浅田美代子 恩人・樹木希林さんと過ごした45年「おごらず、人と比べず、面白がって」スマホで見返す“寄り添いの言葉”

浅田美代子
渋谷の道玄坂と文化村通りを結ぶ抜け道としても知られる「道玄坂小路」。その細い路地の中ほどに、赤煉瓦づくりのどっしりとした建物が印象的な台湾料理店「麗觶」がある。創業は1955年。本場の味が楽しめることから芸能界やスポーツ界にもファンが多い。女優・浅田美代子もその一人。
「お友達と渋谷の映画館で映画を観たときは、必ず『麗觶』さんでお食事をします。樹木希林さんともよく来ました。焼きビーフンが大好きで、こちらの名物料理の『シジミ』の汁をビーフンにかけて食べると美味しいと教えてくれたのも希林さん。懐かしいなあ」
浅田は少し寂しそうな笑顔で店内をぐるりと見回した。
気持ちがあれば、観ている方にも必ず伝わる
高校2年生の秋、浅田は友人とバザーがおこなわれていた神宮外苑のいちょう並木を歩いていた。すると芸能事務所の男性から名刺を渡され、「芸能界に興味はありませんか?」と声をかけられた。
「当時、若い女性が連続殺人の被害者になる事件があったので怖くなって、家の電話番号を教えればこの場から離れられるかもと番号を教えたんです。そうしたら翌日には電話がかかってきました。私のどこがよかったのかなあ。今でもわからないです(笑)」
熱心に誘われ、浅田の気持ちは少し芸能界に傾いていた。しかし両親は大反対だった。
「そのときにたまたまドラマ『時間ですよ』(TBS)のお手伝いさん役のオーディションがあり、すすめられました。
両親からは『落ちるに決まっている。落ちたら二度と芸能界に入るなどと言うな』と言われながら受けました」
応募者約2万5000人の中から見事に合格。翌日の新聞にはオーディション結果が載ることになった。
「通っていた高校は校則が厳しくて、芸能活動は禁止。退学になるのが嫌だったので、新聞が発売される前に私から退学届を出しました」
演技経験はゼロ。浅田は演技指導を受けることになった。
「縁側ってあるじゃないですか。お手伝いさん役なので、そこの雑巾掛けを何回もやらされました。『これ、お芝居なのかなあ』って思いながら、人生初の雑巾掛けを続けました。撮影で困ったのは、舞台が銭湯でしょ、カメラは “下” を映しませんけどお客役の皆さんは全裸です。だから私には丸見え。どこに目をやっていいのかわからず床ばかり見ていたら、希林さんが『従業員なんだから恥ずかしがってちゃダメなのよ』って。そう言われても私、17歳でしたから」
番組では劇中歌の『赤い風船』を歌った。これが大ヒットして1973年の「第15回日本レコード大賞新人賞」を受賞。しかし、独特な歌い方がものまねのネタにもされた。
「新人賞は一生に一度のことなので嬉しかったですけど、歌は本当に苦手だったんです。ものまねされて『あ〜、やられた』『私、こんなにヘタなの?』と思っていました」
『時間ですよ』を経てTBSのヒットメーカー、久世光彦プロデューサーのドラマに欠かせない存在になった。久世氏からは多くを学んだ。
「台本に『泣く』と書いてあっても『泣こうとする芝居』はしなくていい。『泣く気持ち』が大切。気持ちがあれば観ている方に通じる、というアドバイスは今も大切にしています」

浅田美代子
ドラマ、映画の出演が続いた浅田の代表作のひとつに、『釣りバカ日誌』シリーズがある。西田敏行が演じる浜崎伝助の妻、みち子役で出演したが、当初は役を受けるかどうか悩んだという。
「私の前に石田えりさんが演じられていたので、釣りバカファンの皆さんには『みち子は石田さん』というイメージが定着しているのではないかと思ったんです。
そうしたら原作者のやまさき十三先生に『みち子は浅田さんのイメージでした』とおっしゃっていただき、漫画でみち子さんを見たら『なんとか、できそうだな』って。
ロケでは西田さんと三國連太郎さんがアイデアを出し合いしすぎて何も撮れない日があったりして、楽しい思い出ばかりです」
『釣りバカ日誌』とともに「芸能人生の分岐点になりました」と言うのが『さんまのからくりTV』(1992年〜1996年、TBS)出演だ。
「(明石家)さんまさんが主演した2時間ドラマ『ふんだりけったり』(1992年、日本テレビ)に出演させていただきました。そのときさんまさんが『変な女がおるなあ』と思ったらしく、『からくりTV』のキャスティングをするプロデューサーさんに『浅田さんを口説いてくれ』と頼んだそうです。さんまさんからも直接『頼んますわ』と言われましたが、出演してもせいぜい1クール(3カ月)だと思っていました。それがその後の『さんまのSUPERからくりTV』(1996年〜2014年、TBS)も含めて22年お世話になるなんて。
当時、まだ離婚したイメージを引きずっていて世間的には『かわいそう』と同情されていました。
番組はそのイメージを払拭してくれて、『また、芸能界でお仕事を続けていける』と思わせてくれるきっかけをいただけました」
「天然」という浅田の新たなキャラクターが注目された。
「確かにプライベートではよく笑われていました。だけど番組であんなに笑われるなんて予想外でした。収録はお仕事ですけど、お友達の家に行く感じでスタジオに通いました。 “地” のままで出演していたんです。さんまさんは今も、私が『金曜日って何曜日?』と聞いたことを番組などで言いますが、あれは『金曜日は何日?』と日付を聞こうとして間違えたんです。さんまさんはちょっとしたことも盛るから怖い、怖い」
今年、デビューしてから50年になる。
「そうなんですよね。(芸能人生は)大変だったこともありましたけど、楽しいことのほうが多かったから、結果としては楽しかったかな。
お別れしたのは寂しいですけど、希林さんと一緒に過ごした45年もすごく楽しい時間でした。希林さんが入院してから亡くなるまで、私は遅い夏休みを取っていたので、ずっと病室にいることができました。
何かを話すということもなく、病室から外を眺めながら希林さんの足をマッサージしたり。日が暮れると『犬の世話があるんだからもう帰りなさい』って言うんですけど、寂しそうなんです。夜になると、いろいろなことを考えてしまうから、それが嫌だったのかも」
そう言って、浅田はバッグからスマートフォンを取り出した。そこには、樹木さんからかけられた言葉の数々がメモされているという。
「好きな言葉がいっぱいあります。『おごらず、人と比べず、面白がって平気に生きればいい』。これも大好きです。まだまだ聞いておきたいことがありましたけど、それがかなわないので、ときどきこれ(スマホ)を見返しています。そうすると、希林さんが寄り添ってくれているような気がするんです。
50年を振り返ってみると『偶然』と『ご縁』ばかりでしたね。偶然、神宮外苑でスカウトの方に声をかけられなければ、偶然、『時間ですよ』のオーディションがなかったら……。そうしてたくさんの方とのご縁がいただけました」
「麗觶」には、思い出が詰まっている。
あさだみよこ
1956年2月15日生まれ 東京都出身 1973年、ドラマ『時間ですよ』シリーズ(TBS)で女優デビュー。劇中歌『赤い風船』で「第15回日本レコード大賞新人賞」を受賞。『あした輝く』(1974年)で映画初主演。映画『釣りバカ日誌』シリーズ(1994〜2009年)、ドラマ『ザ・トラベルナース』(2022年、テレビ朝日)、『赤いナースコール』(2022年、テレビ東京)ほか出演作多数。舞台『最高のオバハン 中島ハルコ』(9月13日より名古屋、福岡、高松、大阪、長野、盛岡、山形で公演)に出演
【台湾料理 麗觶】
住所/東京都渋谷区道玄坂2-25-18
営業時間/平日12:00〜15:00、17:00〜23:00 土・日曜・祝日12:00〜23:00
定休日/お盆、年末年始
写真・木村哲夫
