Photo: 小野寺しんいち

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AIが考える理解不能おばあちゃんYouTuberたち

個人的に今好きなYouTuber、AIで作られたぶっとびおばあちゃんたち。

SNSの画像、広告動画、街中のポスターまで、最近AIが作ったコンテンツを至る所で見るようになりましたよね。

しかも、中には本格的に感情移入してしまうような力作まであって、いよいよ爆発的な普及が間近なように感じます。

長編AI映画『マチルダ 悪魔の遺伝子』が劇場公開

でも、まださすがに大規模なコンテンツは作れないんでしょ? いやいやもうそんなことありません。ついに、AIで作られた長編映画が劇場公開されました。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

タイトルは『マチルダ 悪魔の遺伝子』。役者やカメラを使わず、映像、セリフ音声をAIで作った作品です。その長さはなんと1時間越えの72分。これだけ長尺の生成AI映画を劇場公開に踏み切った試みは、世界的にも先進的だと言えるでしょう。しかも、映画制作経験がない監督が作ったというのだから、これまたすごい。

実際に鑑賞してきたのですが、これまでの映画鑑賞とは全く違う体験になりました。

さすがはAI。とにかく美麗

本作のあらすじをサクッとお伝えすると…

これは、未来世界を舞台とした、“人間性”とは何かを問う、愛の物語。

遺伝子学者マチルダは、人間の暴力性に関与する遺伝子、通称「悪魔の遺伝子」を発見。それが男性だけにあることを突き止めます。人類の絶滅を防ぐには、悪魔の遺伝子を根絶しなければならない。その目的で、極秘計画を遂行。結果として2222年、男性が世界から姿を消しました。平和を得た人類。そんな世で、ある禁断の出会いが世界を変えていきます。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

まず観て驚かされたのが、絵の美しさ。AI生成コンテンツ特有の不自然さが、いい意味でSF世界と相性が良く、“未来感”を演出します。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

特に、風景描写や情報密度の高いカットでは、人間の制作ではコスト面で諦めざるを得ない細部まで描き込めるという、生成AIならではのアドバンテージが明確に表れているように感じます。

ディテールの破綻が阻む、感情移入

ⒸMATILDA LINE PROJECT

しかし、そこはAI。気になるレベルの破綻もチラホラ。たとえば、登場人物たちの顔や衣装、乗り物の形が頻繁に変わってしまうのです。「あれ、この人誰?」や「さっきまで乗ってた車じゃないじゃん」と、鑑賞中、違和感がポコポコと生まれて、鑑賞体験のノイズになってしまうのも事実でした。

そして、今見ているものが“作り物”、つまり“フェイク”であるということが常に意識されるようになり、序盤では感情移入の障壁に。

さらにそうした前提に立つために、表情や身振り手振りから情報を読み取ろうとする気が起きず、物語の理解度も低下。私たちって普段映画を見る時に、人間の役者の表情や態度からも多分に情報を得て、物語の理解に役立てていたのだと再認識させられました。

気づけば、応援していた自分

ⒸMATILDA LINE PROJECT

しかし、本当に興味深いのはクライマックスを迎える頃。物語が徐々に腑に落ちるようになってきて、どんどんと感情移入していったのです。

そして、さっきまで「これはフェイクだろ」と見なしていた主人公のことを、応援していました。一つの映画の中で感覚が転換する、不思議な体験になりました。

では、なぜこんな転換が起きたんでしょう。

それは、「フェイクにリアルを感じたから」だと思います。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

映画終盤では、葛藤や愛情、喜びといった私たちの感情構造にも通じるストーリーが展開され、「確かにこの局面だったらそう感じるよな」と、過去の自分の実体験と重なって、物語が自分ごと化されていきました。すると、フェイクのはずの世界が、次第にリアルに感じられるようになっていったんです。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

ポイントは共感。人は、受け取ったコンテンツに自らの心を映すことで、自分の物語として読めるようになる。つまり、フェイクのものであっても、共感が生まれれば、感情移入し、楽しめるようになるってことなんじゃないでしょうか。

ただこれ、冷静に考えると、AIコンテンツ特有の体験ではありません。一般的な映画やドラマを見る中でも私たちが日々やっているプロセスです。だって、生身の人間が演じる役だって、本当はフェイクですからね。AIコンテンツでも、同じ図式が成り立てば、感情移入が可能であることに驚きました。

信じれば、フェイクもリアルに変身する

ⒸMATILDA LINE PROJECT

ここまでで、「フェイクであっても“共感”が生まれれば感情移入は起きる」という条件自体は確認できました。

でもそうすると、もっと根本的な疑問が浮かびます。なぜ私たちは、感情を持たないと分かっている存在に対してすら、あたかも心があるかのように感じ、感情を向けてしまうのでしょうか。

生身の人間であれば、感情の置き場が存在します。「この人はこう感じているはずだ」と素直に解釈できるでしょう。一方AIが作ったキャラクターは、感情もなければ、実在もしていません。そんな存在に、どうやって感情を入れ込めるというのでしょう。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

実はこれもまた、私たちがいつもやっていること。

アニメを思い出してみてください。まさに存在しない対象の一喜一憂に、私たちも悲しんだり興奮したりします。でも、声優が生の人間だからと反論されてしまうかもしれません。

では、霊やぬいぐるみ、動植物、自然などはどうでしょう。「霊がいる感じがする」「この動物は泣いている」「山が怒っている」など、実在しないもの、実在すると確証を得られないものでも存在を感じ、感情を持たない、あるいは人間とは感情構造が異なるものに対しても、まるで心があるように感じることができますよね。あらゆるものに畏敬の念を感じる多神教の世界観で生きてきた私たち日本人なら、尚更よくわかるんじゃないでしょう。

“気づいたら信じてしまっている”。ポイントは、脳の解釈

ⒸMATILDA LINE PROJECT

では、どうやってこうした感覚は作られているのでしょうか。それは、「信じるかどうか」、もっと言えば「気づいたら信じてしまっている状態が生まれるかどうか」にあるのかもしれません。

先ほどのアニメの例で言えば、私たちはそれがただの「絵」だってこと、誰でもわかっているわけです。それでも鑑賞中に心が動くことで、感情と現実の認識の間にギャップが生まれる。すると脳は、そのギャップを放置できず、「なぜ自分は今、こう感じているのか?」という意味づけ(解釈)を走らせます。その結果、実在しないはずのものが、解釈上、主観的には「本当だ」と感じられる状態が生まれていくのではないでしょうか。

この辺りのことは、心理学の世界でも提唱されていて、ダニエル・カーネマンの「二重過程理論」や、レオン・フェスティンガーの「認知的不協和理論」にも通じます。

現在の一般的な常識では、「機械が作ったもの=偽物」です。そのため、AIコンテンツがリアルであると信じることは簡単ではありません。しかし前述の通り、そこに感情が重なり自分ごと化されると、脳の“穴埋め”によって“リアル”として信じられるようになるのです。共感をトリガーに、自分の脳を騙すのに成功したわけですね。

マチルダは、人間の認知の限界を試す実験だった

Photo: 小野寺しんいち

今はまだ違和感のあるAIコンテンツ。しかし近い将来それが日常化され、リアルだと信じられるようになった時、真に価値あるものとして確立されるのかもしれません。しかもそれ、意外とコロッと受け入れられちゃうのかも。

さらにはこれって、AIという存在に、私たち人間が感情を抱く可能性すらある話にもつながるような気もします。もう、AIと“結婚”する人だって現れてますもんね。

突き詰めると、実在する、実在しない、なんて問いそのものがもしかしたら意味がない。私たちが、それを認知するかどうかだけ、なのかも…しれない? あれ? 思考が宇宙にぶっ飛びすぎた? いや、それでも、人の認知は、それぐらい曖昧なものなのかもしれません。

『マチルダ、悪魔の遺伝子』は、「AI映画」というジャンルの始まりを超え、人間の認知の限界を試す実験だったのかもしれない、とすら思えてしまうほど、すごい体験になりました。

2026年1月23日から29日まで(平日19:30〜 / 土日18:00〜)ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場で、1月23日からは静岡のシネプラザ サントムーンで上映予定です。今しかない特別な体験、浴びてみてはいかがでしょう。

Source: マチルダ 悪魔の遺伝子, やさしいビジネスススクール, カオナビ