現代の日本語にはどのような問題があるのか。多摩大学名誉教授の樋口裕一さんは「過剰に丁寧な表現が幅を利かせている。その典型的な例は『させていただきます』だ」という――。

※本稿は、樋口裕一『その一言で信用を失うあぶない日本語』(青春新書インテリジェンス)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/woraput
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/woraput

■「させていただきます」に覚える違和感

今や誹謗中傷社会になってしまった。余計なことをちょっと言うと、それがすぐに知れ渡り、時に袋叩きにあう。余計なことでなくても、持論を言っただけで、しかもその持論が賛否両論あるものであっても、それが多くの人に知れ渡ることになると、反対する人がこぞって攻撃する。

その結果、誰も思い切ったことが言えなくなり、言論が冷却化してしまう。同時に、過剰に気を使った表現が幅を利かせることになる。

正確な文面は忘れたが、「弊社で刊行させていただいております雑誌の特集に先生にご登場いただけないかと考え、ご連絡させていただきます」というような文面のメールをもらったことがある。

要するに、「弊社の雑誌の特集に寄稿をお願いしたいと考え連絡を差し上げます」ということだろう。「いただく」が三度も出てきて煩わしいこと、この上ない。

過剰な丁寧さの典型的な例が「させていただきます」だ。

「○○について発表させていただきます」「担当をさせていただいている○○です」などと今は普通に使われている。「本学で教授をさせていただいている○○です」「先日、著書を出させていただいた○○です」という表現も耳にする。話をしている相手のおかげで教授になれたり、本を出せたりしたのであったら、こんな言い方でもいいのだろうが、その言葉を聞いている誰も、その人に対して何らかの尽力をした覚えはないだろう。「発表します」「担当しています」「教授です」でよい。

■丁寧に言おうとして、むしろ傲慢になっている

それくらいならまだしも、「力不足を感じさせていただきました」、そして、またご丁寧に、サ入れ言葉を用いて、「故郷を思わさせていただきました」などという表現も現れている。「感じる」「思う」というきわめて私的なことさえも、まるで他人にしていただいたことのように語る。もし、相手のおかげで力不足を感じたのであれば、「おかげで力不足を痛感しました」とでも言えばいい。「故郷を思いました」で十分だ。

役人言葉と思われる「してございます」もおかしな言葉だ。国会答弁でもしばしば耳にする。国会だけでなく、市役所などでもこのような言葉遣いが広まっているようだ。

どうやら、こういう表現をする人は、「います」の代わりに「ございます」をつけると丁寧になり、相手に対して敬意を示していることになると勘違いしているらしい。しかし、「私は今、データを見てございますが……」「その点につきましては、以前より承知してございます」などという表現はおかしい。

このような「ございます」がおかしいのは、自分の行為に本来は尊敬語である「ございます」がついているからだ。「あちらにデータがございます」はよい。「あそこにデータが置いてございます」もいいだろう。しかし、「私がデータを示してございます」は、丁寧に言おうとして、むしろ傲慢になってしまっている。

■「あげる」は本来は謙譲語

外国人の方」「会社員の方」「参加者の方」「受講者の方」という表現も耳にすることが多い。「外国人」「会社員」「参加者」「受講者」という言葉ですでに人であることを示しているのだから、「の方」を入れる必要はない。ところが、それを入れないとぶしつけにあたると考えるのだろう。「外国人の方」という表現は、お役所でも一般的に用いられているようだ。

どうしても「外国人」「会社員」が失礼に感じるのなら、「外国の方」「会社でお仕事なさっている方」と言えばいい。

同じような気持ちから生まれている表現かもしれない。優しさのアピールだろうか、ものに対して「あげる」を使う人もいる。

「あげる」は本来は謙譲語なので、敬意の対象に対して与える場合に用いる。「やる」が通常の言葉で、自分よりも目上の人に「やる」ときに、「あげる」「差し上げる」を用いる。ところが、時代とともに、「やる」ではぞんざいな感じがすると思われるようになって、「犬に餌をあげる」などという表現が多用されるようになった。これについてはすでに定着しているので、本来の使い方からは誤っているが、もちろんよいだろう。

■「過剰敬語」が美しい日本語を壊している

しかし、「花瓶の水を替えてあげてください」「カバンを布で丁寧にふいてあげる」「蓋を少し開けて、水分の逃げ場を作ってあげると、おいしく炊き上がる」などなどの表現は行き過ぎとしか言いようがない。

この表現は、料理や物のメンテナンスなどについて語る際にしばしば使われるようだ。このような人たちはもしかして、食材や花瓶やカバンや鍋を生き物のように思って、いたわってあげなければならない存在だとでも思っているのだろうか。あるいは、そのような丁寧で心優しい自分を周囲にわかってほしいと思っているのだろうか。

私としては、もっと日本語というものに優しさを持っていただいて、せっかくの日本語の美しさを壊さないでほしいと思うのだが、この人たちはそのようなことは考えてもみないらしい。

【問題】「させていただく」「ございます」「してあげる」などのうち、少なくとも一つの表現を使って悪い例を作ってください。
?担当の山口です。これから文章を読み上げます。
?本校の卒業生が大勢参加してくださったことに感謝します。
?私は本をたくさん持っていますが、すべての本にカバーをかけています。

【解答例】
?担当させていただいている山口でございます。これから文章を読まさせていただきます。
?本校の卒業生の方が大勢参加してくださったことに感謝させていただきます。
?私は本をたくさん持ってございますが、すべて本にカバーをかけてあげています。

■緊急を要する場面なのに「及び腰」の表現

新型コロナウイルスで多くの患者が発生し、死者、重症者が続出していた時期、状況は切迫していた。医師などの専門家がテレビに出て、感染を避けるための日常生活の注意点などを語っていた。

そんな時期にも、学者たちは、「できましたら、もう少し手洗いに注意してほしいかな、というふうに思います」などという言い方をした。

近年、地球温暖化の影響だろう、「100年に一度の災害」といった言葉を聞く。実際、1時間に100ミリを超すという信じられないような豪雨に見舞われる地域もある。そんなときにも、学者や専門家が現れて警告する。そこでも、「道路の冠水などが確認されてございます。命を守る行動をよろしくお願いいたします」「早めの避難行動に結びつけていただければと思います」「避難をお願いしたいと思います」などと、丁寧に及び腰の表現が使われている。「道路が冠水しています。今すぐ命を守る行動をしてください」とするほうが緊急性が伝わるだろう。

写真=iStock.com/xphotoz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/xphotoz

■なぜきちんと「……です」と言わないのか

予想が外れたときに非難されることを恐れているのだろうか。確かに、中には誹謗中傷する輩がいるだろう。しかし、コロナの場合も災害の場合も緊急を要する。「かな? と思います」などと言っている場合ではない。きちんと断定してほしい。そうしないと切迫の度合いが通じない。

断定を避ける傾向は、もちろん専門家だけではない。一般の人まで広く及んでいる。いや、むしろ一般の人の通常の話し言葉の中に忍び込んでいる。

本来、「これが」「こちらが」という主語に対する述語として考えられるのは、「……です」という形だろう。ところが、近年では多くの人が「こちらが……になっています」と言う。「こちらが客間になっています」「こちらは350円になります」などというのはまだいいほうだ。「これが私が使っている本になります」「あちらが浅間山になります」などと言う。「なるとすると、前はそれではなかったのか。では、いったい、それになる前は何だったんだろう」という突っ込みを入れたくなる。さっさと「これが私の本です」「あれが浅間山です」と言えばいいではないか。

■「むかつくではないですけど、腹が立ちました」

「ではないですけど」という表現も同じような心理に基づくだろう。

樋口裕一『その一言で信用を失うあぶない日本語』(青春新書インテリジェンス)

「けんかじゃないですけど、言い争いをしました」「見苦しいではないですけど、見ていて気持ちのいいものではないですね」「むかつくではないですけど、腹が立ちました」などという言い方をする。しかし、「ではないですけど」と否定しているものと、その後に言われているものは、程度の差が少しあるだろうが、実質的にはほとんど変わらない場合が多い。「けんかというほどではないけれど、実質、けんかに近いくらいの言い争いをした」というような意味なのだろう。

これもしゃべっている人が、ひょいと頭に浮かんだけれど、そのように断定することにためらいを感じて、自分で否定して言い換えているということだろう。

このような言い方をする人は、きっとそのように断定することに押しつけがましさを感じ、それを緩和しようと思っているのだろう。

バイト敬語として知られる「ご注文は……でよろしかったでしょうか」という表現も同じような心理によるものだろう。

■過剰に謙遜し「不要な言葉」を紡ぎ出す社会

もちろん、客が何かを注文したのを受けて、「……でよろしかったでしょうか」は、多くの人に不自然に思われる。そもそも注文したばかりだし、これから注文した品物が提供されるはずなのだから、現在形を用いて、「……でよろしいでしょうか」というのが普通だ。それを過去形にする背景には、「自分が耳にしたお客様の注文の言葉は、このようなものでよかったのか」という意識が働くのだという。つまりは、他者に現在形で尋ねることをぶしつけだと考えて、自分の中での反省を過去形を用いて伝えているということらしい。しかし、これもまた、直接に、「ご注文は……でよろしいですね」と客に直接的に尋ねるべきことなのだ。

コンビニなどで耳にする「1000円からお預かりします」というのも同じことが言えるだろう。「1000円をお預かりします」でよいのだが、それをぶしつけだと考えて、「から」という言葉を用いる。

「……になります」も「からお預かりします」も、断定してイコールで結ぶのではなく、そこに方向性を加えることによって、息苦しさを避けようとしているのだろう。

こうして過剰に謙遜し、過剰にサービスし、不要な言葉を紡ぎ出す社会になっている。

【問題】次の文を直接的な表現に改めてください。
?もう少し注意していただけるとありがたいかなと思います。
?怒鳴るではないですけど、大きな声で叱りました。
?こちらが、先ほどお話しした本になります。

【解答例】
?もう少し注意してください。(もう少し注意していただけませんか。)
?怒鳴りました。
?こちらが先ほどお話しした本です。

----------
樋口 裕一(ひぐち・ゆういち)
多摩大学 名誉教授
1951年、大分県に生まれる。早稲田大学第一文学部卒業後、立教大学大学院博士課程満期退学。仏文学、アフリカ文学の翻訳家として活動するかたわら、小学生から社会人までを対象にした小論文指導に従事。通信添削による作文、小論文専門塾「白藍塾」塾長。著書は『頭のいい人は「短く」伝える』(だいわ文庫)、『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)など多数。
----------

(多摩大学 名誉教授 樋口 裕一)