年収3億から激減…石田純一(70)、電車通いで焼肉店で働く現在「ゴルフの会員権、車、家、全部売りましたよ」
かつて、トレンディー俳優として絶大な人気を博した俳優の石田純一(70)。俳優・タレント・ニュースキャスターなど様々なジャンルで活躍するも、最近ではテレビ出演が減り…2023年から、千葉県・船橋市で焼肉店を経営している。ABEMAエンタメは郊外の焼肉店で働く石田に独占密着。現在の姿に迫った。
取材日当日、石田が待ち合わせ場所に指定してきたのは…自身の店がある船橋の駅。都内の自宅からおよそ1時間半電車を乗り継いで通っているという石田。
ーー船橋に出店した理由は?
石田:ちょっと通ると…船橋ってセンベロ?千円でベロベロになるすごく安くて、まあまあおいしい、でもめちゃめちゃ安いお店が結構あって。普段だったらそうですね、もう4時5時、土日だと3時ぐらいからみんな飲んで酔っ払ってます。そういうところがいいかなと。
ーー石田さんなりのリサーチがあってなのですね。
石田:そうそう。この辺の雰囲気が自分の中の船橋。こういうところに来てたんですよ。そういうところで最初からこの辺狙っていて。この辺の高層マンションなんかはまだ駅前にできるんですけれども。自分たちも買えないような高級な高層マンション。
ーー石田さんでもですか?
石田:買えない、買えない。はっきり言うと“絶対失敗できない”っていうのはあったので。ここなんですけど。なんか一軒家みたいな。ここ1個独立していて、すごくいい物件だなと。
ーーお店はいつから始めたんですか?
石田:去年の5月です。
ーー店名はどうやって決めましたか?
石田:昔それこそ小泉純一郎元首相にお会いした時「じゅんちゃん!同じ“じゅんちゃん”だから頑張ろうな」って言われて。看板の文字は自分で書きました。
ーー直筆なんですか?
石田:はい。自分たちのアイデンティティっていうか。
ーーどれくらいの時間働かれているんですか?
石田:基本的に午後5時から午後10時半。自分はほとんどラストまでいます。要するに午後11時25分発の船橋の駅発が最終なんですよ。自分のお家帰るのに。で、時計見ると大体1時です。だから1時間半かかります。
2023年5月オープン。船橋駅から徒歩3分の「炭火焼肉ジュンチャン」は、品質にこだわって仕入れた、上質な国産牛を炭火で楽しめる焼肉店。石田が店に来た際は、ホール業務を担当するそうだ。肉の品質だけではなく、焼く炭にもこだわりをもつ石田。芸能人であることを忘れさせるような働きぶりで、石田自ら、お客さんをもてなす。
ーー学生の時にこういうバイトをしていたのですか?
バイトは皿洗いのバイトをしてました。役者になってから、劇団員の頃。ま、唯一親に誉められたっていうか。うちの親父に褒められた記憶は無いけど。朝早いから、うち出る時は真っ暗。その時に親父とリビングルームで鉢合わせして「おお」「こんな朝早くどこ行くんだ」って言われて。「バイトで皿洗い行っていきます」って言ったら「皿洗いってまだやってんのか」って。2年やってたんですけど、「やってます」って言ったら「そうか、偉いな」って言われて。
「びっくりするぐらいお金は入ってきた」ブレイクした当時を回顧
1954年、東京・目黒で生まれた石田。NHKのアナウンサーだった父は、厳格な人で、親子の会話は少なかったそうだ。学生時代は、都内の進学校の野球部に所属し、エースで4番として活躍。その後、進学した早稲田大学を中退し役者の道へと進んだ。
石田:(役者として)世の中で認められるまでは10年かかりましたちょうど。だからアルバイトして食っていましたね。舞台をやる時は自分たちもトンカチ持って泊まり込んでやりました。劇団に通うのに地下鉄が高いんで渋谷から、新橋まで歩いてました。まあ(アパートは)普通の1Kですね。今の若い人と一緒だと思いますが。
ーー何畳とか覚えてますか?
石田:全部で10畳ぐらいじゃないかな。でもなんか月が見えたから。いつも月と会話じゃないけど、そんな景色は覚えてますね。やっぱり好きな世界に飛び込んだけど、結局ちょっとな…っていう感じでした。
10年間の下積み生活を経て…W浅野で話題になったドラマ『抱きしめたい!』に出演。遅咲きながら、34歳で俳優としてブレイクした。
石田:だって岩城滉一さんに言われましたもん。「お前な、今が一番いい時だぞ」って。この後は煩わしくなったりとかもちろん半分妬みもあるから。だけど相当色々何だかんだ言われて辛いよ、と。「だから今一番楽しんどけ」って。『抱きしめたい!』でちょうどヒットした頃。
ーー“楽しみ過ぎちゃった”ことはありますか?
石田:ははは。いやいや、だけど本当にね、びっくりするぐらいお金は入ってきたりしましたね。けど使う暇がない。もう寝る暇無いんで。
ーーどのくらいの年収があったんですか?
石田:全部足してですけど、年収は3億くらいですかね。
一躍、トレンディー俳優の仲間入りを果たした石田。その後は、カーディガンを巻き、素足で革靴を履く姿と、プレイボーイキャラでバラエティー番組でも活躍した。
テレビの出演本数が激減したワケとは…
石田:何が悪いのかは想像でしかないんで。例えばコロナの時の対応が悪かったとか、出歩いたとか、そういうのはやっぱり言われてもしょうがないですけど。でもそれで全部ね、人格否定はいいけど、人生まで否定されたらちょっと辛いですけど。
ーー芸能のお仕事、テレビはどのような状況ですか?
石田:全然減ってますよ。テレビはもう相当減ってますけど。
ーーCMは何個くらいありますか?
石田:9個が1個に。8個無くなりました。
ーーテレビのレギュラーはいかがですか?
石田:ありました。3つとも無くなりました。4年経ったのでまたちょっと出てきていますけど。ゴルフの会員権、車、家、それ全部売りましたよ。でも誰にも迷惑かけずに暮らしていけるので、それをとやかく言われる筋合いは全くないので。
ーー聞きづらいですが、収入も結構落ちましたか?
石田:それは全然落ちていますよ。普通にこの間まで取っていた額の半分にいくかもしれないと思ったのは、まあデモに行って。それは戦争反対という意味でのデモに行きました。それでうちの奥さんには「収入半分になるかもしれないけど、もうどうしても俺は行かなくちゃいけない」って。「止めても行くんでしょ?」って言うから「行くよ」って。半分になると思ったら10分の1になりました。
家族との暮らしを守るため、焼肉店をオープンさせた石田。70歳になっても、精力的に店に立ち続ける。
石田:本当真剣な話をしちゃうと(経営は)まあまあ良い所まで来ているかなと。今だいたい月、いわゆる売上でいうと1千万前後なんですね。それはすごい今の世の中だったらすごくありがたい。
今後の野望を明かす「3年後にはまた復活してますよ」
ーー俳優業のオファーは今ないのですか?
石田:そうですね、なかなか無いですけどね。ただ仕事がなかったらそれで嘆いていてもしょうがないんで、やっぱり仕事は自分で作りますよ。だから映画は撮ります。映画は今ずっと脚本を書いているし。脚本いくつも書いているんですけど、1つはもう絶対実現できるやつをやっぱり考えてやろうと思います。
ーー監督はどうするのですか?
石田:監督やるんです。
ーー脚本兼監督ですか?
石田:プロデュースも。一昨日まで韓国ロケしたんだけどもバスの中でも飛行機の中でも脚本を書いてますし。どういう映画っていうとスパイものですね。だからやっぱり映画の醍醐味であるその緊張感とか、サスペンス。来年2025年にはもう絶対クラインクインしてますし。
ーーいしだ壱成さんも役者やられていますが、息子さんを使うとか構想はあるのですか?
石田:メインではないですけどもちろん使いたいですね。もう彼はいまだに結構いろんなお客さんが言ってくれるんだけど、すごいやっぱり天才っていうか、そういう部分あるんでぜひ一緒に仕事はしたいと思ってます。だからやっぱり甲子園の借りは甲子園で返すみたいな。芸能で「最近出てないね」とか、一般の人から「頑張ってください」っていう声も多いですけど。3年後にはまた復活してますよ。はははは。
(『ABEMA NEWS』より)