天皇の目前で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害!大化改新の真偽とは!?【日本史】

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天皇の目前で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害!大化改新の真偽とは

第三十五代皇極天皇四年、天皇家と度々衝突を繰り返す蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか) 父子に対し、天皇中心の律令国家建設を目指す中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が反発。宮中、天皇の目前で公然と入鹿を殺害しました。

また、父蝦夷は屋敷にこもり、聖徳太子と共に編纂した『天皇記』『国記』等、幾多の珍品に火を放ち、自害して果てたため、三代に渡って朝廷を牛耳ってきた蘇我氏は滅亡律令国家建設を目指す「大化改新」が始まったと言われています。

実際、朝鮮半島を巡る唐=新羅(しらぎ)連合軍との戦いに敗退したため、朝廷では緊急かつ速やかに国体改革と制度の変更を断行しなければならない事情がありました。しかし、天皇中心の律令国家建設を目指す改革が、一体どこまで実現されたのか、疑わしいのも事実。天武天皇代に実現された改革が、大化改新に取り込まれていないとは言えません。

出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭