若松英輔さんが語る「詩人 永瀬清子の魅力」分断の時代に「詩の力」を信じたい【生誕120年】
「現代詩の母」と慕われる詩人 永瀬清子さんは、120年前の1906年、岡山県赤磐市に生まれました。
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生誕120年の記念講演のため、赤磐市を訪れた批評家の若松英輔さんに、永瀬清子さんの魅力をうかがいました。
(聞き手:RSK山陽放送 小林章子)
【若松英輔さん プロフィール】
批評家・随筆家。
「三田文学」編集長、読売新聞読書委員、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(2022年3月まで)などを歴任。
1968年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。
2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。
2016年「叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦」にて第2回西脇順三郎学術賞を受賞。
2018年『見えない涙』にて第三十三回詩歌文学館賞を受賞。
2018年『小林秀雄 美しい花』にて第16回角川財団学芸賞を受賞。
2019年『小林秀雄 美しい花』にて第16回蓮如賞を受賞。
2021年『いのちの政治学』(集英社クリエイティブ、対談:若松英輔:中島岳志)が、咢堂ブックオブザイヤー2021に選出。
2022年~永瀬清子現代詩賞 選考委員
2023年~河合隼雄学芸賞 選考委員
詩を我々の世界にもう一度取り戻してくれた人
──永瀬さんの魅力は、どのように感じられますか。
(若松英輔さん)
「永瀬さんは、今日の講演でも少しね、お話申し上げたんですけど、詩というものを、世に言われている詩人の世界から、我々の世界にもう一度取り戻してくれた人なんだと思うんですよね。
近代日本は、知らないうちにみんなのものだった詩が、詩人のものになっちゃったと思うんですよ。
本当は誰でも詩を書けるはずなのに、詩人と呼ばれる人しか詩を書いちゃいけないかのような雰囲気すら生まれている中で、やっぱり永瀬さんは、いやそうじゃないって。
詩を書く必要がある人がね、そのときそのときに言葉と出会い直せば、そこに詩が生まれるんだから、誰だって詩人になれるんだっていうのが永瀬さんの確信だったと思うんです。
だから、やっぱり詩壇と呼ばれている特別な世界の占有物じゃなくて、ほんとに人々に開かれたものなんだってことに、もう一回詩に命を与えてくれたのがやっぱ永瀬さんじゃないかって。
永瀬さんの詩ってのは誰にも似てませんでしょう。とっても独特な世界。読めば、あー、これは永瀬さんが書いたってことがなんか我々に伝わってくる。
詩というのは、それでいいんですよね。誰かのように書かなくていい。その人がその人であれさえすればいいわけだから。
詩ってやっぱり知らないうちにマナーができてたと思うんです。お作法があったような気がするんですよ。
それは何も決まりごとがなくて自由にやっていいってそういうことではなくて、もっとその人の中にあるやっぱり、切迫したものですね。
そういうものに促されて詩が生まれてくると、もうそれだけで十分美しいってことを永瀬さん教えてくれてんじゃないかなと思う。
だから、わざわざ美しくしなくても、切なるものは自ずから美しいってことを永瀬さん教えてくれてんじゃないかなと思いますけどね」
ふるさとが育む詩のこころ
──永瀬さんの詩が生まれた赤磐市の雰囲気はどう感じられますか。
(若松英輔さん)
「僕は、初めてではもちろんなくて、何度かお伺いしてるんですけど、やっぱり永瀬さんの詩ってここじゃないと生まれないなって思います。それはね、強く強く思います。
風土というと月並みなんですけども、我々は、言葉というものを時代から受け取るだけじゃなくて場所から受け取ってるんです。
方言ってそうですよね。方言だけじゃなくて、土地だからこそ大事にされてる言葉とか、特別な意味を持つ言葉みたいなものは、我々の人格を形成するんです。
我々は言葉によって、世界と自分っていうものを作ってくわけですよね。それが土地と深くつながってる以上、影響を受けないことはないと思うので。
永瀬さんはこの土地じゃなかったら違う詩人になってたと思います。やっぱり。それくらい重要ですよね」
生きることに学んだ言葉
──永瀬さんは、家事や育児、農業にたずさわりながら、詩を書き続けました。そういう中から生み出された言葉っていうのはすごく力があるなと思います。
(若松英輔さん)
「ありますよね。勉強って言葉ありますでしょう。勉強ってことと学ぶってことは全然違うと思うんですよ。
永瀬さんの言葉というのは、生きることに学んだ言葉。勉強した言葉じゃないんですよ。勉強した言葉ってのはやっぱり強いられて勉めているんですよね、我々は。勉強ってそういう文字ですよね。
学ぶということは、やっぱりその人自身から起こるんだ。だから、誰かに強制されてとか、そうじゃなくて、本当に自分の中から生まれてきた言葉が、やっぱり永瀬さんの詩になっているってのが、素晴らしいところではないでしょうか。
だから、詩について学ぶ、技法を学ぶっていうこともあるんだけど、それは実は今の僕の言葉でいうと勉強なんですよ。
だから、ほかの人がやっているから自分もやっているというのではなくて、やっぱり自分にとって本当にかけがえがないものを生きる中で、詩として生んだ。それがやっぱり永瀬清子という人です」
「一人の時間」が詩を生む
──永瀬さんは、夜明けから日が暮れるまでずっと畑や田んぼに出て、自然の中で一人でいろんな思いを巡らせていたからこそ、いろんな気づきがあったのかなと想像します。
(若松英輔さん)
「やっぱり人っていうのはなんだろう、一人の時間っていうものをね、もっと大事にしていいと思う。
だから一人の時間で僕は申し上げるのは、例えばSNSを開いちゃうじゃないですか。もう一人じゃないんですよね。
現代は、実は一人になるのがとても難しいって言えるのかもしれない。だから、見えない形でほかの人と不用意につながっちゃう。
そうではなくて、一人でいるということは、自分自身とつながり直すってことでもあるわけですよね。
そういう時間から詩が生まれてくるというのは、もちろん言えるし、そういう時間が我々を詩に導くという言い方もできるんだと。
だから我々が一人の時間を持ちにくくなるということと、詩とつながりにくくなるってことは、とっても深くつながっていると思います」
詩は一人のときに出会う
──書く側もそうかもしれないですし、読む側も、言葉に出会って、それを一人で染み込ませていく時間が必要ですね。
(若松英輔さん)
「そうですよね。だから、詩の授業ってあるじゃないですか。詩の授業の難しさというのは、一人になれないからなんですよ。
今は詩の授業だから、読んだら、皆さん、ちょっと一人で学校の周りうろちょろしてきていいよって。詩を味わってね、自分の中で思いを深めていいよ。
自分だけの詩に、今の詩を自分の中で育んでくださいなんて時間があったら、それぞれもっと自由にいろんなことを話すと思うんです。
だけども、我々が『なんかみんなが思ってるように話さなきゃならない』『先生が持っている正解はこれだ』みたいなことを思っていると、なかなかうまくいかないですよね。
だから詩はやっぱり一人のときに書け、そして一人のときに出会うんじゃないかなと思うんです」
今日という日を二度と生きることはできない
──永瀬さんの詩は、何十年も前に書かれたとは思えず、つい最近書かれたもののようにも感じられます。どうして、永瀬さんの言葉は、今でも生き生きとしているんでしょう。
(若松英輔さん)
「多くの人に開かれてることを普遍的って言うじゃないですか。その人がそのときに真剣に生きたことこそ、普遍的なんだと思うんですよ。
平均的ってことと普遍的って違いますよね。平均的ってのはよくあること。普遍的というのは、一個の人間が一回きりの人生を真剣に生きたことこそ、普遍につながってく。
だから、永瀬さんの詩ってのはなんとなく多くの人はこう思ってるよねっていうことを書いたわけではなくて、自分が本当に切実に感じてることを、そのときにしか書けないことをとき書いている。
ただ、それだけのことなんだけども、それがゆえにやっぱり世紀をまたいで、何十年って歳月を、またいでですね、人の心を揺らし続けるんじゃないかなと思うんですよ。
だから、永遠なるものというのは、固有なときに生まれるんだと思います。いつでも生まれるんじゃなくてね。
我々は、今日という日を二度と生きることはできないじゃないですか。すごく単純なことなんですけど、永瀬さんの詩に出会って、そんな当たり前のことを深く感じ直せていけたらいいんじゃないかなと思いますけどね」
詩は、思いもよらないところに届く
──きょうの講座には、若い世代の参加もありました。時代を越えて永瀬さんの言葉が届いていますね。
(若松英輔さん)
「さっきもちょっとお話したんですけど、芸術というのは、生きているんですよね。剥製ではないんです。
我々は例えば、動物の剥製ってあるじゃないですか。それは動かないし、別に悪さもしないんだけども、生きたものっていうのは、思いもよらないところに届いたりするわけなんですよ。
詩の言葉っていうのは、永瀬清子さんの詩はこういう人が好きでね、こういう人が読んだら、大事にしてくれるんじゃないかみたいな、そんな想像をはるかに上回っていくんですよ。
永瀬さんの詩ってのはまさにそういう力を宿しているし、思わぬところに届く手紙なんじゃないでしょうかね、やっぱり。現代は狙ったところに言葉を投じがちですよね。
でもね、詩を書くことは、そういうこととはちょっと違うと思う。
自分でも誰に送っているか分からない、未知の他者への手紙でもあるんですよ。
もちろん詩は、自分自身への手紙ですけど、自分自身への手紙であるとともに、誰かとこちらが想定することのできない未知なる他者への手紙だから、だから真剣にやったほうがいい。
自分がこの人だったら分かってもらえるだろうっていうところで終わらないんですよね。だから、情熱を注いでいいんだと思いますけど」
人は誤ったり挫折したりつまずいたりしてもいい
──永瀬さんは戦争を経験しました。戦時中は思うように詩がかけず、辛い時期だったようです。戦後、『降りつむ』という詩を書いていますが、平和への願いが込められているように感じます。
(若松英輔さん)
「詩人っていうのは詩を書くことによって自分の人生を作っていくわけですよね。
でき上がったものを歌っているような雰囲気が、もしかしたら世の中にあるかもしれないけども、そうではなくて詩を書くことによって自分の人生を作っていくんだと思うんですよ。
だから永瀬さんは、最晩年まで詩をお書きになり続けたわけだけども、彼女の人生を、このときはこうだった、あのときはこうだったということではなくて、そのときそのときに彼女が、真っ正面から向き合って、それと戦って。
人というのは、もちろん思うようにならないことがたくさんあるわけだから。
僕は、永瀬さんだけじゃないんですけどね。人の人生を、あとから採点するようなことは我々はないほうがいいと思う、まず。それと、そうすることをね、僕は、自分にもしないほうがいいと思うんですよ。
詩を書くことのとても大事なことは、人は誤ったり挫折したりつまずいたりしてもいいと。だけどそれが明日につながるんですよね。そして、我々はそこを作っていくことができる。
だから、我々は詩を書くことによって深く学ぶんじゃないでしょうか。我々はでき上がったものをなぞるように詩を書くんじゃなくて、詩を書くことによって自分の人生を作っていくって言ってもいいぐらい。
僕は、そういう思いがなければ詩を書くことはなかったですね、やっぱり。必然があったから詩を書いたって言ってもいいぐらいなんだけども、永瀬清子さんみたいな方はそれがあったから生涯書き続けたんでしょうね。
だから、詩というのは、自分の人生をあとから見て書くことではなくて、詩を書くことによってやっぱり今を作っていくんじゃないでしょうか」
美智子さまが英訳された「降りつむ」
──永瀬さんの『降りつむ』は、美智子さまが英訳されて海外でも読まれています。
(若松英輔さん)
「美智子さまの翻訳は素晴らしいですね。美智子さまご自身が、とっても詩的な精神を宿してらっしゃる方だから、とっても深いところから訳されてるのが印象的ですよね」
「詩の翻訳は、言葉を記号的に置き換えるだけではやっぱり難しくて、言葉たりえないところまで引き受けて翻訳なさっていることが、上皇后様の素晴らしいとこだと思うんです。
一つの創作だって言ってもいいぐらいだと思います、僕。もちろん翻訳なんだけども、翻訳ってのはやっぱり一つの創作なんですよね。
そういうことを促すぐらいの力が永瀬さんのあの詩には元々あるってことでしょう。それが素晴らしいと思う」
──英訳されたことによって、英語圏の方々にどんなふうに受け止められるんでしょう。思わぬところへ届くかもしれませんね。
(若松英輔さん)
「いや、それは本当にそうだと思うんです。例えばドストエフスキーって作家がいるじゃないですか。で、ドストエフスキーは、ロシア人じゃなければ分からないところってあると思うんです、僕。
あると思うんだけどもね、ロシア人には見えないところもあると思う。だから、それは、永瀬さんの詩も同じだと思う。
日本語で味わわなきゃ分からない響きってあると思うんですよ。でもね、英語に訳した、そして、日本語を母語としない方だからこそ、見つけてくださる、永瀬さんの新しい可能性って、僕はあると思います。
だから、そういうことを試みてくださったことは、上皇后様は素晴らしいなと思います」
我々の目に見えないところでも詩は働き続けているかもしれない
──「降りつむ」には、平和を願う祈りを感じます。分断や格差が広がっている時代に、この詩がどこまで遠くに届いていくだろうと期待しています。
(若松英輔さん)
「詩は手紙だというのは、本当に例えじゃなくて、受け取った人間がどの深さでそれを受け止めてくれるかによって、詩の運命ってのはまた変わってくるわけでしょう。
だから、我々はその詩が、今どう働くのかってことも、もちろん我々は期待したいし、信じてもいたいんですけども、我々の目に見えないところでも詩は働き続けているかもしれなくて」
「だから、詩の頼りなさみたいなものを我々が感じがちな現代の中で、詩の力っていうものはやっぱり我々心のどこかで信じていいと思うし。
詩ってのは言葉じゃなくて沈黙によって語ろうとすることでもあるので、人はね、言葉と言葉ではつながることが難しいときにも沈黙によってつながることはできるんだと思うんですよ。
詩は、それを促す可能性があるので。特に永瀬さんの生んだ言葉も、僕は大事だと思うんですけど。
永瀬清子が生んだ沈黙ということも、我々は少し注目していいし、詩を味わうってことはそういうことじゃないかと思うので。そんな可能性も僕は大事にしたいなと思います」
永瀬さんは美しいものを見分けられる人
(若松英輔さん)
「永瀬さんは、本当に美しいものをちゃんと見分けられる人。そして、美しいものはしばしば目に見えないってことをちゃんと分かってる人。
それは、永瀬さんの魅力だな。そういう人がいてくれるって思うと、我々は、人間を信じられるじゃないですか。
嫌なことがたくさんあって、人間って大丈夫なのかなって。人間って自らを滅ぼしていくんじゃないかっていうときに、いや、我々はもう一回人間を信じてみようって永瀬さんの詩を読んでいると思いますもんね。
そこが、現代にはもしかしたらある力を持つかもしれない」
「争いの時代、分断の時代っていうのが我々から何を奪うのかってことなんですけどね。一つは意味です。我々がこう、築き上げてきた意味というものが瓦解する。これはね、とっても悲しいことだと。
だけど、もう一つはね、美しいものを我々は、軽んじるようになると。
我々は美しいものがなくては生きていけないから、美しいものを大事にできるような社会っていうものを作っていく。
そして、そういうところに、一人一人にとってかけがえがない詩が生まれるわけだから、もう少しだけ開かれて考えていけるといいなと思いますね」
「詩はね、表現の問題だけにとどまらない。もっと可能性を秘めたものだから、そうじゃなかったら詩って消えてると思うんですよ、僕。
我々は詩の可能性、詩の力っていうものを現代人は少し見失っているので。
永瀬さんや永瀬さんともとても親しかった谷川さんとかね、そういう人の言葉を読み直すことで、自分の中でそれをよみがえらせたら素晴らしいなと思いますけどね」
あけがたにくるのは、誰?
──ところで、晩年の詩「あけがにくる人よ」の「くる人って誰なの?」とさまざまな解釈がありますが、若松さんはどのようにお考えですか。
(若松英輔さん)
「どういう人かっていうことよりも、どう言ったらいいんでしょうかね。自分にだけ感じられる、僕の言葉で、不可思議な隣人なんですけど。
人ってそういう人って生きているんじゃないでしょうか。そして詩の世界というのは、僕は全然空想って意味ではなくて、むしろ、現実社会よりもはるかに深い現実だって僕は言いたいんですけどね。
そういう人ってみんなにいるんじゃないでしょうか。でも、それは人には言わない。人には言えない。
だけど、永瀬さんがああいうふうに言葉にしてくださると、あ、そういう存在は自分にもいるっていうことに、やっぱり我々が気が付いていくってのがやっぱり大事で。
永瀬さんにとって、あそこで描かれているのがどういう人だったかってことは、実は我々にはあんまり大事なことではないかもしれない。
だけど我々にとってそういう存在がいるってことは僕は素晴らしいことだと思うし。人生を限りなく豊かにしてくれるものだとも思います」
