ミラカン? イチハン!? あんかけスパの謎
11時の開店とともに、行列していた地元客が店内になだれ込んでくる。口々に「ミラカン、イチハンで!」などと雄叫びを上げる。名古屋の「あんかけスパ」専門店、「ヨコイ」「そ〜れ」で見られる日常の光景だ。
きしめん、味噌カツ、モーニング。名古屋人の日常食は、他府県人にとって非日常食と言えるものが多い。
その最たるものが、「あんかけスパゲッティ」。ゆで置き麺に濃厚でスパイシーなあんかけソースがかかった名古屋ならではの1皿だ。
この独特の料理が名古屋人に熱狂的に受け入れられる理由を「ヨコイ」二代目の横井信夫さんはこう語る。「安くて味が濃くて盛りがいいですからね。名古屋のお客さんはお値打ち感と、味の濃さを大切にするんです」
なるほど。確かに名古屋には濃ゆ〜い名物が多い。激辛の台湾ラーメン、甘い小倉トースト、とろりと濃厚などて煮、いずれも名古屋ならではの特濃な味わいだ。
専門店「そ〜れ」の金岡晃弘さんも、あんかけスパの人気が県内に集中する理由を「味が濃いから」と笑う。
そしてあんかけスパの成り立ちは、この両店に濃厚な関係がある。あんかけスパのレシピを考案したのはヨコイの初代だが、メニューとして最初に提供したのは、そ〜れだったというのだ。話が濃厚すぎるので、薄めるべく、少し整理しよう。
実はヨコイの初代は1961年に創業した、そ〜れの共同創業者であり、このスパゲッティをつくり出したパイオニアだった。その後、同店を離れ、63年に自身の店「ヨコイ」をオープンさせている。
つまり、あんかけスパの礎を築いた両店のレシピは、ヨコイの先代の手になるものだったのだ。
現在はどの店でも“ミラネーゼ”(ウインナーやハム入り)、“カントリー”(野菜入り)、“ミラカン”(前出2種のあいがけ)、“バイキング”(魚介のフライのせ)といった名称が使われている。横井さん、メニュー名の由来は……?
「それは……えーっと、雰囲気だね。あと、うちは“ミラネーズ”(笑)」
大変失礼しました!“ミラネーズ”と“ミラネーゼ”が共存していたとは!
このように微妙な違いはあれど、両店のレシピには共通項が多い。
たとえばソースは、香味野菜にトマト、牛挽き肉を十数時間煮込んだものを7〜10日ねかせ、最後にでんぷんでとろみをつけるレシピである。
「あんかけ」という語感やソースの色みは天津飯のような「甘酢あん」を想像させる。が、ソースだからといって、ナメた気持ちで口にしてはいけない。
ソースをまとわせたスパゲッティをフォークで巻き、1口で頬張る。途端に未体験の辛さが口内から全身に広がり、汗が噴き出す。
「胡椒の辛さか!」と気づくのは、味の余韻に耽っているとき。
そう。胡椒は辛いのだ。その力強い味わいは、そんな当たり前の現実すら忘れさせるほど人を朦朧とさせる。
麺も同様。ヨコイ、そ〜れともに使用するのは「ボルカノ」製の2.2mm。表示時間13分のこの極太麺をゆで、冷水で締めてザルに上げ、注文が入るごとに調理する。驚いたのは、調理の際、麺を大量のラードで揚げるかのように炒めることだ(衝撃)。
「現在のそ〜れはラードに少しサラダ油を混ぜているから、軽いでしょう?」とそ〜れの金岡さんが言え
「ヨコイでは炒めた麺の脂をきった後、再度炒めてザルに上げる。2回脂きりをしているから、軽いでしょ?」
と、ヨコイの横井さんも言ってくる。
か、軽い……? 確かに、口に運ぶと意外にも口当たりは軽い(気がする)。とはいえ、脂とソースをまとった麺の官能的な食感の前では、軽いとか重いとか、カロリーが多いとか少ないかなんて、どうでもいい。
辛いものはより辛く、カロリーのあるものはよりハイカロリーに! 妥協を許さぬトガリっぷりが潔い。
「ウチは普通で230g。イチハン(1.5倍)で460。ダブルで700、トリプルで1kg」とは、横井さんの弁。
ん? どうも計算がおかしい。金岡さんにも聞いてみた。
「ウチはレギュラーが300gで、イチハンが600、ダブルが1kgだね」
えっ……。お店がそのつもりなら、こちらも細かい計算はやめにしよう。僕らはただ旨いあんかけスパをたくさん食べられればそれでいい。
皿に麺を盛り、ソースをかけ、具材をのせる。50年前、2軒しかなかったあんかけスパの専門店は、県内に数十軒を数えるまでになった。横井さんはあんかけスパに象徴される、名古屋メシをこう位置づける。
「濃くて茶色い名古屋メシは東京や大阪の人にとっては日常の味ではなく“記憶に残る味”でしょう。だから旅行や出張など、たまの機会に召し上がっていただく。そんな位置づけでいいのかもしれません」
「日常の旨さ」に全国標準などない。“地域の舌”が残る名古屋は、そのことを再認識させてくれる。
■「あんかけスパ」の噂の真相
◆本当はミートソースのはずでした!
「親父は独立前に働いていたホテルの親方からのアドバイスで、スパゲッティ専門店を思いついたようです」と、ヨコイの横井さんは言う。当初はミートソースをつくるつもりが「あんかけ」に。そのヒントはイタリアの家庭の煮込み料理のイメージだったとか。さらに横井さんは言う。「じゃがいものとろみで、ソースが麺にからみやすくなる。麺とソースの組み合わせをより楽しんでもらうために、『あんかけ』になったのでしょう」。
◆濃い味に、もうひと味足す、名古屋人
ヨコイの卓上には塩、胡椒、タバスコが。そ〜れではウスターソース、ガーリックグラニュー(粗挽きのパウダー)、黒胡椒、タバスコが置かれている。そもそもきっちり辛いところに、さらに胡椒を足す客がいるとは……。さすが名古屋である。「卓上で味を仕上げる常連さんも多いですよ。最初はそのままで、途中からウスターソースやガーリックをかけて、味の変化を楽しまれる方もいます」と、そ〜れの金岡さんは教えてくれた。
◆衝撃! あんかけソースは、2週間かけてつくる!
あんかけソースはほぼ毎日仕込む。それも2週間先のものをだ。そ〜れの手順は次の通り。初日、玉ねぎ、人参、じゃがいもを炒め、水を加えて7〜8時間煮込んでつぶす。2日目、牛挽き肉とトマトペーストを加え、オーブンで7〜8時間かけて焼く。3日目、さらに7〜8時間焼いた後、冷蔵庫で10日間ねかせる。14日目、水分を足して鍋で加熱。シノワで漉して、でんぷんでとろみをつける。少年は2週間の旅で大人になった。
◆「あんかけ」の言葉を生んだ、別の店
実は「あんかけ」という言葉は、ヨコイ、そ〜れが発信したものではない。その昔、別のあんかけスパ専門店チェーン「からめ亭」がテレビ取材を受けた際、ジャンルを総称する名前をつけたというのが真相のよう。
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【ヨコイ 住吉店】
知県名古屋市中区栄3-10-11ントウビル2階、TEL 052-241-5571
営業時間 11:00〜15:20(L.O.)、17:00〜20:40(L.O.)、日曜は昼のみで11:30〜14:20(L.O.)、祝日も昼のみで〜14:50(L.O.)
無休、46席、地下鉄「栄駅」より3分。
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【そ〜れ】
知県名古屋市中区栄4-9-10 愛信プラザビル2階、TEL 052-265-3990
営業 11:00〜14:45(L.O.)、17:00〜23:45(L.O.)、祝日は昼のみ
日曜定休、66席、地下鉄「栄駅」より8分。
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(文・松浦達也 撮影・山口典利)
