(※画像はイメージです/PIXTA)

写真拡大

身寄りのない「おひとり様」の親族から、死後の財産管理や自宅の売却を託されるケースが増えています。埼玉県在住のAさん(60代)は、宇都宮市で一人暮らしをしていた従兄から死後の手続きを頼まれました。しかし、その「口約束」が後のトラブルの引き金となります。遺言書などの法的な準備を怠ったために、故人の思いが水の泡となってしまった相続事例を、司法書士の新井健二氏が解説します。

従兄から託された最期の願い

「自分が死んだら、この家を売って処分してくれないか。預金と株の管理も頼みたい」

埼玉県に住むAさん(60代男性)は、病室のベッドで横たわる従兄のBさん(60代後半)からそう懇願されました。

Bさんは、宇都宮市の郊外にある築20年の土地付き一戸建てで、一人暮らしをしていました。3年前に父親から相続した家で、現在の時価はおよそ2,000万円です。ほかにも預貯金が約1,000万円、株式が約500万円あり、総額で約3,500万円の資産があります。Bさんの母親はすでに他界しており、妻や子ども、兄弟もいない、いわゆる「おひとり様」でした。

内臓疾患が悪化して入院することになったBさんは、自分の亡きあと、残される財産や自宅がどうなるのかを心配していました。そこで、子どものころから親しくしていたAさんに、すべてを託そうと考えたのです。

「もちろん、あとは任せて。安心して治療に専念してくれ」

Aさんは二つ返事で承諾しました。しかし、二人の間で交わされたのは口頭での約束のみでした。遺言書を作成することもなく、自宅の贈与手続きや、預貯金・株式の管理に関する法的な手続きは一切行われませんでした。

それからわずか3カ月後、Bさんは帰らぬ人となりました。深い悲しみのなか、Aさんは従兄との最期の約束を果たすため、自宅の売却手続きを進めようと司法書士に相談を持ちかけました。

しかし、そこで思いもよらない現実を突きつけられることになります。

口約束では手続き不可能、相続には莫大な費用

「Aさんは法定相続人ではないため、Bさんのご自宅を勝手に売却することはできません」

司法書士から告げられた言葉に、Aさんは絶句しました。Bさんには法定相続人が誰もいないため、法律上は「相続人不存在」という扱いになります。いくら生前に口頭で頼まれていたとしても、従弟であるAさんには、Bさんの財産を処分する権限が一切ないというのです。

Bさん名義の自宅を売却するには、複雑な手続きが必要でした。

まず、Aさんが申立人となって家庭裁判所に「相続財産清算人」の選任を申し立てなければなりません。裁判所が弁護士や司法書士などを清算人に選任したのち、清算人からAさんへの売却許可を裁判所から得て、初めてAさんへの名義変更ができ、そこから第三者へ売却するという途方もない道のりです。

さらにAさんを打ちのめしたのは、その莫大な費用負担でした。

申立ての書類作成にかかる司法書士への報酬などが約20万円、裁判所に納める予納金が約100万円かかります。さらに、Aさんが自宅をいったん買い取る形になるため、その購入代金として300万円から1,000万円ほどが必要になるといいます。

「Bさんの預金から、その費用を出せないんですか?」とAさんは尋ねました。しかし、権限のないAさんがBさんの口座から勝手にお金を引き出すことは、違法行為であり横領罪に問われる可能性があると諭されました。

つまり、これらの費用はすべてAさん自身の手出しで用意しなければならなかったのです。

相続できるはずだった資産3,500万円の末路

Aさんの手元のお金から、相続にかかる費用を捻出することはできませんでした。

「約束を果たしたかったです。でも、自分の生活を崩してまで何百万円も支払うことはできません……」

やむを得ず、Aさんは自宅の売却を諦める決断を下しました。

生前、自分の死後を案じていたBさんの願いも、それに応えようとしたAさんの思いも叶うことはありませんでした。Bさんが大切に住んでいた自宅は、今も持ち主不在の空き家として放置されています。

預貯金や株式もAさんに引き継がれることなく、宙に浮いたまま手つかずとなっています。あのときの口約束だけで安心しきっていたことを、Aさんは今も後悔しています。

「財産相続」をトラブルなく進めるための生前対策

今回のケースのように、法定相続人以外の方に財産を託したい場合、残念ながら口約束だけでは手続きができません。BさんやAさんが、生前のうちに私どものような専門家に相談し、死後の財産処分についてアドバイスを求めていれば、このような悲惨な結末は防ぐことができました。

仮に生前にご相談をいただいていた場合、以下のような対策が考えられました。

遺言作成

自宅と金融資産をAさんに「遺贈」する旨を記載した遺言書の作成です。確実性を高めるためには公正証書遺言が望ましいですが、病状が悪化し死期が迫っているような場合には、証人立ち会いのもとで作成する「危急時遺言」という制度を利用して迅速に対応することも可能でした。

名義変更

生前のうちに自宅をAさんへ贈与し、名義変更を済ませておく方法です。あるいは、自分が死亡したときに贈与の効力が発生する「死因贈与」の契約を書面で結んでおくという手段もありました。

生命保険

生命保険を活用することで、お互いの関係性や保険会社の商品によっては、Aさんを受取人に指定できるケースもあります。健康状態の告知が不要な一時払い生命保険などを活用すれば、死後の手続き費用などをAさんにスムーズに残すことができたでしょう。

おひとり様が増加する現代において、ご自身の財産をどう残し、どう処分するかは大きな課題です。「親しいから大丈夫」と思い込まず、元気なうちに専門家を交えて法的な準備を整えておくことが、ご自身と残される大切な人を守る手段なのです。

新井 健二

新井司法書士事務所

司法書士/ファイナンシャル・プランナー(CFP®)