ステイホームのお供に! 2021年の傑作ミステリーはこれだ!【前編】<編集者座談会> 文春きってのミステリー通編集者が2021年の傑作をおすすめします。
司会 オミクロン株におののきながらリモート勤務しているうちに、気がつけばとっくに2022年が始まっていました……! 遅ればせながら、ふだんミステリーを担当している文春の編集者が集まって、2021年のおすすめ作品を総まとめする座談会をお届けします!
参加者は、文庫編集部のAさん(『葉桜の季節に君を想うということ』『隻眼の少女』など担当。最近は華文ミステリーを手がける。最愛の1作は中井英夫『虚無への供物』)、翻訳ミステリー担当部長のNさん(文春初の大学ミス研出身者。海外ミステリー一筋20年。最愛の1作はJ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』)、週刊文春のKさん(「ミステリーレビュー」担当。最愛の1作は泡坂妻夫『亜愛一郎の転倒』)、別冊文藝春秋のKUさん(雑食。最愛の1作は連城三紀彦『戻り川心中』)。司会はオール讀物のI(文春2人目の大学推理研出身者。最愛の1作は島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』)が務めます。では、さっそく国内作品から見ていきましょう。
【国内編】
司会 各社のベスト10を見ると、米澤穂信『黒牢城』(KADOKAWA)をはじめ、知念実希人『硝子の塔の殺人』(実業之日本社)、今村昌弘『兇人邸の殺人』(東京創元社)、阿津川辰海『蒼海館の殺人』(講談社タイガ)、辻村深月『琥珀の夏』(文藝春秋)などなど、すでに上半期の座談会で紹介した作品が多くランクインしています。これらについては、昨年夏のこの会でたっぷり話しているので、そちらを参照していただけたらうれしいですが、何か加えることがあれば。
K 振り返ってみると、米澤さんの『黒牢城』は強かったですね。各社のベスト10ですべて1位。山田風太郎賞、直木賞と、文学賞も続けて受賞しました。

『黒牢城』で直木賞を受賞し、会見に臨む米澤穂信さん
N 僕は前回の座談会で、「山田風太郎へのオマージュ」という観点で感動して『黒牢城』をおすすめしたので、山風賞受賞はまさにピッタリ。自分の評価がマニアックな観点であることは自覚してるんですが(笑)、その意味でもエンタメとして幅広い評価を得たのはうれしかったです。有岡城内で起こる不可解な事件の謎解きに米澤さんらしい緻密さがあるのはもちろんのこと、荒木村重の籠城戦を通して大きな歴史の転換点が描かれていることが高い評価に繋がったのかなという気がしました。「戦国歴史小説」の器をしっかり構築したことで、本格ミステリーファン以外にも訴求する柄の大きさや、強いドラマ性が生まれたのではないでしょうか。
同じく「柄の大きな作品」として、このミス、文春、早川の3つで2位にランクインした、佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)も似たような魅力をもつ作品だと思います。
司会 『テスカトリポカ』は前回の座談会で紹介しきれなかった作品なので、少し詳しく話しましょうか。メキシコの麻薬組織が新興勢力との抗争で滅ぼされ、組織を仕切っていた一族の生き残りであるバルミロという元マフィアがインドネシアへと逃れるんですね。彼がジャカルタで日本人の闇医者と出会い、新たなビジネスを思いついて日本へと密入国してくる。いっぽう日本の川崎には、日本人ヤクザとメキシコ人女性とのあいだに生まれたコシモという少年がいました。親からネグレクトされて育ったコシモ少年と、バルミロとが邂逅することで、とんでもない物語の幕が開くことになります。

『テスカトリポカ』(佐藤究/KADOKAWA)
N いま世界を見渡した時、犯罪小説の舞台としていちばん危険な場所はメキシコの麻薬カルテル界隈だと思うんです。海外では、ドン・ウィンズロウ『犬の力』『ザ・カルテル』(ともに角川文庫)といった力作がありますけれど、日本では船戸与一さん亡き後、「やばいメキシコ」を描いた作品ってほとんどなかったんですよ。その難しい境地についに挑んだ作品が現れたというのは嬉しいし、昨今のミステリーが若干、上品なほうへ流れている中で、川崎を舞台にこれでもかというくらい凄惨な暴力が描かれるのも魅力です。さらに、僕がもっとも好きなのは、この作品が新しいビジネスモデルを打ち出してるところ。麻薬カルテルを仕切っていたほどの元ボスが「わざわざ日本にやってきていったい何やるの?」という読者の期待に見事に応えてくれる、ビジネススキームの面白さがあるんですよ。
ミステリーには、犯人視点で犯行のプロセスを描く「倒叙もの」というジャンルがありますが、本作は「倒叙」とは違って、いわゆる「ケイパー・ストーリー」(「強奪小説」と訳されることも)。悪いことを企む側を主人公にした、オフビートな犯罪小説の伝統に棹さす作品です。犯罪計画のユニークさ、「果たしてそれが上手くいくのか?」というスリル、主人公の計画が最後には失敗するとしても「では、どのように失敗するのか?」を描いていく面白さ――こうした骨組みの力でぐいぐいと読ませていきます。メキシコの古代神話、アステカ文明の生贄の儀式に由来するような強烈な暴力描写が印象的ですけれども、派手な意匠の奥に、非常に古典的なエンタメの骨格を保っている作品だと思っていて、そういう意味では、「戦国歴史小説」の装いの中に本格ミステリーの骨格を有する『黒牢城』と通じる部分もあるのかなと。
KU 『テスカトリポカ』で描かれるビジネスって、無戸籍の子どもたちを犠牲にするおぞましいものなんですけど、どこか爽快感もありますよね。それは、1つは物語の根っこに「経済的な合理性」が存在すること、そして主人公たちがとにかくフラットであることが大きいのかなと思います。「悪の枢軸」たるバルミロたちが、徹底的に合理性を追求した結果、ある種のフラットさを獲得しているところが非常にリアル。現代のノワール小説の1つの可能性を示しているようにも感じましたし、強くおすすめしたい作品です。
★豪腕のエンタメ『機龍警察』
N 「柄の大きさ」という点では、月村了衛『機龍警察 白骨街道』(早川書房)も読み逃せませんね。

『機龍警察 白骨街道』(月村了衛/早川書房)
KU 短編集を含めれば7作目となる大河シリーズですが、本作から読み始めることもできますし、とにかくべらぼうに面白い。今回はミャンマー辺境を舞台に、第二次大戦下の日本軍のインパール作戦を想起させるような死闘が繰り広げられます。ここ数年、月村さんは昭和史をテーマにミステリーを書かれていましたが、過去の歴史を現代に重ね合わせる手法が「機龍警察」に活かされたのか、と驚きました。
昨年の2月、ミャンマー国軍によるクーデターがありましたよね。本書はクーデター以前のミャンマーを舞台にしていますが、クーデター後に何が起きたかを知っている私たちが読んでも、違和感なく「現在のミャンマーの物語」として読める。そういう圧倒的なリアリティが担保されているところが、社会派ミステリー作家としての月村さんの筆力だと思います。シリーズ前作『狼眼殺手』(早川書房)はポリティカルサスペンスで、戦闘要素は控えめでしたよね。今回は、日本国内で起きていることはポリティカル小説として、ミャンマー編は冒険小説、そしてメカニックなロボット小説として「メタルギアソリッド」みたいな読み心地を楽しめる。非常に総合力の高い作品になっています。最新刊がいちばん面白いって、シリーズ作品を作っていく上でものすごいことですよ。
N 「機龍警察」は前作刊行から4年ほど間隔があきました。その間、KUさんがおっしゃるとおり、月村さんは東京五輪、豊田商事事件、大蔵省スキャンダルなど、いわゆる昭和・平成の大事件をベースにして、国の根幹を捉えるタイプの小説に取り組んできました。これらは一種の「全体小説」の試みなのかなと思ったのです。現在の私たちを形づくった、少し前の「日本の総体」を様々な角度から描こうとしたんじゃないか、と。こうした石川達三さんとか山崎豊子さんみたいな試みって、最近はあまり作例がないわけですけれども、月村さんはエンタメ作家、スリラー作家としてのストーリーテリングやキャラ作りの技術を駆使し、1作じゃなくて複数の作品をまとめることで全体小説的なものを作ろうとしたのではないか。そして、そのチャレンジから得た収穫を「機龍警察」シリーズに流し込んだのではないか――。
『白骨街道』を通して、月村さんは「世界の中の日本」を浮き彫りにしようとしているように見えます。パースペクティブが大きいし、その大きいパースペクティブを「面白い物語」に落とし込む豪腕もある。やっぱりすごいエンタメ作家だなと実感しました。
K これまで「機龍警察」を読んだことがなかったけれども、『白骨街道』を読んで「めちゃくちゃ面白い!」と興奮している編集部員がいましたね。もし「いまさらシリーズに入れない」「出遅れた」と思っている方がいたら、「単体でも楽しめますよ」とおすすめしたいです。
★社会派ミステリーの新潮流
K 年末のベスト10には絡みませんでしたが、辻堂ゆめさんの『トリカゴ』(東京創元社)がすごく面白かった! 『テスカトリポカ』にも無戸籍の子どもたちが出てきますが、こちらはより深く無戸籍問題に踏み込んだ社会派ミステリーなんですよ。

『トリカゴ』(辻堂 ゆめ/東京創元社)
冒頭、男性がナイフで切りつけられる殺人未遂事件が発生して、近くにいた元交際相手の女性が逮捕されるんですね。ところが主人公の女性刑事・森垣が事情聴取しても「名前はハナ」という情報しか得られない。「名字は?」「ありません」「年齢は?」「わかりません」「住所は?」「ネットカフェ」みたいなやりとりが続いて、森垣刑事はハナが黙秘してると思って怒るんですけど、しだいに彼女が無戸籍で、本名も生年月日も、自分の親が誰かさえ知らないという事実がわかってきます。
結局、ハナは自白を翻して不起訴になり、釈放されるんですが、彼女のことが気になる森垣は、ネットカフェまで彼女を送ったあと、こっそり張り込むんです。すると、ハナはネットカフェを抜け出し、とある食品工場の倉庫に向かう。その倉庫には15人ぐらいの集団が暮らしていて、実はみんな無戸籍の人たち。倉庫が「ユートピア」と呼ばれる無戸籍者のヴィレッジになっているんですね。
いっぽう、20数年前に発生した「鳥籠事件」と呼ばれる有名な出来事も描かれます。3歳の男の子と1歳の女の子の兄妹が生後すぐネグレクトされ、ペットの鳥と一緒にマンションの一室に放置されたために、鳥の鳴き声を出すことしかできない、羽根を羽ばたかせるような仕草しかできない状態で発見されるという悲惨な虐待事件なんですけど、この兄妹はさらに、養護施設に保護された1年後、何者かに誘拐されて、結局、生死不明のまま事件は迷宮入りしてしまっている――。
ハナのことが心配で「ユートピア」に出入りするようになった森垣刑事は、ハナが「鳥籠事件」の妹のほうなんじゃないかと推理するんですね。警視庁の未解決事件を捜査する部署に「鳥籠事件」担当の男性刑事がいて、森垣は彼と協力しながら、2つの事件を追うことになります。
まず冒頭の殺人未遂事件。「ハナはなぜ男を刺したのか?」「なぜ自白を翻したのか?」「そもそも本当にハナが真犯人なのか?」という謎です。次に「ハナは鳥籠事件の被害女児なのか?」「だとしたら鳥籠事件の誘拐犯は誰なのか?」というハナの生い立ちに関わる謎。もちろん最後に両方の謎が解かれるんですけど、この、2つの事件の動機が鳥肌が立つほどすさまじいんですよ。突飛でゾッとするような動機なのに、物語の中での納得感もあって。おおいにおすすめしたい作品なんです。
司会 昨年のミステリーだと、降田天さんの『朝と夕の犯罪』(KADOKAWA)も無戸籍問題を扱っていましたよね。

『朝と夕の犯罪』(降田 天/KADOKAWA)
K そうです。こちらも力作で、お父さんと車上生活をしている幼い兄弟がいるんですね。学校に行かせてもらえず、賽銭泥棒などの軽犯罪を重ねて暮らしている、血縁があるかどうかもわからない「疑似家族」なんだけど、ある日、お父さんがいなくなってしまったために、兄は世田谷のわりとよい家庭の里子として引き取られ、弟は施設に預けられます。10年後、弟の暮らす施設が震災で被害を被ったのに修繕費がなく、このままでは施設を維持できないという危機に瀕して、弟は身代金誘拐を計画するんです。そこで大学生になっていたかつての兄に声をかけ、一緒に誘拐計画を練る――ここまでが第1部。
第2部は、さらに8年がたち、とあるアパートの一室で衰弱した兄妹が発見されるんですが、これが可哀想で……。7歳のお兄ちゃんはなんとか助かったけれど、妹は残念ながら餓死していて、部屋はボロボロに荒れている。この兄妹が無戸籍児なんです。警察はすぐ母親を逮捕するものの、こちらも偽名らしき名前を名乗るのみで、素性がわからない。やがて情報提供があり、逮捕された母親はかつて誘拐事件に巻き込まれた被害者なのでは? とわかってきて、ついに第1部の事件と繋がるわけです。過去に何が起きていたのか、少しずつ見えてくる仕掛けになっています。
KU 無戸籍問題は最近、ミステリーのテーマとして描かれることが多いですね。2019年に出た葉真中顕さんの『Blue』(光文社)も無戸籍者を扱っていました。
司会 『トリカゴ』の参考文献にも挙がっているノンフィクション、井戸まさえ『無戸籍の日本人』(集英社文庫)が契機になって、この問題はよく知られるようになりました。様々な事情で戸籍をもてないまま暮らしている日本人が現在でも推定1万人いるといわれていますが、知れば知るほど「令和の日本で? まさか?」と思うような衝撃的な事例ばかりで、ミステリー作家の想像力を刺激するんじゃないでしょうか。
K 無戸籍問題は、「この人は誰なのか?」というアイデンティティーに絡めた謎を作りやすいので、ミステリーと結びつきやすいのかもしれません。フィクションの作例がいくつか生まれる中で、無戸籍者の扱い方、描き方が作品ごとにどんどん深まっている気がして興味深いです。
司会 松本清張『砂の器』のように、昭和30年代の社会派推理小説には、戦災や災害によって無戸籍になる、あるいは別人の戸籍を得る、といった趣向のものがいくつかありますよね。戸籍という日本特有の問題をミステリーに仕立てたいと思う作家の意識は、形を変えながら脈々と続いているのかも。
★いまのトレンドを詰め込んだ乱歩賞
A 私からは第67回の江戸川乱歩賞受賞作を。昨年は2作受賞だったのですが、そのうちの1作、桃野雑派『老虎残夢』(講談社)は、乱歩賞の歴史から見ても非常にユニークな作品。いわゆる武侠小説の形をとった本格ミステリーなんです。「武侠小説」とは要するに中国武術の達人たちが活躍する冒険活劇のことなんですけれど、13世紀の初め、南宋の時代の武術の大先生が、雪の降る夜、湖に浮かぶ小さな島の楼閣の中で殺されるという、ある種の密室殺人を描いています。

『老虎残夢』(桃野 雑派/講談社)
この武術の先生は、自宅でふたりの女の子を養ってるんです。ひとりは武侠の内弟子で、もうひとりは養女なんですけれど、実はこの女の子ふたりは恋愛関係にあるんですね。
一堂 おおー。
A 百合ミスです(笑)。もう1つ物語の前提を解説しておくと、中国拳法には「内功」「外功」という概念がありまして、「外功」とは外面的な力、身体を鍛えて強くできる膂力のこと。「内功」はいわゆる「気」ですね。気脈の「気」。身体の内側から生じる力のことなんですけど、殺されてしまう先生はものすごい達人で、この「内功」も「外功」も鍛え抜かれているので、ほとんど超能力のような特殊能力を発揮できてしまう。先生と同居している弟子で、本作の主人公となる蒼紫苑(そう・しおん)は、かつてある理由で肉体を傷つけてしまい、外功を鍛えるには限界がある。そのぶん内功の修業に専念していて、彼女もたとえば「壁を走る」などの特殊能力を発揮することができるんですね。
ある時、自らの老いを悟った先生が武侠の奥義書を譲り渡すことになり、3人の達人が先生のもとに呼ばれるんです。内弟子である紫苑も当然、奥義を継承したいけれども、身体の怪我があって難しい。それで外部から3人の候補者が招かれ、いよいよ奥義を伝授する段になって、先生が殺されてしまうわけです。当然、湖の中の孤島に「誰が」「どのようにして」行くことができたかが問題になります。実は、「内功」の1つに、水上を走るという能力があるんです。そして、その技を使って湖を渡れるのが師匠と紫苑のふたりだけという設定になっています。招かれた3人にはそこまでの能力がない。
ここから先の展開を明かすことは控えますが、本作のコンセプトは明瞭で、帯にすべて書いてあります。「館」×「特殊設定」×「孤島」×「百合」。現在のトレンド全部を組み合わせたミステリーなんですね。武侠の「内功」という特殊設定に、「百合」要素まで入って、しかも舞台が中国ということで、ある意味では華文ミステリーっぽさもある。
乱歩賞の選考委員も指摘しているように、本格ミステリーとして読むとトリックに少々雑なところがあります。ただ、キャラがたいへん魅力的で、武侠小説、百合小説として楽しく読み進めることができる。乱歩賞としてはかなり珍しいタイプのミステリーといえます。
★サリンジャー作品の真相とは!?
K この流れで紹介してよいかどうかわからないですけれど、さっきKUさんと「面白かった!」と意気投合したので、竹内康浩・朴舜起『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(新潮選書)をおすすめします。はっきりいって、2021年に読んだ中でもっとも強烈に面白かった“ミステリー”はこれなんです。

『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(月村了衛/新潮選書)
司会 全然知らなかった……。どういう本なのですか?
K サリンジャー作品って、これまで「面白い」と思いつつ、いまいちピンとこないところもあったのですが、「なぜピンとこないか」というと、「解けない謎が書かれてる」と思っていたんですね。ところが本書は、これまで「解けない」「読者の想像に委ねられている」と思われていた作中の謎を、きわめてクリアに解き明かしてくれる。
サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」(『ナイン・ストーリーズ』収録)の分析がメインなんですけど、「バナナフィッシュ」って、妻と休暇を楽しむ男の日常が淡々と描かれたと思ったら、突然、男が自分の頭を拳銃で撃ち抜いて終わるという謎めいた話なんです。ところが本書を読むと、実はサリンジャーの作品群の中でこの自殺の意味が示唆されていることがわかる。それどころか、そもそも「本当に死んだのは誰?」というところから問い直されなければならない小説だということがわかってくるんです!
サリンジャーの小説は、一般に難解とされています。難解であるがために文章の背後に何か大きな世界が広がっている感じがして、そこに魅力を感じる人も多かったと思うんですけど、その背後に「広がっている感じがする」と、これまで私たちがぼんやり漠然と捉えていたものを、『謎ときサリンジャー』は1つ1つ、原文を丁寧に検証することで明確にしていきます。すると、読者が勝手に「謎」と思っていたところが実はそうではなく、むしろ1つの叙述が二重の意味を持っていたり、他の真相を示唆する伏線だったりしたことがわかる。「ああ、そうなのか! すべてが符合する!」と、ミステリーの解決編のように、稲妻に打たれるような快感が続くんですよ! 読みながら「これはヤバイ本だ……」って背筋が震えて、どうしてこの本がサリンジャーの生前に出なかったんだろうと思ってしまったほどでした。
KU まさにKさんのおっしゃるとおり、本書にはいくつも面白いポイントがあるんですけど、読み終えて、サリンジャーの小説であっても「徹底的にテキスト論で読む」ことが大事なんだなとあらためて感じました。サリンジャーのような“奇人”と思われている作家の場合、小説を読んでいてもついつい作家サリンジャーのイメージがちらついて、一読では理解が追い付かない展開に出くわしても「ま、サリンジャーだし」で勝手に納得していたところがあると思うんです。でも、実はそうではなかった。「テキストに忠実に読む」ことでまったく新しい世界が見えてくるし、1文1文を緻密に読み解くことで、結果的に「作家が本当はどういう人なのか」も浮かび上がってくる。そういう「読み」の基本を教えてもらえる本でもある気がします。
司会 テキストに忠実に読むと、これまでわからなかった謎の解明がもたらされるということ?
K そう! もたらされます! 少なくとも「バナナフィッシュ」については完璧にもたらされる。さらにすばらしいことに、謎が解かれることでサリンジャーのテキストへの信頼感が生まれるんですよね。書かれていることにはすべて理由があって、1語、1語、考えて書かれているという信頼感が。「こういうふうに本って書かれるべきなんだなあ」と思いましたし、わかってくれる人がいなくても、書き手は「きちんとすべてを整合させて書かなくてはならないのだ」とも感じました。編集者必読だと思った1冊です。
KU 著者の竹内康浩さんは「誰がハックルベリー・フィンの父を殺したか?」で、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)評論・評伝部門の、日本人最初の最終候補になった方ですね。
K その論文をもとにした『謎とき「ハックルベリー・フィンの冒険」』も新潮選書から出ています。こちらもおすすめですよ。
★「変格」ミステリーへの注目
A 年末に出たばかりの新刊ですが、倉野憲比古さんの『弔い月の下にて』(行舟文化)を紹介させてください。大学院生の夷戸武比古(いど・たけひこ)、友人のホラー雑誌編集者、喫茶店のマスターが、九州の海に遊びに行き、ボートに乗って「あの島に行ってみよう」と、軽いノリで沖に出る。すると、あやしい島にあやしい館が建っていて、奇妙な人たちが暮らしているという、「孤島もの」ミステリーになっていくわけですね。

『弔い月の下にて』(倉野 憲比古/行舟文化)
上陸した島では謎の兄弟が待ち受けていて、いきなりボートを沈められ、携帯電話も捨てられ、その兄弟が執事をしている「淆亂(バベル)館」へと連行されます。館には5人の先客がいて、主人公たち3人も一緒に館内に監禁されてしまうんです。先客らの説明によれば、かつて二枚目俳優として一世を風靡した男が10年前に突然、煙のように失踪して行方不明になっている。その「消えた俳優」がどうやら館の主人らしい。
先客たちは、皆、館の主人に会いたくて島にやってきたんですね。「消えた俳優」のせいで交通事故に巻き込まれて顔に大けがを負った元役者の演出家。同じく「消えた俳優」との醜聞でバッシングを受け心を病んだ元恋人の女優。彼らと同じ劇団の若手俳優。そして「消えた俳優」を追う週刊誌記者とカメラマンのコンビ――。彼らが館内で「主人に会わせろ」と談判をしているところに主人公たち3人も紛れ込んでしまったわけですが、謎の兄弟執事は、頑として会わせない。押し問答している最中に、主人は部屋の中で殺されてしまうのですね。そして「誰が殺したのか?」の推理合戦が始まるという、外枠だけ見ると典型的な「孤島の館ミステリー」なんですが……。
司会 面白そうなシチュエーションですよね。
A ところが倉野さんは、本格ミステリーに対して「愛憎を半ばにする」書き手で、自らを「変格ミステリー作家」と称している人なんです。そのため本書も、普通の推理合戦とはだいぶ趣を異にする、異常心理、隠れキリシタン信仰、オカルト伝説といった怪奇幻想趣味が横溢する展開になっていきます。
司会 「変格ミステリー」って、具体的にはどんなもののことをいうんでしょう?
A もともとは戦前の日本ミステリー黎明期、本格探偵小説に当てはまらないもの、SFやホラー、冒険小説、ファンタジーから奇妙な味の小説などなどを一括りにして「変格探偵小説」と呼んだようです。要するに「論理的に謎が解明されない探偵小説っぽい小説」ということでしょうか。具体的な作例を挙げるなら、いわゆる「黒い水脈」と呼ばれる小栗虫太郎や夢野久作らの諸作や、あるいは竹本健治さんの『匣の中の失楽』といった作品をイメージしていただければいいのかなと。
昨年の夏、竹本健治編『変格ミステリ傑作選【戦前篇】』(行舟文庫)という文庫アンソロジーが『弔い月の下にて』と同じ版元から出ています。背景を説明しますと、倉野さんが「新変格」を提唱し、「変格探偵作家クラブ」を作りたいと呼びかけたのに、竹本さんが賛同して、一昨年とうとう「変格ミステリ作家クラブ」が設立されたのですね。最初は竹本さんと倉野さんおふたりだけの集まりだったところ、ためしに会員を募集してみたら「私も」「私も」とどんどん入会者が増え、いまや新本格ミステリー作家の組織「本格ミステリ作家クラブ」よりも人数が増えちゃったそうなんです(笑)。

『変格ミステリ傑作選【戦前篇】』(竹本 健治編/行舟文庫)
司会 ウェブサイトによれば、メンバー数は現在235名だそうで、すごい勢いですね。
A その流れで刊行されたのが『変格ミステリ傑作選』で、幸い評判もよく、【戦前篇】に続いて【戦後篇】を2巻本で出すことも決まったらしいです。この【戦前篇】には、漱石に始まり、谷崎、芥川、乱歩、横溝、木々高太郎、海野十三、川端康成らの短編が収められています。2021年は「新変格」が産声をあげた年として、ミステリーの歴史に記録されることになるかもしれません。
N 昔、鮎川哲也さんの編んだ『怪奇探偵小説集』という名アンソロジーがありましたね。これも謎解きミステリーの枠に収まりきらないホラーや幻想風味のある変わった作品を集めたもので、竹本さんの「変格」アンソロジーと通底するものがあるように思いました。
すごくざっくりした僕の理解でいうと、乱歩の批評(「類別トリック集成」など)が「本格」で、乱歩の実作――「陰獣」とか「パノラマ島奇譚」とか――が「変格」なのだろうと思います。本格ミステリーのクールな論理性を知悉していた乱歩なのに、いざ書き始めると変態的な要素が出てきてしまう。そういう「過剰なもの」がくっついてくる感じ、といえばわかりやすいのではないでしょうか。横溝でいうと、戦後の金田一耕助シリーズが「本格」だとすれば、戦前の、たとえば「鬼火」などは「変格」でしょうね。金田一ものでも『三つ首塔』あたりは「変格」に入るかも。「変格」の「変」は「変態」の「変」といっちゃってもいいかもしれない。
A 『変格ミステリ傑作選』には、乱歩だと「目羅博士の不思議な犯罪」、横溝は「蔵の中」が採られていますね。
K なるほど、具体的な作品を挙げてもらうとイメージしやすいです。
司会 昨年のオール讀物7月号(創刊90周年記念号)で「『オール讀物』と推理小説の90年」と題した座談会を開催したのですが、戦前のオールの目次に小栗や夢野、久生十蘭らが何度も登場するのを見た戸川安宣さんが、「僕らが大学生の頃には『異端の作家』と思われていたマニアックな書き手が、そろってオールに小説を書いている」とビックリしていたんですね。
要するに、現在のミステリーマニアの価値観からすると、戦後に市民権を得た本格ミステリーの作家が「正統」派で、『黒死館殺人事件』の小栗や、『ドクラ・マグラ』の夢野らは「異端」に見える(現に、戸川さんが若い頃、後者に属する作家の作品はほとんど新刊書店で入手することができなかったそうです)。ところがそうした作家が戦前にはオールのような普通の大衆小説誌に登場していた。ということは、戸川さんいわく、戦前の同時代的な感覚では「もしや僕らが思っていた以上に小栗などは当時、大衆的な作家と認識されていたのかも」と。こうした戸川さんの着眼も、昨今の「変格」への注目、復権と通じるところがあるのではないでしょうか。
A 面白い見方ですね。松本清張の時代、本格ミステリーが社会派推理小説に駆逐されたという史観は、ミステリーの歴史を辿る時、つとに語られることですけれど、その前段に、実は、戦後の乱歩や横溝によって、あるいはその後に登場する鮎川哲也や高木彬光によって、戦前の過剰な「変格」探偵小説が「異端」「マニアック」のレッテルを貼られ、歴史の表舞台から消されてしまったのかも、と見る視点はいま大事かもしれません。倉野さんの『弔い月の下にて』は、こうした「変格」とは何であったかという歴史的な文脈でも楽しめる1冊だと思います。
司会 では、このへんでいよいよ話題の逢坂冬馬さん『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)の話題に――と思いましたが、紙面が尽きたので、続きは【後編】で!
【後編(後日公開予定)につづく】
オール讀物2021年7月号 (創刊90周年記念特別号第1弾)
文藝春秋
2021年6月22日 発売
