37歳で糖尿病と診断されたグレート義太夫さん 。自覚症状のなさと仕事の忙しさを理由に、通院を中断し自己判断で食事制限を緩めたことが、のちの心筋梗塞と「心停止7秒」という惨劇を招きました。体を静かにむしばむ「サイレントキラー」の恐ろしさ。病気を放置した過去を後悔し「ダメ患者代表」として伝えたい、病との向き合い方について明かします。

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「透析を受けている場合じゃない」救急搬送の真実

1995年に発覚した糖尿病の悪化で、2007年からは人工透析の治療を受けているグレード義太夫さん。体にさらなる異変が見つかったのは2024年8月のことでした。透析クリニックで血圧を測ったところ、上が70mmHgしかなかったそうです。「透析どころではない」と即、緊急搬送。心筋梗塞と診断され、10時間にも及ぶ緊急手術を受けました。糖尿病の合併症とみられています。

人工透析中とはいえポジティブに人生をとらえるグレート義太夫さん

「糖尿病と診断された1995年も体調はおかしかったです。やたらと喉が渇き、食欲はなく、疲れやすい。でも、夏バテだろうと思っていたんです。それがある日、自宅で倒れて…。救急車で病院に運ばれた時の血糖値は630でした。通常の成人男性なら空腹時は100前後が目安で、即入院でした」

「もう一口」が命取りになる自覚なき恐怖

「糖尿病と診断されてから、しっかり体調管理をすればよかった…」と義太夫さんは当時を振り返ります。糖尿病ゆえに徹底した自己管理と定期的な通院が必要だったにもかかわらず、売れっ子芸人だった義太夫さんは仕事に追われ、病院から少しずつ足が遠のいてしまったのです。

「糖尿病の怖いところは、自覚症状がいっさいないこと。痛みも苦しさもないから、危険な病気だと意識しにくいんです。通院の優先順位が下がり、間隔が空くと、次に行ったときに医師から叱られてしまう。患者の体を思ったら当然なのですが、それが嫌でますます足が遠のいて。まるで子どもみたいですよね。典型的なダメ患者でした」

食生活も、診断直後は薄味で低カロリーの食事を意識的にとっていたのですが、次第に義太夫さんの気がゆるむように。

「最初は気をつけていても、誘惑にだんだん負けてしまう。『多少は濃い味つけでもいいだろう』、『もう一口多くても大丈夫』と、勝手に判断していった結果、気づけば病院から言われた食事とは程遠くなってしまいました。

でも、当時の芸能界は糖尿病になりやすい環境だったんです。夜中の2時3時に仕事が終わってから、みんなで焼き肉を食べに行くのが当たり前。不摂生な生活を何十年も送っていました。体を張る仕事ばかりなのも災いしましたね。ガムシロップやはちみつをジョッキで飲む仕事も何度かあって。『僕が糖尿病になったのは、労災認定されるはず』なんて冗談を言ったら、事務所からふざけるなと言われました(笑)」

所属するたけし軍団は結成43年を迎えた

そう言い訳をしつつ、心筋梗塞を合併するまで糖尿病が悪化した一番の原因は、自らの自覚のなさと不摂生だったと、義太夫さんは口にします。義太夫さんの父も糖尿病を患っており、遺伝も要因ではあったようですが、医師からは「患者さん本人の努力不足でもある」と、はっきり言われていたからです。

「でも、病院に行くのが面倒で、一時はサプリメントに頼ったこともありました。血糖値は下がるけれど、残念なことに根本的な問題解決にはなりません。僕がのんきに過ごしている間も、病はジワジワと体をむしばんでいました。まさに『サイレントキラー』です」

ダメ患者だったからこそ病気の怖さを伝えたい

気づいたときには腎機能が大きく損なわれていた義太夫さんの体。ついに体は悲鳴を上げて、2007年からは週3回、1回5時間の人工透析が命をつなぐ欠かせない習慣に。現在も毎週のように通院を続けています。

「心筋梗塞のような重篤な合併症を引き起こしたり、人工透析を受けたりするようになってからでは遅いんです。今となっては、きちんと向き合っていれば…と、後悔ばかりです。でも、糖尿病になったからといって、絶望する必要はありません。しっかりと管理さえすれば、進行は抑えられますから。『完治はしない』けれど、『人生が終わるわけではない』です。失った過去は取り戻せないけれど、自分の過ちに気づき、行動に改めていけば、いつからだって自分を変えていくことはできると思うんです」

取材・文:齋田多恵 写真:グレート義太夫