途中で帰国した阪神「ダメ助っ人」の名前が…キャンプ地に名を残した“選手列伝”
今年からロッテの1軍キャンプ地になった宮崎県の都城運動公園内の野球場が、同じロッテグループ・ロッテ株式会社のネーミングライツで「コアラのマーチスタジアム」と命名され、「冗談みたいな名前の運動場」「めっちゃ可愛いやん」など、大きな反響を呼んでいる。これまでにも、各球団のキャンプ地では、監督や選手ゆかりの球場名や防球ネットなどが何度となく話題になっている。【久保田龍雄/ライター】
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サンマリンなんかいいねえ
球場名といえば、2001年2月にリニューアルオープンした巨人のキャンプ地・宮崎の「ひむかサンマリンスタジアム」(旧宮崎市営野球場)も、当時の巨人・長嶋茂雄監督が命名に関わった一人になったことで知られる。

話は長嶋監督が26年ぶりに栄光の背番号3を復活させた前年の宮崎キャンプに遡る。
ちょうど県教育委員会が新球場の名称を公募中とあって、「どんな名前がいいと思われますか?」と取材記者に問われたミスターは「サンマリンなんかいいねえ」と答えた。
その後、全国から7285通、2350種類のアイデアが寄せられ、1次、2次審査を経て、「太陽と海のイメージが宮崎らしく、響きもいい」という理由から、長嶋監督が提案した「サンマリン」に決定した。ちなみに「サンマリン」を含む名称の応募は、偶然にも長嶋監督の旧背番号と同じ33通あった。
抽選の結果、宮崎市在住の会社員が受賞者に選ばれ、長嶋監督自身も個人として「サンマリン」で応募していたことから、“名誉命名者”として同委員会から他の応募者とともに表彰された。
また、長嶋氏は現役時代の1967年から73年までの7年間、大好きな富士山が見える伊豆・大仁温泉で自主トレを行っていたが、その後、地元・伊豆の国市が当時のランニングコースを整備し、16年3月に「長嶋茂雄ロード」の名称で再現、「大変ありがたい話です」と命名を快諾した長嶋氏も同年5月に現地を訪れている。
“大型扇風機”ぶりを露呈
阪神のキャンプ地、高知県の安芸市営球場に名を残したのが、1994年に来日したロブ・ディアーだ。
190センチ、105キロの巨体からメジャー通算226本塁打を記録した“世界屈指の飛ばし屋”の入団が決まると、同球場の左翼後方の「フィルダーネット」(高さ7メートル)に3メートル継ぎ足した「ディアーネット」が設置された。
フィルダーネットは、89年に来日したセシル・フィルダーがキャンプ中に場外弾を放った際、球場後方の駐車場に停めてあった関係者の車両を直撃したことから急きょ設置されたものだが、デトロイト・タイガース時代に左翼スタンド2階席の屋根を超える特大アーチを放ったディアーは「フィルダー以上」とみられたのだ。
はたして、2月8日、チームに合流したディアーは、初お披露目の打撃練習で108スイング中18本の柵越え弾を放ち、うち1本は球場の左翼後方にあったディアーネットを直撃する推定150メートル弾となった。
「(バットも)ごつくて、長くて重い。ありゃ飛ぶな」と中村勝広監督の目を見張らせたディアーは、同11日の特打ちでも5連発を放ち、「4番間違いなし」と期待された。
だが、シーズン開幕後はホームランか三振か、という“大型扇風機”ぶりを露呈。打率.151、8本塁打、76三振と期待外れの成績に終わり、ディアーネットの名前だけ残して8月に寂しく帰国した。
その後、同球場では、99年に一本足打法から二本足打法への改造に成功した大豊泰昭が160メートルの打球を放ったことから、右翼後方に高さ14メートルの「大豊ネット」が設置され、ディアーネットも影が薄くなってしまった。
イチローポイント
1996年にはオリックスのキャンプ地・宮古島の選手宿舎近くのダイビングポイントが、当時球界ナンバーワンの人気選手だったイチローにちなんで、「イチローポイント」と命名された。
93年にオリックスのキャンプ地になって以来、同島は観光地として注目度が高まり、宮古島商工会議所によれば、総額30億円の“オリックス効果”があったという。また、同年開かれた「オリックス祭り」には、小雨が降るなか、島民の4分の1にあたる約1万人が集まる盛況ぶりを見せた。
そこで、宮古島のもうひとつの観光の目玉であるダイビングでも、オリックスとの相乗効果を当て込んだという次第だ。
入団2年目の鈴木一朗時代から宮古島に来ているイチローも「オリックスのキャンプで活気が出て、夏になっても(活気が)変わらなければ」と通年での効果を期待していた。
その後、01年にイチローがメジャー移籍し、オリックスも14年を最後にキャンプ地から撤退すると、次第にイチローポイントの呼称も影が薄くなっていった。宮古島観光協会に問い合わせたところ、30年の月日が経過した現在は「その名称は使われていません」という答えが返ってきた。
自らの名前が球場名になる話が持ち上がったのが、日本ハム選手時代の新庄剛志だ。
2006年2月18日、完成したばかりの沖縄・国頭村のくにがみ球場で行われた紅白戦で、紅組の4番・新庄は5回の2打席目、「打法名はまだ早い打法!」で立石尚行から右翼ポール際に本塁打を放った。同球では1月11日に行われた地元・辺士名高校の現役対OB戦で本塁打が1本出ていたが、球場関係者は「新庄さんが第1号だったことにします」と発表した。
球界随一の人気選手が“認定第1号”を放ったことで、村民からも「落下地点に銅像を設置したら」「球場名に新庄の名を入れては」などの声が出た。地域活性化のため、村でも検討する可能性があると報じられたが、マスコミの話題づくりという印象が強かった。
あれから20年、現在も同球場は日本ハムの2軍キャンプ地として使用されているので、今季新庄監督率いる日本ハムが日本一になれば、話題再燃の可能性もありそうだ。
久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。
デイリー新潮編集部
