田中秀道が語る苦悩の19年間 ショットイップスで「右プッシュスライスのOBが止まらない」
【連続写真】大きなタメを作ってビッグドロー! 田中秀道、2002年のドライバースイング
◇ ◇ ◇高校時代は背が小さいこともあって飛距離が出なかった。「広島オープン」や「中四国オープン」を観戦したとき、倉本(昌弘)さんはテンプラを打ったと思ったら、キャリーで280、290ヤード行くわけです。それを見てプロとして通用するためには、上に角度が必要だと感じました。とにかくスピードを上げるために、ギリギリまでリリースを我慢してタメ込んで、フォロースルーで全部解放するスイングを高校の頃に始めたのです。右斜め上45度に打ち出して、林の上から回してくるハイドローで戦っていましたね。2002年から米ツアーに参戦して、フェードを打てないと戦えるコースが少ないと感じたのは2年目のときでした。ちょうどドライバーのヘッドが大きくなるタイミング。インサイドからフェースがオープンで入ってきて、フォロースルーで閉じていくボクのドローだと、ボールが操りにくくなった。ボールも進化して曲げづらい。米ツアーで戦いながら、スイングチェンジする余裕はありませんでした。
1995年に日本ツアーにフル参戦してから、アメリカを駆けずり回って約10年。振りちぎり続けた疲労感と体力的な衰えで、うまくいかなくなった。07年に日本ツアーに復帰してからも、イップスで右に出てスライスする球ばかりでOBが止まらない。「120」を切れないときもありました。若いときは自分の体をしならせまくって目一杯振っていた。バックスイングの途中で左に切り返し、タメを作ってリリースをギリギリまで我慢。フォロースルーでバネのように解放してドローを打っていたのです。インパクトでの自分のポジションは左足の上。ボールよりも先にありました。以前のスイングだと、シャフトが戻ってこないと振り遅れて右にすっ飛んでいきます。さらに、クラブの挙動が変だと嫌だから、XXX(トリプルエックス)くらいのガッチガチに硬いシャフトを使っていたんです。今の道具はタメた時点で右にスッポ抜ける。それでシャフトのしなり戻りにタイミングを合わせればいいんだと昨年気付いたのです。シャフトを軟らかくして、しならせることでインサイドから下ろしてドローを打っています。自分が頑張ることはまったくやっていません。クラブのしなり戻りを待ちたいので、自分がボールよりも右サイドにいることを心がけています。フォローはクラブに任せて後から体がついていくだけ。今は狭いホールでもOBが怖くなくなりましたね。
■田中秀道たなか・ひでみち/1971年生まれ、広島県出身。2001年までに「日本オープン」を含む日本ツアー10勝を挙げ、02年から米ツアー参戦。05年頃に「切り返しでクラブが消える」ドライバーイップスを発症し、約19年間苦しんだ。昨年から復調の兆しを見せている。信和ゴルフ・ゴールデンバレーゴルフ倶楽部所属。
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