(※写真はイメージです/PIXTA)

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警察庁が発表した「令和8年3月末における特殊詐欺の認知・検挙状況等について(暫定値)」によれば、特殊詐欺全体の認知件数は1万1,093件(前年同期比30.2%増)、被害総額は約937.9億円(同79.0%増)と、被害は大幅な増加の一途をたどっています。さらに、令和8年からは公的機関の人間を騙って言葉巧みに資産を狙う「ニセ警察詐欺」が、独立した手口として位置付けられるほど急増しています。また、被害金がどのように奪われたのかを示すデータをみると、犯人が直接自宅を訪れて現金を持ち去る「現金手交型」の被害額は、依然として高い水準で推移し続けています。今回は、79歳の独居女性の事例から、高齢者が保有するタンス預金の脆弱性に警鐘を鳴らします。

久しぶりに会った母の異変

「銀行なんて信用できない。手元に置いておくのが一番安全なんだから」

地方で一人暮らしをしていた母・アキさん(仮名/79歳)の口癖でした。昭和の激動期を生き抜き、無駄遣いをせずにコツコツと貯め込んだ現金、総額1,000万円。アキさんはそれを自宅の奥深くに厳重に隠し、自分の「絶対的な命綱」として誇りにしていました。しかし、その頑ななまでの“タンス預金信仰”が、取り返しのつかない悲劇を招くことになります。

異変に気づいたのは、数ヵ月ぶりに実家を訪ねた息子のタモツさん(仮名/51歳)でした。普段なら綺麗に片付いているはずの居間には、食べかけのパンや畳んでいない洗濯物が散乱しています。不穏な空気を察したタモツさんが奥の和室を覗くと、そこには息を呑む光景が広がっていました。

母親のアキさんが、白髪交じりの髪を振り乱し、険しい形相でずっと使っていなかった大きな旅行用カバンに「なにか」をむしりとるようにして詰め込んでいたのです。「お母さん! なにやってるんだよ!」タモツさんの声にビクッと肩を震わせたアキさんは、カバンを抱え込むようにして叫びました。

「みちゃダメ! これは私の大事なお金! 早く隠さないと、政府の人間が来て全部没収されちゃうのよ!」

タモツさんがカバンを母から奪い取り、中身をぶちまけました。しかし、そこから溢れ出てきたのは、アキさんが誇っていた「1万円札の束」ではありませんでした。入っていたのは、お札のサイズに雑にカットされた、大量の「ただの茶色い更紙」と、意味不明なロゴが印刷された「資産保全預かり証」と書かれた数枚の紙切れ。本物の1,000万円は、跡形もなく消えていたのです。

 “紙切れ”の正体と、1,000万円が消えた理由

泣き叫ぶアキさんをなだめ、数日かけて警察とともに真相を紐解くと、2024年の新紙幣発行から2年が経過した「2026年現在もなお猛威を振るう、高齢者を狙った特殊詐欺」の残忍な手口が浮かび上がってきました。

事の始まりは、半年前。アキさんのもとに「国民資産保護協会」を名乗る男から電話がかかってきたことでした。

「2024年に新札が発行されましたよね。実は、旧札のままでタンス預金をしている世帯に対して、国が財産税を課す法案が進んでいます。そのままにしておくと、お宅の1,000万円はただの紙クズになり、最悪の場合は没収されますよ」

最初は不審がっていたアキさんでしたが、「男が自宅を訪れ、親切に話を聞いてくれたこと」、そしてなにより「誰にもいわずに隠していた1,000万円の存在」を言い当てられた(実際は男が誘導して喋らせた)ことで、パニックに陥ってしまったのです。

男は、アキさんにこう持ちかけました。「我が社の特別なルートで、あなたの旧札をすべて『非課税の新札』に交換します。手続きのあいだ、この『資産保全預かり証』と、念のためのダミーの紙幣をお渡しします。絶対に誰にもみせないでください」

判断力が衰えはじめていたアキさんは、男を信じ込み、タンスの奥から本物の1,000万円を差し出してしまいました。そして、男から渡されたダミーのお金を本物だと思い込み、毎日必死に隠し場所を変えて守り続けていたのです。

タンス預金が内包する脆弱性

警察庁の「特殊詐欺被害状況」のデータを見ても、新紙幣発行に乗じた「旧札は使えなくなる」「タンス預金に税金がかかる」という文句の詐欺は、いまだに高齢者被害の悪質なトレンドとなっています。

しかし、この事件の本質的な恐怖は、詐欺グループの悪質さだけではありません。「タンス預金というシステムそのものが持つリスク」にあります。

         銀行預金           タンス預金

強盗・窃盗    リスク極めて低い       非常に高い(狙われやすい)

紛失       通帳再発行等で保護可能    発見不可能になるケース多数

家族による把握  口座照会等で早期に気づける  完全にブラックボックス化する

詐欺への耐性   窓口やATMで水際阻止がある  誰の目にも触れずに奪われる

もしアキさんがお金を銀行に預けていれば、まとまった額を引き出す際に窓口の局員が異変に気づき、警察に通報して水際で防げた可能性が高かったのです。しかし、誰の目にも触れない「タンスの奥」にあったからこそ、詐欺師にとってはこれ以上ない標的となり、家族が気づいたときには手遅れという最悪の結末を迎えてしまいました。

破滅した「絶対の安心」のあとで

「ごめんね、タモツ……」警察の取り調べが終わり、実家で、アキさんは息子に謝り続けました。自信に満ち溢れ、現役時代のようにタモツさんを叱り飛ばしていた強い母親の面影は、もうどこにもありません。奪われた1,000万円は、アキさんのこれからの医療費であり、もしものときの介護費用、そしてなにより、彼女の「自立した老後」を支えるプライドそのものでした。

それが一瞬にして、文字どおり「ただの紙切れ」に変えられてしまったのです。「俺に謝ることじゃないよ。それより、これからどうするか一緒に考えよう」。タモツさんは母の肩を抱きしめながら、激しい怒りと、もっと早く母の「孤立」に気づいてやれなかったのかという自責の念に駆られていました。

タンス預金が守っていたのは、お金ではありません。高齢者が「子どもに迷惑をかけずに生きていける」という、最期の安心感だったのです。それが崩壊したいま、親子は否応なしに、「資産なき老後」という厳しい現実に直面することになります。

「手元にあるから安心」という感覚は、認知機能が衰え始める高齢者にとって、時に最大の凶器に変わります。現在、詐欺グループの手口は巧妙化しており、高齢者の「孤独」と「大切な資産を守りたいという防衛本能」に土足で踏み込んできます。

私たちがすべきことは親の防犯対策を勧めることだけではありません。そのお金がブラックボックス化していること自体のリスクを指摘し、一刻も早く安全な資産管理へと移行させることが重要でしょう。