「彼女と別れたい」…恋愛相談を受けた故・東海林さだおさんが担当編集に返した「衝撃の回答」
4月5日、漫画家でエッセイストの東海林さだおさん(享年88)が心不全で亡くなった。「週刊現代」では漫画『サラリーマン専科』を'69年から'24年まで、半世紀以上にわたって連載していた。
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最期まで漫画家であり続けた
日常を大切にするその性格は仕事面にもあらわれていた。基本的に平日は西荻窪にある仕事場で、9時から執筆活動を行い、17時を過ぎたら近所の居酒屋へ向かう。月曜から金曜までは仕事場で寝泊まりをして、土日は八王子にある自宅で過ごしていたそうだ。
「時間には厳密でした。締め切りを守るために時計は常に10分進めていたほどです。
ネタ帳もたくさん作っていましたね。タレント名鑑のように、そこには沢山のキャラクターが描かれているのです。700冊以上あって、すべてにナンバリングしているのですが、入院中に『650番のノートを持ってきて』と言われて驚きました。ぜんぶ記憶していたんでしょうかね。最期まで漫画のことを考えていたのでしょう」(西さん)
「普通」の食べ物が好きだった
東海林さんと言えば、食に関するエッセイの第一人者としても知られている。高級レストランや、通好みの逸品などを取り上げるわけではない。蕎麦やカレーといった身近な食べ物をテーマに、軽妙な筆致で雑感を書き連ねる。
「とにかく『普通』の食べ物が好きな方でした。高級な店は苦手で、気の張らない居酒屋でお会いすることが多かったです」
そう振り返るのは、作家の平松洋子さん(68歳)だ。約20年前に「食」がテーマの対談で知り合ったという。
その対談で、東海林さんから「コンビニのおでんについてどう思うか」と聞かれた平松さんが「味よりも湯気。湯気と匂いが、あの空間に居心地を与えている」と返したところ意気投合。それ以降、二人はたびたび会うようになった。
「1ヵ月に一回くらいお会いしていました。帰るときに『次はいつにする?』といった感じで予定を決めるんです。東海林さんは、いつも最初にビールを頼むのですが、その1杯目をまるで儀式みたいに大事に飲んでいました。
お互い、言葉の意味をいちいち説明しなくても真意がスパッと分かり合えたので、東海林さんも楽だったと思います。『こういう友達ができるとは思わなかった』とよく言ってくださいました」(平松さん)
人間の泣き笑いを見つめ続けた
あまり作家付き合いを好まなかった東海林さんだが、平松さんは特別だった。'21年に発売された東海林さんのアンソロジー『人間は哀れである』の編者を務めたのは平松さんだ。友人としてだけではなく、同業者としても東海林さんを尊敬していた。
「東海林さんの作風は『脱力していてユルい』というイメージが強いと思いますが、文章や漫画の底流には鋭い人間観察と洞察がある。それを独自のユーモアが包んでいました。人間が生きていくうえでの泣き笑いをずっと見つめ続けたのが東海林さんだと思います。
もともと表現者として尊敬していましたが、20年近いお付き合いの中で、その思いは強くなりました」
冒頭で説明したように、東海林さんは「週刊現代」で半世紀にわたり『サラリーマン専科』を連載してきた。代々の担当編集は主に若手社員が務め、その数は数十人に及ぶ。東海林さんはどんな新米だろうが敬語で接し、決してえらぶらない人だった。
年に一度の恒例行事があった。担当の若手と元担当者たちで東海林さんを囲む会だ。会の定番は「若手の悩みを聞く時間」で、どんなくだらない話であっても、相手の目を見て興味深そうにウンウンと聞いてくれる。優しく寄り添う東海林さんに励まされる若手は多かった。
ある社員が「彼女と別れるにはどうすればいいのでしょうか」と相談したことがあった。すると東海林さんは「彼女を呆れさせたらいいんだよ。たとえば、おもらしするとかね。相手から逃げていきます」といたずらっぽく笑った。どうしようもない失敗談ほど面白がってくれた。
平凡な人間のさえない日常は、東海林さんの手にかかれば傑作に生まれ変わる。作品から滲み出る寛容さが、多くの人の心を摑んだのだろう。
「週刊現代」2026年5月11日号より
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