「初めての同居で起こる想定外の事態の連続に、毎日悲鳴を上げていました。その最大の原因は、とにかく私が母のことを知らなすぎたこと」(撮影:洞澤佐智子)

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2025年下半期(7月〜12月)に『婦人公論.jp』で大きな反響を得た記事から、今あらためて読み直したい1本をお届けします。(初公開日:2025年10月13日)********昨年、92歳の母を見送った岡田美里さん。老後の世話はしたくないと思っていた母を引き取り、孤軍奮闘した日々と、長年のわだかまりを手放すことができた理由を語りました。(構成:丸山あかね 撮影:洞澤佐智子)

【写真】お母さんの92歳の誕生日を祝う岡田さん

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<前編よりつづく>

母の好物を初めて知って

こうして19年の8月、豊かな自然に囲まれた新天地、山梨へ出発。引っ越してすぐ、母の要介護認定を申請したところ、3ヵ月後に要介護2に認定され、ヘルパーの方が来てくださることになり一安心。

ですが、初めての同居で起こる想定外の事態の連続に、毎日悲鳴を上げていました。その最大の原因は、とにかく私が母のことを知らなすぎたこと。食事のときも、「ママはキュウリが好きだったのか」「ブドウパンに目がないのね」と、初めて知りましたから。

あれは引っ越して1週間くらい経った頃のこと。私が段ボール120箱分の荷物整理に奮闘していると、「ミリちゃーん」と呼ぶ母の声がして、家中を探し回ったものの姿は見えず。もしやと思って外へ飛び出すと、母は玄関先の段差で躓いて転んで動けなくなっていました。血は出ているし、手も骨折しているようで、大慌てで病院へ。

一人で散歩に行くところだったという母には、「出かけるときは、必ず私にひと声かけてね」とお願いしました。その後も同じようなことがあるたび、「ママは一人で生きているわけじゃないのよ」と言い続けていたのです。

母には母のやりたいことがあると思うのですが、私の都合もあることをわかってもらえない。よく知っている人なのに知らないことばかりで、とまどいっぱなし。片づけの合間、ふと鏡で自分の顔を見たら、顔全体がグッと下がっていて――笑わない暮らしをしているとこんなに人相が変わるのかと驚きました。

残務を片づけるために上京するときは、母のために食事の作り置きをしていました。母は、まだ身の回りのことはできていたのですが、妹の家でボヤ騒ぎを起こしたことがあったので、私は朝昼晩の3食を4日分、つまり12食の作り置きをすることにしたのです。

スーパーで山ほど食材を買ってきて、チンすれば食べられる料理を作り、冷蔵庫にぎっしり詰めて出かけました。長距離を運転して帰宅したとき、それが綺麗になくなっていると、もちろん食べてくれたほうがいいのですけれど、「ありがとうくらい言えないのかな」とイラッとしたり。私も慣れない生活でヘトヘトだったのです。

通販番組を見ながら「これを買ってほしい」「あれが必要」と言う母に、「同じようなものを持っているじゃないの」と諭しても、頑として聞き入れない。宅配便の方にお金を託して商品購入を頼んでいたことも――その方が機転を利かせて私に伝えてくださったおかげで未遂に終わりました。

母の身勝手さはわかっていたけれど、この際、何十年も抱えてきた気持ちをハッキリ言おうと決意。母が私たち姉妹を置いて去っていったときのことに初めて触れ、「なぜ黙って出ていったの?」と詰め寄ったのです。

そのとき、私の脳裏に、キッチンの片隅でキャベツを刻んで食べていた妹の可哀想な姿がよみがえってきたので、「せめて妹には謝ってほしい」と強く伝えました。でも母は黙って何も言わず、ついに謝らなかった。

この母娘の距離感に拍車をかけたのが、コロナ禍です。移住してから、娘たちも妹も来られないまま2年半、一人で母を看ました。母が喜んで通っていたデイサービスのおかげでずいぶん助かりましたね。

次第に歩行器なしでは歩けなくなっていた母は、「もうすぐ寝たきりになる」と、昼夜を問わず、しきりに訴えるようになりました。病気の進行を感じて不安だったのだと思います。でも私の中には、「実の娘に老後の面倒を見てもらえる自分は幸せだと、どうして言ってくれないの?」という気持ちが渦巻いていました。

「犬を飼ったら?」娘の提案は大正解

コロナの閉塞感の中、私は大らかさを失ってしまい、長女に電話をして、「ババちゃまがポータブルトイレをひっくり返して、服も床もビシャビシャになっちゃって、後始末するのが大変だったの」などと愚痴りがちに。

すると見かねた娘から、「ママ、犬を飼えば?」とアドバイスされて、「そうだわ!」と即行動。何かあったときに預かってくれる獣医さんを探したうえで、2匹の保護犬を迎えたのです。おやつをあげる母も私も笑顔になり、他愛のない会話が増え、犬にはとても癒やされました。犬の散歩は私のストレス解消にもなって、大正解だったんです。

ちょうどその頃、東京の家でいつもお世話になっていた神主さんが山梨の家にいらして、母に「自分のことは生きているうちに解決して、上にあがっていくことが大切」と話してくださったのです。

私には「親子であっても魂は別、それぞれの学びがある」と諭してくださり、「そうか、私は犠牲者ではなく、母の介護を通して魂の修行をさせてもらっているのか」と、ストンと腑に落ちて。母のことは最後の修行をしている《妖怪》だと思って見守ろう、と考えたら楽になりました(笑)。


「母のことは最後の修行をしている《妖怪》だと思って見守ろう、と考えたら楽になりました(笑)」

過去のことを引きずるから苦しいのだと気づいてからは、母のことは、「私を産んでくれただけで良しとしよう」と思えた。この歳になってやっと、わだかまりをなくすことができたのです。

こうした一連の流れがどう作用したのかわかりませんが、ある日を境に母が「ミリちゃん、ありがとう」と言ってくれるようになりました。あらゆる場面で「ありがとう、ありがとう」と。まさかの変化に、私は「奇跡が起きた」と思ったほどです。

それからしばらくして、母は歩けなくなり、本人から近くの特別養護老人ホームに入所したいと言われました。見学に行き、母が安心して過ごせる施設だったので、姉妹で話し合って決定。6年続いた母との同居生活が、ついに幕を下ろしたのです。

その後1年ほど、私は施設に通いました。24年3月5日、次第に弱ってきていた母の終末期についての打ち合わせが入っていた日。なぜかその朝、予定より早く顔を出そうと思い立って。あれは虫の知らせだったのでしょうか。

軽い気持ちで面会に行った私の手を握りながら、母は眠るようにスーッと息を引き取ったのです。とっても穏やかな死に顔で、私は泣きながら、「楽になってよかったね」と声をかけました。

お世話になった方への恩返し

山梨で暮らしながら、まだ自分にできることがあるはずと考えた時間が、今の私の糧になっています。コロナの自粛期間は先が見えず鬱々としがちでしたが、大好きな手芸や料理、菜園作りなど別荘での暮らしを少しずつユーチューブにアップ。視聴者の方から感想もいただいて、やりがいがありました。

なかでも思いがけないご縁で始まったのが、ジャム作り。21年の夏の日、玄関前に大量のプラムが置いてありました。近所の農家の方からの《田舎置き》をありがたくいただいて、ジャムを作ったんです。お礼にと持参したら、おいしいとすごく喜んでくださって。「コレだ!」と閃きました。

保健所の許可を取り、工房を作って、移住から1年半後に「ジャムオブワンダー」を立ち上げたんです。さらに、母の介護で出会った皆さんにも助けられ、地元の社会福祉施設で製品を一緒に作ることに。

無添加のジャムは、ウェブサイトや道の駅などで販売するとすぐに売り切れてしまう人気商品になりました。お世話になった方に少しでも貢献したいので、今後も続けていくつもりです。

母の死から1年あまり経ち、私も63歳となりました。人生、何が起こるかわからないものですね。というのも、再々婚するつもりはなかったのですが、コロナ下で、お互い病気になった場合を考えて、パートナーと22年に婚姻届を出しました。

昨年から、BSで歌番組のメイン司会の仕事もいただいて、演歌や歌謡曲が好きだった母が観たら喜んだろうと思います。そして、このほど東京・渋谷区でエステサロンをオープン。日々がんばっている方がリラックスできる場所を作りたかったのです。

どうも私の人生は、盛りだくさんのようですね(笑)。思いついたら即行動。私が一番もったいないと思う時間は、くよくよ悩む時間かもしれません。

私は今、最後に母と過ごした時間を振り返り、「どんなことにも意味がある、どうせやるなら潔く、心配しなくても帳尻が合うようになっている」と考えるようになりました。

これは母が残してくれたギフト。だから私は、遺影に向かっていつも声をかけているのです。「私を産んでくれてありがとう」って。