「彼女のためにできる限りのことはしていたつもりだったんですが……」と語り、愛甲氏は肩を落とした

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中学校の先輩でもある彼に、死の直前まで政界への思いを熱く語っていた

「彼女のためにできる限りのことはしていたつもりだったんですが……」と語り、愛甲氏は肩を落とした

「三宅にとって私は、地元のアイドルのような存在だったみたいです。ある日突然、私のツイッターに『愛甲さんと同じ中学なんです。いろいろ話を聞いてほしいです』というメッセージが来たのがきっかけで知り合って以来、何度も会い、頻繁に連絡も取り合っていました。最初は、明るくて芯のある女性という印象だったんですが……」

 そう語るのは、中日ドラゴンズなどで活躍した野球解説者の愛甲猛氏(57)だ。実は愛甲氏は、今年1月2日に東京湾で遺体が発見された三宅雪子元衆議院議員(享年54)の中学(逗子市立久木中学)の先輩で親友。入水自殺したとみられている三宅元議員から、亡くなる直前まで相談を受けていたという。

「三宅とは何度も二人で会いましたが、彼女が話していたのは、もっぱら政治についてです。福祉に関心があったようで、『現政権は福祉に対する認識が甘い』と熱っぽく語っていました」

 元フジテレビ社員の三宅氏は、官房長官や労働大臣を歴任した石田博英氏の孫で、小沢一郎衆院議員とは長く親交があった。その縁で、’09年衆院選に出馬。比例当選を果たし、「小沢ガールズ」と呼ばれた。’13年の参院選で落選した後は、ジャーナリストとしても活動していた。

 いったいなぜ、彼女は自ら命を絶ってしまったのか。その「真相」について、愛甲氏が続ける。

「あくまでこれは私の憶測ですが……政治家に戻りたいのに戻れない自分に、三宅は深く悩んでいるように見えました。というのも、彼女は『とにかく政界に復帰したい』といつも繰り返していたんです。『元アスリートを集めて政党を作りたい』とか『愛甲さんにも手伝ってほしい』といったことを言っていたのを覚えています。彼女はお祖父さんのことをすごく尊敬していて、『祖父はとても立派な人。それに比べて私は何もできずに終わってしまった。何とか政界に戻りたい』とも言っていました。

 昨年7月に行われた参院選にも、三宅は出馬の意欲を見せていた。しかし結局、党の公認が得られず、出馬は断念したそうです。その頃から、私と会ってもネガティブな話が多くなっていきました。真偽のほどはわからないんですが、彼女は複数のストーカー被害にあっていると言っていました。『いつも人に追われている。ネットでも自分の誹謗中傷が書かれていて本当に怖い』と」

 政治家として日本を変えたい――その気持ちが人一倍強かったからこそ、彼女は現状に絶望し、心に闇を抱えてしまったのか。最後に、愛甲氏はこう悔やんだ。

「私は去年の年末に携帯を替えたんですが、新しい番号をうっかり三宅に伝え忘れていたんです。12月25日にツイッターにメッセージが来ていたので翌日電話したんですが、彼女が出ることはなかった。もしかしたらそれまでに、三宅は私の携帯に何度もSOSの電話をしていたかもしれない。それを思うと、悔やんでも悔やみきれません」

三宅氏の馴染みだった港区の中華屋にて。政界復帰への熱い思いを2〜3時間にわたり語ることもあったという


PHOTO:小松寛之(1枚目写真)