■シュプリッツァーをフランケンで

うっとうしい雨が続くと、なにかスッキリするものがほしくなる。

「シュプリッツァーでも飲むか」

そうと決まると足首の痛みも跛行もなんのその傘をさしてうきうきと外出である。そこは呑んべえたるゆえん で、はや頭のなかでは、甘口ならスーパーでも手に入るけど、辛口となると、フランケン。はてさて置いているとしたら、あの酒屋か、それとも、などと想像しつつ、にやにや薄笑いを浮かべる始末。

シュプリッツァーを教えてくれたのは、数年間ドイツで暮らしていた友人で、彼もそのとき交際していたドイツ 女性から伝授されたのだそうな。作り方は、ワインを炭酸水で割るだけ。きわめて単純だが、ワインは高級品 、との先入観があると、それを打破して「割る」なんて、思いついたとしても実行に移すのはなかなか勇気が いる。吟醸酒を水割りかソーダ割りにするようなものだろう。

「なんか、もったいないし、甘いんじゃ……」
「ぶつくさ言わず、飲んでみろ」

はつらつとした味と咽喉ごし、かすかにナッツのかおりを残し、ちゃんとアルコールの刺激もある。こんなドイツワインもあるのか、と瓶を見せてもらって、

「なんだマテウスか」
「ちがう。よく見ろ」

ラベルには、フランケンとある。

かつてドイツを旅した際、ライン下りを体験した。乗船したのがマインツで、下船はコブレンツであった。マインツはマイン川と合流する場所にあり、その上流にはフランケンがある。コブレンツとの間は、ラインガウ 、ラインヘッセン、コブレンツで合流するモーゼル川の流域にはモーゼル・ザール・ルーヴァーと、ドイツワインを代表する生産地がひかえている。そこをただ通過しただけとは、いまも痛恨の極みで、あわれ無知な貧乏学生は、ワインは高級だからと見向きもせず、ひたすらビールをがぶ飲みしていたのである。

■痛風発作が起きる場所は決まっていない

回想しつつ、痛む足をひきずり酒屋へ。そういえば医者が私の歩様を診て、

「跛行あり Lame」

と書いたのを盗み見て、競馬でいう寛跛行を連想したのはいつであったか。馬に痛風などあるわけもないが、 パドックで眼を凝らしたところで、跛行を見抜くのは並大抵ではない。ひきかえ、こちとらの跛行は一目瞭然 。英語の俗語では、ダサい、という使い方もされているようだ。

各種分野でキャリアがあるように、痛風においても、ジュニア、ミドル、シニアと段階があると私はみている 。

病歴も私のように20年ともなれば立派なシニア、ベテランであろう。

跛行も、傍で見ているほど簡単ではない。体重の移動にコツが要る。杖を使うにしても、どこでどう体重を移動するか、体得するまでに何回発作を起こしたことか。

しかも、私の場合、痛風発作の起きる場所が、左右の足首と、左右のアキレス腱、左右の膝と一定しない。連続して右足首に出たかと思うと、左足首に出る。初期の段階では、左右の足首しか出なかったので、アキレス 腱に出たときなど、

「これは痛風じゃないだろう」

と、勝手に判断したがため、半年間、苦しめられた。

いずれにしても、左右どちらかの脚が不自由になるため、その都度、杖のつき方がちがってくるし、跛行の仕方も異なるのである。

痛風になって、初めて手摺りの有難さ、段差の憎らしさを知った。

痛風ジュニアの頃にはわからなかったが、発作には予兆がある。釣りにたとえると、ピクピクとアタリがあって、グーッと引き込む。そのグーッとくるまでに、コルヒチンを服用しなければならない。

ああ、だがそこで 逡巡、躊躇が生じる。コルヒチンを飲んだ日には、それからしばらくは禁酒を覚悟しなくてはならないのである。

(作家 山本亥(がい)=文)