センバツ出場を決め、取材に応じる沖縄尚学のエース末吉良丞【写真:長嶺真輝】

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センバツ“復活当選”した沖縄尚学 末吉は制球に乱れ、県大会決勝で登板せず

 甲子園を制した剛腕が、聖地に戻ってくる――。第98回選抜高校野球大会に出場する32校を決める選考委員会が1月30日に開かれ、昨夏の第107回全国高校野球選手権で初優勝を飾った沖縄尚学が九州地区から2年連続で選出された。夏の頂点をけん引したエースの末吉良丞は、まだ2年生。夏春連覇への挑戦権を手にし、再び甲子園のマウンドに立つ。ただ、その歩みは決して平坦ではなかった。全国制覇後の秋から冬にかけて調子を崩し、本人は「自分のフォームを見失っていた」と率直に振り返る。それでも年明けから復調の兆しを見せているという。苦悩の正体と再生のきっかけは何だったのか。

「…4校目に熊本県立熊本工業高校、5校目に沖縄尚学高校」

 沖縄尚学の5階講堂。九州地区の最終枠で校名が読み上げられると、発表を見守っていた学校関係者や保護者から歓声と拍手が沸いた。

 対照的に、整然と並べられたパイプ椅子に座った選手、コーチたちは固い表情のまま。「やっぱり(九州大会で)負けてしまったので、半分半分くらいの気持ちで選考会を見ていました。選ばれてうれしかったんですけど、そこまで期待していなかった部分もあったので、衝撃は少なかったと思います」。発表後、報道陣の囲み取材を受けた末吉は淡々と振り返った。

 末吉の言葉にあったように、沖縄尚学は昨秋の九州地区大会でベスト8止まり。一度はセンバツへの道が閉ざされたかに見えたが、九州王者の九州国際大付(福岡)が明治神宮大会で優勝したことで、九州地区のセンバツ出場枠が4から5に増加。昨夏の甲子園で躍動した末吉と新垣有絋(2年)のダブルエースを中心とした投手力が高く評価され、5枠目に滑り込んだ。

 他力を必要とした選出が、チームの控えめなリアクションにつながった部分はあるだろう。一躍優勝候補に挙げられるほどの力を持ちながら、九州地区大会を勝ち上がれなかった要因のひとつは、末吉の不調だった。

 昨年8月、末吉は甲子園の中心にいた。決勝までの6試合で34イニングを投げ、39奪三振で防御率は1.06。最速150キロの直球と切れ味鋭いスライダーを武器に、全国の強打者を次々と打ち取っていった。翌月に地元・沖縄で開催されたU-18W杯では2年生でただひとり選出され、決勝の米国戦では先発を任された。

 ただ、順風満帆だった状況は一転する。自身が「U-18W杯が終わってからフォームを見失ってしまい、調子が落ちていく期間がありました」と振り返る通り、秋に大きな壁にぶつかった。

 制球が狂い、スピードも思うように上がらない。優勝した県秋季大会は準決勝のエナジックスポーツ戦で7回2失点と粘投したものの、6四死球を記録。翌日にあったウェルネス沖縄との決勝は登板せず、その後の九州地区大会も2試合で4イニングのみの投球にとどまった。

疲労と周囲の期待で「空回り」…等身大を受け入れる

 比嘉公也監督が「疲れがかなり残っているという印象は、U-18W杯の後から強く感じていました」と言う通り、不調に陥った最大の要因は疲労だった。

 約1か月半という短期間で、甲子園とU-18W杯という大舞台で9試合に登板。U-18W杯は9月14日に閉幕し、秋季県大会は9月20日に開幕した。わずかな休息を挟んだが、ここまでタイトな日程では身体のダメージを抜くことは難しい。無意識のうちに肘が下がり、フォームが崩れていった。

 メンタル面でも苦しんだ。2年生ながら次回のドラフト1位候補とされ、自然と周囲の期待は膨らむ。県大会や九州大会にも多くの観衆が詰め掛け、自身もそれに応えようとする。年明けに取材をした際、末吉は当時の心境をこう振り返っていた。

「疲労が溜まった中で自分にできることは限られていたと思いますが、それでも『ベストパフォーマンスを出そう、出そう』としていました。まわりからの期待もある中、自分にできる以上のことをやろうとして、空回りしていた感じです。気負い過ぎて、心と頭の整理がついていなかったと思います」

 1999年のセンバツでエースとして沖縄尚学を初優勝に導いた比嘉監督は、トップ選手だからこその苦悩が手に取るように分かるのだろう。「常に見られている環境では、疲労は抜けにくいですよね。かわいそうだなとも思いますが、慣れていくしかない。応援され、見られる中でそれを力に変えていく考え方が必要です」と、温かくも厳しい眼差しで見守る。

 冬はまず疲労回復を優先し、ボールを投げるよりもウエイトトレーニング中心の練習メニューを課したという。

 時間の経過と共に、徐々に自身と冷静に向き合えるようになっていった末吉。「冬に落ちるところまで落ちたので、できる範囲をより理解することができました。割り切ったことで、少しずつ状態が上がっていきました」。無理に背伸びはしない。底を知り、等身大の自分を受け入れたことで、前向きさを少しずつ取り戻していった。

立ち返った「原点のテイクバック」

 心が回復し始めた頃、今度は一度崩れたフォームを立て直す転機が訪れる。

 昨年末のことだ。チームの練習納めは12月27日。その翌日には、弟が所属する少年野球チームが年内最後の練習を行った。自身もかつて在籍したチームだ。親に「手伝いに来て」と言われて久しぶりに顔を出すと、お世話になった監督がいた。やり取りの中で、「その監督にずっと言われていたテイクバックの使い方をふと思い出したんです」と振り返る。

「グラブからボールが離れた後、体のラインに沿って腕をたたみ、上に引く」。それが、少年時代に繰り返し指導されたフォームだった。

 原点に立ち返って実践すると、ボールが指にかかる感覚が復活し、スピードも戻ってきた。「本当にたまたま」つかんだという再生への糸口を体に刻み、年明けから調子を取り戻していった。

 捕手の山川大雅主将(2年)も「年が明けてから、ボールの勢いがさらに強くなったように感じています」と好感触を語る。

 苦しい時期でも、再浮上を信じてコツコツと積み重ねた体づくりも実を結びつつある。パンパンに張った太ももが象徴するように、土台はがっしりとしている中、上半身と下半身を7:3の割合で鍛えてバランス良く強化。昨夏時点で95キロが最高だったベンチプレスは105キロまで上がるように。今夏には平均球速を140キロ台後半から150キロまで上げることを目標にする。

 心身のコンディションが上向いてきた影響だろう。センバツ出場が決まった直後の言葉には、力があった。

「夏春連覇をできるのは自分たちだけなので、出るからには優勝を目標に全員でやっていきたいです。夏に優勝して追われる立場だとは思いますが、今は新しいチームになっています。そこはあまり意識せず、もう一度挑戦者という気持ちで1試合1試合に臨みたいです」

 一度立ち止まったからこそ、見つめ直すことができた自身の原点。世代トップ級の選手とはいえ、まだ成熟の途上にある17歳にとっては次のステージに進むために必要な時間だったに違いない。自身3度目の甲子園となるセンバツでの投球で、それを証明してくれるはずだ。

(長嶺 真輝 / Maki Nagamine)