章弘さんは、自分の卑怯さを嫌悪しながら、自宅と彼女の家を行ったり来たりしている

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【前後編の前編/後編を読む】単身赴任先で出会った不倫相手がいきなり上京してきた…「部屋を借りてくれたら別れるから」 妻に疑われ、47歳夫の言い出せない“決意”

 不倫の恋のつらいところは、自分の気持ちの持って行き場がないことかもしれない。しかもさまざまな状況から考えて、「もうこの先は行き止まり。今なら引き返せばなんとかなる」とわかっていても引き返す勇気が持てない。理屈と感情の差がありすぎて落としどころがわからなくなる。破滅してもいいと思ったり、いや、子どものためにもきちんと責任ある行動をとらなければと考えたり……。それが「恋」というものかもしれないが、既婚者が恋に落ちるとそうやって苦しむものなのだ。最初から、この恋で破滅してもいいと思っている人はいない。人はそう簡単にすべてを捨てることはできないし、腹をくくるには過去は重すぎる。

章弘さんは、自分の卑怯さを嫌悪しながら、自宅と彼女の家を行ったり来たりしている

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 片瀬章弘さん(47歳・仮名=以下同)は、まさに今、引き返すべきポイントに立っていると自分でもわかっている。妻からは疑われているし、不倫相手の彼女も「彼の決断」を待っているように見える。それでも決断できないまま、彼女に会いに行って受け入れてもらい、愛を語っているのだ。そんな自分の卑怯さを嫌悪しながら、自宅と彼女の家を行ったり来たりしている。

「彼女との関係は5年目に入りました。とはいえ、ずっと会っているわけではなくて、もともとは単身赴任先で知り合ったんです」

交際半年で結婚したのは、35歳の時だった

 章弘さんが最初に地方に赴任したのは28歳のときだ。そのときは4年にわたって、とある地方の支社の立ち上げから関わった。支社を立ち上げて軌道に乗せるために他のスタッフと力を合わせて努力を重ねていく。その過程が大変だったが楽しくて、その後の仕事への姿勢に大きな影響を受けた。

「35歳のときに同期入社の美玲と結婚しました。同期だからごくまれに仲間内で食事会をしていたんですが、あるとき帰り道に話をしたら、彼女は仕事や人間関係でいろいろ悩んでいて。そこから急速に親しくなって、半年後には結婚していました。昔からつきあっていたと思われたようですが、実質、交際期間は半年しかなかった」

 それまでの間、友だちとして互いの人となりを知っていたし、「お互いにいい年だったから」、恋愛を飛ばして結婚を急いた。ふたりとも子どもがほしいという点で一致していたからだ。

すぐに息子たちが生まれて

 幸い、結婚してすぐ彼女の妊娠がわかった。36歳で長男が、38歳で次男が産まれた。新婚生活を味わう余裕もなく子育てに追われた。美玲さんは次男が産まれたところで退職、章弘さんも賛成した。このままでは家事と育児に追われるだけで、家庭という形が見えてこなかったからだ。

「妻にワンオペを強いるつもりはまったくなかったけど、次男が産まれた半年後にまた地方へ赴任することになったんです。家族のための借り上げマンションがあるから一緒に行こうと言ったんですが、妻はもともと東京の生まれ育ち。両親も当時は元気でしたから、『地方に行ったほうがワンオペになる。友だちもいないし』って。それもそうだなと思い、単身赴任することにしました」

 20代のときとは別の場所で、また支社の立ち上げに関わった。やはり楽しかったと彼は言う。一からみんなで作り上げていく作業が堪えられなかった。

「そういえば僕は高校時代も新しいクラブを作って活動したんです。写真部だったんですが、カメラ好きの先生を巻き込んでゼロからクラブを作った。それを思い出しました。そういうことが好きなんですね、たぶん」

 大学時代には「ハイキング同好会」を作った。決してきつくない道を、ただみんなで歩き、写真を撮ったり花を愛でたりする同好会だった。オヤジくさいと笑われたが、それもまた楽しかったという。手段は何でもいい、みんなで一緒に楽しくできればいいというのが章弘さんの気持ちだったようだ。

「大恋愛」未経験だった章弘さん

「30代の単身赴任は2年半くらいでした。自宅まで片道3時間かかるけど、月に2、3回は必ず帰っていました。平日は妻の母親が力になってくれた。義母は本当にいい人で、僕が帰るときはいないんですよ。たまには義両親と一緒に食事でもと思っても、『私たちはいいから、章弘さん、家族の絆を深めてちょうだい』と姿を見せない。ときにはいい肉を届けてくれて、これですき焼きでもしなさいって。妻は『両親はあなたに嫌われたくないのよ』と笑っていましたが、結局は娘かわいさなんでしょうね。いつも義両親にはおみやげを買って帰っていましたが、それ以上に心配してくれて……。ありがたいなと思っていました」

 妻との間には、最初から強い恋愛感情はなく、すぐに親としての関係が始まったのだが、かえってそれもよかったと当時の章弘さんは思っていた。家族として、父と母としてどう子どもたちに接していくかを冷静に話し合えたからだ。

 だが、人は強い恋愛感情に支配されるような関係を若いころに経験しておいたほうがいいのかもしれない。結婚して親となってから、そんな感情に振り回されないためにも。章弘さんは、もともと「大恋愛」と呼べるような関係を経験したことがなかった。

「そんなのはドラマや小説の中のことだろうと思っていた。学生時代にはつきあっていた女性もいましたが、卒業とともに自然消滅。高校時代もそうでしたね。女性に夢中になるということがなかった。社会人になってから、社内恋愛はしたくなかったので友人の紹介とか趣味のカメラを通じてつきあったこともあるんですが、やはり自然消滅していました。恋愛を持続させる能力が僕にはないんだと思ってた。嫉妬したりされたり、しょうもないことでケンカしたりするのも嫌だったし、どちらかといえば恋愛なんて時間の無駄じゃないだろうかと思っていた節もありました」

 だから恋愛を飛ばして結婚したのは、彼に向いていたのだろう。恋愛なんて自分には不要だったのだと思っていた。ところが単身赴任が1年たったころ、彼の心を大きく揺さぶってくる女性と出会った。

母娘の小料理屋で…

「単身赴任先の近くに、カウンターだけの小料理屋がオープンしたんですよ。行ってみたら女性ふたりで経営していた。おかみさんとその娘さん。他の場所でやっていた店が家主の事情で閉店することになり、こちらに移転させたということでした」

娘の友里さんが作った煮物は出汁の効いた逸品だった。母であるおかみさんも料理上手、なによりふたりとも穏やかでうるさくないため、心からくつろぐことができた。章弘さんはあまり外食はしないのだが、その店だけは別格だった。

「女性ふたりの小料理屋というと、なんだか行ったこっちがおかみさんたちを楽しませなければいけないような気になることがある。でもその店は違っていました。無理矢理しゃべらなくてもいいし、ポツリと口を開けば、さりげなく聞いてくれる。母と娘の距離感もいいんですよ。ふたりだけのノリみたいなものがなくて」

 友里さんは章弘さんより10歳年下、母親はもうじき還暦を迎えるということだった。半年ほど週に数回通っていたのだが、あるとき「しばらく休みます」という貼り紙があった。

「以前、僕が忘れ物をしたことがあったんです。もしまた何かあったらと友里が言ってくれて電話番号を聞いていた。だから電話してみました。すると『母が倒れて入院したんです』と。それは大変と病院まで行きました。彼女に聞いて、必要なものを売店で買って届けたら、友里がひどく感激してくれた」

「恋」の認識はないけれど

 店を開けたいけど、身よりも頼りもないからどうしようかと思っているとか、母は丈夫な人で入院するのが初めて。だからふたりとも何をどうしたらいいかわからなくてと困り果てていました。彼は「僕ができることは何でもする」と伝え、その日は彼女を家まで送った。そこからふたりの距離は一気に縮まった。

「幸い、おかみさんは軽い脳梗塞で、リハビリをすれば大きな後遺症は残らないということでした。しばらく入院することになるけど、店は開けるという連絡をもらって、仕事終わりに駆けつけました。結局、10日ほど休んだので、常連さんはみんな待っていた。僕はちょっと遅めに行ったんですが、満席でした」

 ひとり帰り、ふたり帰り、最後は章弘さんだけになった。店を休んでいた10日間、彼はたびたび友里さんを家に送っていった。そして店を開ける前日には、店の掃除を手伝った。

「なんというのか、僕は友里の佇まいに惹かれたんです。性格も穏やかだし、自己主張の強さもない、つまりキャラの強烈さはないけど、ただいるだけで人を安心させる力がある。そんな人に会ったのは初めてでした」

これが恋だという認識はなかった。ただ、できる限り友里さんの力になりたい、友里さんの笑顔が見たいと願っていた。

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 今日に至る章弘さんの“不倫の恋”はこうして幕を開けた――。後編記事【単身赴任先で出会った不倫相手がいきなり上京してきた…「部屋を借りてくれたら別れるから」 妻に疑われ、47歳夫の言い出せない“決意”】で、その後の展開を紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部