(c)MBS

写真拡大 (全9枚)

 総菜を買って持ち帰り自宅などで食べる「中食」は今やすっかり生活の一部に定着した。その「中食」がまだ馴染みの薄かった1970年代初めに目を付け、いち早く商売にした男がいる。神戸に本社を置くロック・フィールド創業者・岩田弘三会長だ。裸一貫で18歳の時に小さな店を開いた岩田会長は、いかにして500億円企業を育て上げたのか。その激動の半生と、見据える「食」の未来を聞いた。

小学生の時に南京町で「用心棒」に

―――神戸で育たれましたが、小さな頃はどんな子どもでしたか?
 神戸の南京町で育ちました。あまり勉強はできなかったですね。小学生の時、近所にお料理屋さんが引っ越してきて、南京町は当時あまり環境がよくなかったので、そこのご主人がひとり息子のことが心配で、何とか息子を守ってくれる「悪ガキ」はいないかということで、僕が選ばれました。

―――料理店の息子さんの用心棒?
 ある時、その日本料理屋さんのご主人に晩御飯をごちそうになって、口にした途端「これはおいしい!」と驚きました。するとご主人が「これからは定期的に食べに来なさい」と仰ってくださった。休みの日にはご主人が「よし、今日は鰻を食べに名古屋へ行く」という具合で。

―――贅沢ですね。
 そうですよ。とにかくご主人にかわいがってもらいまして。そうしているうちに「お前、これからはこの店で働け」ということで、定時制高校に通いながらトータルで4年ぐらいかな? 働かせてもらいました。

18歳で独立、25歳でレストラン開業

―――その後、独立された。
 18歳で独立して、南京町にあった実家を改装して、喫茶店や貸本屋をしました。そして、25歳の時に欧風料理店「レストラン・フック」をやって。初めはカウンターだけでしたが、後に2階にテーブルを作ってね。

欧米旅行で確信「日本もデリカテッセンの時代になる」

―――レストランを始めた後、欧米に出かけられたそうですね。
 ヨーロッパ、フランス、イタリア、スペイン、ドイツ、イギリス、アメリカに行きました。時々レストランを覗いて、少し料理を学ぶというか、盗んだわけです。何か日本に持って帰られるものはないか、という感じで。その時、目にしたのが総菜を買って家に持ち帰り食べる「デリカテッセン」でした。日本はまだ欧米化していませんでしたから「これからはきっと、デリカテッセンの時代になる」ということを思いました。

―――それで今でいう「デパ地下」に進出されたわけですね。
 デパートの専務さんが僕のレストランに来られて、「これからは総菜の時代や。総菜をやらないか」と。彼は「これからは女性が働く時代。欧米化していくだろう」と思っていたそうです。つまり私と同じ考えだったわけです。

「RF1(アール・エフ・ワン)」立ち上げ3年後に阪神・淡路大震災

―――会社を経営する上で、大変だったことは?
 工場では商品を作った後の排水をろ過しなくてはなりません。そのろ過作業が十分にできていなかった。そのために兵庫県の検査が入って、新聞がどんと書いた。『グルメ会社が、排水を垂れ流し』と。これは本当に死ぬほど恐ろしかったですが、その経験があったから「事業を起こした以上は社会的にしっかりと真面目に正しく、清くやらないとならないと」いう大変な教訓になりました。


―――「アール・エフ・ワン」を立ち上げたのは1992年。3年後には、阪神・淡路大震災が起きます。
 朝起きて近所を見たら大半が壊滅的でしたね。すぐに会社に向かいました。途中、阪神高速がドーンと倒れていた。あれには驚いた。本社工場は大丈夫でしたが、近くのガスタンクが爆発するという噂があり、それは怖かったですね。神戸工場は稼働できないので、静岡工場に社員20人くらい連れて行って、商品はなんとか出荷できました。本当に、いろんな人の助けがあったからこそ、これまで何とかやって来られたと感謝しています。だから「過去よりは今、今よりは未来」という思いを大切にしています。

コロッケにサラダ「庶民の味」が強み

―――「アール・エフ・ワン」の店は全国各地に出店されています。ロック・フィールドの強みはどういった点ですか?
 神戸から事業を起こして、大阪、東京やいろいろなところで店をやらしていただいている。それはマーケットとして事業が受け入れてもらえたということだと思います。消費者に受け入れられる業態開発といいますか、商品開発といいますか、それが強みでしょう。

―――いまの「RF1(アール・エフ・ワン)」の業態になる前は、高級のサーモンなどの高級総菜が売れていたそうですが、突然「神戸コロッケ」などの庶民の味を打ち出した訳は?
 以前、私たちは総菜をやりながら、お中元・お歳暮の商品でハム、ソーセージ、パテ、テリーヌなどの分野で強かったんです。しかし、よくよく考えるとやはり自分たちがやることはそういうことではなくて、もっと日本の食生活のことをしっかり考えてやっていくのが会社に与えられた役割ではないかと。そういうことでコロッケやサラダをやろうと考えました。

「食と健康」をテーマに商売の「鉱脈」探る

―――岩田さんのこれからの夢は?
 「サラダカンパニー」として、野菜を中心にサラダを通して、それなりの世界を作ってやってきました。今はこれだけ高齢化が進んできて、認知症やいろいろな病気の心配があります。消費者にとって一番大事なのは、やはり「食と健康」ということだと思います。そこをどこまで、我々のサラダだけじゃないけれど、全ての商品を通して消費者のみなさんに「これは食べて良かったなあ」と思われるようになれるよう、さらに努力したいと思っています。

―――岩田会長にとってリーダーとは?
 清く正しく美しくやね。多くの幹部であったり、多くの社員であったり、多くの取引先の方々に信頼してもらおうと努力すること。口でベラベラしゃべるよりも行いを通して「あの人は信頼できるな」と思われることが大切だと思います。


■岩田弘三会長
1940年、神戸市に生まれ南京町で育つ。定時制高校に通いながら日本料理店で修業し18歳で独立。25歳の時に実家を改装し、欧風料理の店を開業。1972年、「ロック・フィールド」設立。1989年には「神戸コロッケ」発売し、数年後、年商50億円の大ヒット商品に。1992年、サラダを中心とした総菜ブランド「アール・エフ・ワン」を立ち上げる。

■ロック・フィールド
神戸市東灘区に本社を置く。2019年4月期の連結売上高は、509億円。従業員約1500人。「アール・エフ・ワン」や「神戸コロッケ」、野菜ジュースの店「ベジテリア」、和総菜の店「いとはん」などを展開。

■このインタビュー記事は、毎月第二日曜日のあさ5時15分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:15放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
過去の放送はこちらからご覧ください。