部でもある甲斐峯秋(石坂浩二)などが代表格だ。
ただ彼らにも警察組織内の自らの立場をめぐる思惑があり、ただの親切心から協力しているわけではない。そのような存在との駆け引きもまた、従来の刑事ドラマにはなかった「相棒」ならではの見どころになっている。

■「相棒」の最大のキーパーソンは誰か
なかでも、警察ドラマとしての「相棒」における最大のキーパーソンだったのが、警察庁長官官房室長、通称「官房長」の小野田公顕(岸部一徳)である。
小野田は、かつて起こった外交官人質事件の際に緊急で編成された対策チームにおいて右京の上司だった。
そしてそのときの作戦の失敗の責任を取らされるかたちで、右京は特命係に「島流し」されたという経緯がある。要するに小野田は右京にとって因縁の相手であり、右京からすれば恨みを抱いてもおかしくない。
そうなった経緯としては、正義をめぐる考えかたの決定的な違いがある。右京と小野田の正義は互いに相容れない。
右京の正義は、先述したようにある意味シンプルだ。相手がどんなに社会的地位や権力があっても関係ない。また相手にどんな情状酌量の余地があったとしても関係ない。
罪を犯したという事実があれば、定められた法律に則って償わなければならない。相手にやむを得ない事情がある場合は、優しく諭すような態度になることもある。だが「罪は罪」という姿勢は一貫して崩さない。
■「杉下の正義は、時に暴走するよ」
一方、小野田の正義は、時に法を超えることがある。警察の人間として、社会秩序を守ることが最優先。
したがって、誰かの犯罪を摘発せず見逃すことがより大きな観点で社会の安全や安定を実現するために得策と考えれば、見て見ぬふりをすることもある。
だから右京の真っ直ぐすぎる正義感は、邪魔にもなり得る。「杉下の正義は、時に暴走するよ」(シーズン6第19話)という有名なセリフは、小野田から見た右京の正義の手に負えなさを表現したものだ。
このように、右京と小野田の正義は相容れないだけでなく、時に反発し合う。ともに冷静沈着な2人は正面から争うことはない。だが2人のあいだには普通の会話をしていても常に緊迫感がある。
とはいえ、2人はお互いの能力を十分に認めてもいる。むしろ、いざとなったときに本当に頼りにするのが右京にとっての小野田であり、小野田にとっての右京だ。

■杉下右京の「もう一人の相棒」
それぞれの正義の実現にとってプラスになると考えれば、絶妙の呼吸で連携して行動する。場合によっては、右京も違法捜査を辞さない。その点、小野田は右京にとって“もうひとりの相棒”だ(「オフィシャルガイドブック 相棒Vol.2」、75頁)。

これは単なる比喩ではない。警察組織のなかのポジションという点で、2人にはタッグを組む必然性がある。実は小野田も、右京と同様に警察組織からはみ出した人間である。
警察官僚である小野田も、現状の警察組織を是認しているわけではない。だから自分の考える理想の警察、ひいては理想の正義を実現するための改革を推進しようとする。しかしそれが反発を招き、劇場版の2作目で小野田は命を落とすことになる。
小野田の死は物語の展開としてショッキングであっただけでなく、正義を実現することの困難を思い知らせる出来事でもあった。理想の正義を達成するためには命を懸けなければならない。
それは、あるべき正義の概念が共有されているはずの警察においてさえもそうだ。「相棒」が警察ドラマなのは、単に警察組織を実態に沿ってリアルに描いているからだけではない。
より本質的には、「警察とは何のためにあるのか? 結局正義とは何なのか?」という根本的問いを私たちに繰り返し突きつけてくるからである。
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太田 省一(おおた・しょういち)
社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)
