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総務省統計局が令和7年9月に公開した「統計からみた我が国の高齢者」によると、2040年には総人口に占める65歳以上人口の割合が34.8%になると推計されています。そんななか、「高齢社会である日本においては、介護業界は世界に先駆けた産業を創出するポテンシャルがある」と前向きに語るのは、株式会社EEFULホールディングス 代表取締役の森山穂貴さんです。森山さんは東京大学在学中に株式会社emome(現:株式会社EEFULホールディングス)を設立し、現在は介護事業所向けのSaaS・在宅介護事業所の運営を行っています。今回は、そんな森山さんの著書『未来をつくる介護』から抜粋し、再編集してお届けします。

【書影】介護を知ることは、日本の未来の競争戦略を知ることだ。森山穂貴『未来をつくる介護』

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介護の「不」

介護の「不」として現場で起こっているリアルをお伝えします。

介護報酬で得られる利益がごくわずかだと、まず現場に「常時走り続けなければ沈む」という空気が漂います。

経営側は1%でも稼働率を上げようと、空床が出るたびに即日入居の調整を現場に求めます。職員はケアと並行してベッドメイキングや家族対応に追われ、「今日は腰を据えて利用者の話を聞こう」という余裕が奪われやすくなります。

1円でもコストを切り詰めたい経営判断は、制服や備品の更新時期にも影響します。

古いナースコールや摩耗したリネンをだましだまし使い、結果として搬送事故や肌トラブルのリスクが高まることもあります。現場は「安全と節約、どちらを優先すべきか」と葛藤しながら、日々の判断を迫られます。

人件費を抑えるためにシフトはギリギリで組まれ、突然の発熱や家庭の事情で欠員が出ると、リーダー格が自分の休日を差し出して穴を埋めます。新人は「休むと先輩に迷惑がかかる」と有休取得を遠慮しがちで、未消化休暇が積み上がります。夜勤明けでそのままリーダーミーティングに出ざるを得ず、「夜勤の後は思考が停止しているのに議事録を書かされた」といった声も聞きます。

黒字が出にくい料金体系が職員の働き方に落とす影

加算(基本単位に加えて事業所の報酬が増える制度)を取るための書類作成も職員の時間を圧迫します。

処遇改善や特定処遇改善を満たすには研修計画・評価シートの作成が必須ですが、作った書類が給料に反映されるまでタイムラグがあります。「書類を増やしたぶん、結局はサービス残業で補っているのでは?」と、徒労感を覚える職員も少なくありません。

こうした負荷が続くと、現場の会話は「また人が辞めたらどうしよう」「加算の手当が出るのはうれしいけれど、身体はきつい」という発言で埋め尽くされます。ケアの質を守ろうと真面目に取り組むほど、自分の生活が後回しになる矛盾がストレスとして蓄積し、バーンアウトを招くのです。さらに、これは現場目線だけではなく、経営においても現場スタッフのパワーバランスが強くなり、大きな意思決定がしづらい状況にもつながります。

さらに、薄利構造は“挑戦”の芽を摘むことにもつながります。

新しいレクリエーションやICT導入のアイデアが出ても、「それってコストを回収できるの?」という問いで議論が止まることがしばしばあります。結果として、現場は保守的なオペレーションに終始し、職員は成長や達成感を感じにくくなります。「別の業界でスキルアップした方が自分の未来を描けるのでは?」という転職動機が生まれるのは、この瞬間です。

要するに、黒字が出にくい料金体系は、単に法人の決算書を圧迫するだけではありません。シフト、備品更新、研修、休暇取得、イノベーション――あらゆる局面で職員の選択肢を狭め、「質を高めたい」という専門職としての動機と「コストを抑えたい」という経営の理屈を衝突させます。

その板挟みこそが、現場の疲弊を底流で支える最大の要因なのです。

“人手不足”の現実と誤解──配置基準を満たしても足りないと感じる理由

介護現場では「人手が足りません」という声が日常的に聞こえます。しかし統計をのぞくと、法定の人員配置基準はおおむね充足している事業所が多いのも事実です。

このギャップが生まれる背景には、配置基準の“計算上の充足”と、現場が肌で感じる“運用上の不足”という二重構造があります。

まず配置基準は、「利用者*名に対し常勤換算で職員*名」という数式等でおおよそ決まります。

ところが常勤換算には夜勤者や短時間パートも含まれ、休暇や突発休の穴埋めを考慮しません。実際には週40時間勤務の常勤が1人欠けるたびに、複数のパートが休日や夕方に飛び込んでシフトを埋めます。

帳簿上は人が足りていても、現場感覚では“余白ゼロ”で走り続けているのです。

次に、利用者の状態は数式には収まりません。同じ要介護3でもAさんはトイレ誘導が自立に近く、Bさんは全介助というケースは珍しくありません。

人員配置は平均で計算されるため、重度者が増えるほどスタッフ1人あたりのケア負担は指数関数的に跳ね上がります。「去年と同じ定員なのに仕事量は倍になった」と嘆く声は、こうした臨床のグラデーションを映しています。

休みを取ると職員間の空気が重くなる

休暇取得も大きな壁です。慢性的人手不足の現場では、有休を申請するたびに「代わりは誰?」と尋ねられることもあります。結局、リーダーやベテランが自身の休日を削って穴を埋めるため、若手は休暇取得を遠慮する悪循環に陥ります。

休みを取ると職員間の空気が重くなる──この心理的コストが、数字に表れない“人手不足感”を深めています。


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さらに、「ひとりあたりが担う業務種類の多さ」はこの“人手不足感”に大きくつながります。時間単位あたりの忙しさは、大手飲食チェーンの店と比べて控えめです。しかし、より種類が多く、「何から手をつけようか」という思考コストが忙しさを知覚させるものにつながっています。

そして、「多職種連携」という理想と現実の隔たりも見逃せません。

リハ職や看護師が配置されていても、シフトが合わず情報共有が断片化することがあります。結局、介護職が看護の連絡調整やリハビリの補助を担い、本来のケア以外の雑務が膨張します。人員票には名前が並んでいても、同じ時間帯にフロアで動ける“実働人数”は想定より低いのが常です。

夜勤体制も人手不足感を増幅させる要因です。2ユニット60人を夜勤2人で見るシフトは基準上問題ありませんが、片方がトイレ対応中に転倒コールが鳴れば瞬時にパンクします。

夜勤者は「誰かが倒れたら一人で対応できない」という不安を常に抱え、心身の疲労を蓄積します。

現場が体感する“余力”をどう可視化・確保するか

こうした綱渡りの運用は、職員の心理に影を落とします。

「自分が休むと現場が崩れる」「ミスが起きても責任を取るのは自分」といったプレッシャーが常態化し、仕事そのものより“欠員を出さないこと”に意識が傾きます。やりがいを感じる余裕が削られ、離職を検討する動機へと変わります。

社会的には「人手不足=工数削減でカバー」と思われがちです。しかしその考え方は介護においては誤っている部分があり、多くの介護領域での事業開発が過ちを犯しています。

人手が不足しているのは市場全体であり、事業所単位では「最低限の人員は充足」している状態です。また、現実的には人にこれ以上のコストを割くことができない経営状態があります。

人手不足の課題は、今日の事業運営ではなく、「人が不足した時の充足方法が足りていないこと」にあり、今日の事業運営が逼迫していることとは必ずしも一致しません。そのことを、介護領域での事業開発を目指す人は認識する必要があります。

誤解を正すには、まず“人員=人数”の発想を改め、シフトの余白・業務量・スキルミックスを評価軸に組み込む必要があります。

たとえば、有給取得率や突発休カバー率をKPIに設定し、一定の“空席”を前提に人を配置する。あるいは看護助手や介護補助を戦略的に組み込み、資格者が専門業務に集中できる環境を整える。カレンダー上の人数合わせではなく、現場が体感する“余力”をどう可視化・確保するかが、人手不足感を緩和する第一歩になります。

※本稿は、『未来をつくる介護』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。