施設長「もう、うちでは限界です」…老人ホームに預けた〈年金月15万円〉82歳父、入居1年で退去勧告。息子「どうしよう、実家売っちゃった…」その後の絶望
公益財団法人介護労働安定センターが公表した「令和5年度 介護労働実態調査」によれば、介護サービスに従事する職員の不足感を感じている事業所は60.1%に達しており、現場の負担は深刻さを増す一方です。こうした人手不足を背景に、入居者の状態が入居当初と変化した場合、施設側が事実上の退去勧告を行うケースは決して珍しくありません。終身契約という言葉の裏側で、受け入れ側のキャパシティが限界を迎えたとき、高齢者とその家族が直面する「行き場のない絶望」について考えます。
仕事終わりに鳴った「1本の電話」
早番出勤の午後3時、退勤ボタンを押して帰宅しようとしていたマサノリさん(仮名/53歳)のスマートフォンが震えました。画面に表示されたのは、父が入居する介護付き有料老人ホームの名前。不穏な予感を抱きながら電話に出ると、電話口の声は沈んでいました。
「申し訳ありません。もう、うちでは限界です。お父様の退去をお願いしなければなりません」
その言葉は、マサノリさんが築き上げてきた平穏な日常を打ち砕くものでした。
誇り高き「企業戦士」だった父の変わりよう
父・アキラさん(仮名/82歳)は、金融業を営む会社で、“企業戦士”として定年まで勤めあげました。プライドが高く、いわゆる昭和の頑固親父。数年前に妻を亡くしてからも、「子どもの世話にはならん」と意地を張っていました。
しかし、たまにマサノリさんが実家を訪ねると、かなりの有様。そのため、週に一度は実家に行き、身の回りの世話をしていました。
こうしたなか、父が鍋にかけた火をそのまま忘れ、ボヤ騒ぎを起こしていたことが判明します。「父は一人では暮らせない」と判断したマサノリさんは、父を老人ホームに入れることにしました。
アキラさんの収入源は月15万円の年金のみ。退職金は住宅ローンの繰上げ返済に充ててほとんど残っていません。貯金は底を突きかけています。なのに、施設にはなかなか空きがありません。
ようやく見つけた施設の入居一時金は1,100万円、月額利用料は月24万円。マサノリさんは熟考の末、入居一時金を捻出するため、思い出の詰まった実家を売却することにしました。
「実家を売れば、一時金が払える。父さんも最期までプロのケアを受けられて安心だし、僕もこれでようやく自分の生活に集中できる」
マサノリさんは、入居と同時に実家の売却手続きを進めました。運よく土地と建物は買い手が付き、建物は取り壊されて更地に。こうしてアキラさんは「終身契約」を謳う老人ホームへと居を移し、マサノリさんはやっと肩の荷が下りたのです。
正当な退去理由
入居当初こそアキラさんは穏やかに過ごしていました。しかし、環境の変化が認知症の進行を加速させたのか、入居から1年が経過するころ、事態は急変します。
アキラさんは認知症の周辺症状(BPSD)を発症。夜間に自室を抜け出し、制止するスタッフに怒鳴り声を上げ、ほかの入居者を罵倒するようになったのです。「俺はいままで散々我慢してきたのに!」「お前らだけずるい!」「お前らなんて死んじまえ!」などと、と暴言を吐くこともありました。現場スタッフのあいだではアキラさんへの対応が大きな負担に。ほかの入居者の家族からも「怖くて共有スペースに行かせられない」といったクレームが相次ぐ事態となりました。
そしてついに施設側は、アキラさんへの退去勧告をマサノリさんに突きつけたのです。「共同生活の維持が困難」という、介護現場では正当とされる退去理由でした。
戻る場所のない絶望
電話を切ったあと、マサノリさんは呆然と座り込みました。
父を実家に連れて帰ろうにも、家はもうありません。新しい施設を探そうにも、すぐに見つかるかもわかりませんし、アキラさんの月15万円という年金では、手厚いケアを受けられる施設への住み替えなど不可能です。
「どうしよう、実家売っちゃった……」
実家を入居金に充てるという選択が、親子の退路を完全に断ってしまったのです。
介護サービスは「無限」ではない
こうした「施設からの退去勧告」は、珍しいことではありません。厚生労働省が実施した「令和4年度 介護サービス施設・事業所調査」などの公的データにおいても、介護職員の不足感は依然として高く、特に認知症の重度者や困難事例への対応が、現場の大きな負担となっている実態が浮き彫りになっています。職員不足によるサービス品質の維持が難しくなるなかで、他入居者の安全確保を優先せざるを得ない施設側が、やむを得ず退去を求めるケースが増えているのです。
マサノリさんは現在、仕事を休職し、一時的に父を引き取って同居介護を模索するしかなくなりました。安易に実家を売却する前に、自治体の支援制度やリバースモーゲージなどの代替案を検討すべきだったのかもしれません。介護サービスが「無限ではない」という現実を前に、私たちは「施設に入れれば最後は安心」という前提、多角的な防衛策を練る必要があります。
