スマホから目を離せないのは「満たされない」から?(わたなべりょう / PIXTA)※写真はイメージ

写真拡大

今年3月、三重県の新名神高速で大型トラックが車2台に追突し、6人が死亡した事件の初公判が今月10日に津地裁で開かれた。出廷した被告の54歳女性は、スマートフォンでショート動画を見ながら大型トラックを運転。渋滞のため停車していた車に時速82キロで追突し、玉突き事故を起こしたことを認めたという。

なぜ、運転中や仕事中といった集中すべき時でさえ、スマホに触るのをやめられないのだろうか。精神科医の片田珠美氏が、その病的な依存体質の深層心理に迫る。(本文:精神科医・片田珠美)

「スマホ依存」は「プロセス嗜癖」

運転中もスマホを見ることをやめられないのは、「スマホ依存」に陥っているからではないかと疑いたくなる。「スマホ依存」は、ギャンブルやゲーム、買い物などへの依存と同様、精神医学では「アディクション(addiction)」として捉えられる。

日本語では「嗜癖」と訳され、やめたくてもやめられず、取りつかれたようになった状態を指す。薬物やアルコールなどの物質への依存を「物質嗜癖」と呼び、スマホを見たりギャンブルにふけったりするなど、ある行為過程に耽溺した状態を「プロセス嗜癖」と呼ぶ。

今回の事件は6人もが亡くなるという悲惨な結果を招いたが、そこまで大事(おおごと)にならなくても、「スマホ依存」に陥っているように見える人はどこにでもいる。

歩きながら、あるいは自転車に乗りながらスマホを眺めている人を頻繁に見かけるので、「ぶつかったら危ない」と心配になる。電車や駅でも、スマホをずっと見続けている人は少なくない。そのため、現在の日本社会にはスマホばかり見ている人だらけという印象を抱かずにはいられない。

「スマホ依存」がもたらす快感と代償的な満足

なぜスマホを見るという行為をやめられないのか。まず、快感をもたらしてくれることが挙げられる。楽しいから、いい気持ちになれるから、スマホを見ることをやめられない。

裏返せば、実生活でつらいことや苦しいことが多く、失望を味わってばかりだからこそ、それを払拭するための気晴らしが必要なのかもしれない。

あるいは、スマホを見ることによって代償的な満足が得られる場合もあるだろう。たとえば、性欲を満たしたいと思っても、性関係を持てる相手が身近にいない場合、スマホで動画や写真を見て、性的な興奮を覚え、それで満足しようとする。

辛らつな見方をすれば、満たされない欲望があるからこそ、スマホに依存して代償的な満足を得ようとするともいえる。

スマホは「鎮痛剤」?

スマホは孤独を癒やす道具になっているようにも見える。SNSを通じて他人とつながるのも、マッチングアプリで相手を探すのも、それだけ寂しいからだろう。また、SNSに悪口を書き込むことをやめられないのも、悪口を聞いてくれる相手が見つからないからであり、孤独の裏返しと考えられる。

マッチングアプリで知り合った男性に会いに行くことをやめられなくなった女性が私の外来を受診したことがある。

彼女は既婚者だったが、イライラするたびにマッチングアプリで男性と交流せずにはいられず、複数の男性と性関係を持った。そうすることで気持ちが落ち着くというのが彼女の言い分だったが、夫にばれて家の中が揉めた。離婚にこそ至らなかったが、夫婦ともカウンセリングを受けるようになった。

いずれにせよ、スマホは「鎮痛剤」の役割を果たしている。“痛み”が強いほど、スマホを手放せない。もっとも、本人が“痛み”を自覚しているとは限らない。自分自身の惨めさに直面したくないからこそ、スマホを見るという気晴らしを延々と続けるわけで、スマホに依存している限り“痛み”を感じずにすむのである。

「情報を常にキャッチしておかなければ」という強迫観念

もう一つの理由として、「情報を常にキャッチしておかなければならない」という強迫観念が挙げられる。

スマホは情報の洪水であふれているが、それを一瞬たりとも見逃してはならないと思い込んで、スマホを見続ける。その根底には、「情報を少しでも見逃したら損するのではないか、置いてけぼりになるのではないか」という喪失不安が潜んでいるように見える。

もっとも、スマホで送られてくる情報がすべて真実かというと、はなはだ疑問である。むしろ、SNSは根も葉もない噂話やフェイクニュースであふれているといっても過言ではない。

「虚構」の情報を脇へどけて「心の余白」を作る

7万年前から3万年前にかけて起きた「認知革命」によって、ホモ・サピエンスは「まったく存在しないものについての情報を伝達する能力」を獲得したと、イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは述べている(『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』柴田裕之訳、河出書房新社)。

つまり、「虚構、すなわち架空の事物について語る」能力を身につけたわけで、この能力こそが協力を可能にし、人類を飛躍的に進歩させたというのがハラリの主張である(同書)。

「認知革命」以降、人類はずっと「客観的現実」と「想像上の現実」という二重の現実の中で暮らしてきたが(同書)、現代ほど「想像上の現実」の比重が高い時代はかつてなかったのではないか。

「想像上の現実」を支えているのは、たとえ大嘘の情報でも平気でSNSに流す人々だろう。彼らは「虚構」を創作する能力に長けているように見える。この能力がサピエンス成功の鍵になったというハラリの主張にも一理あるとは思う。

ただ、スマホで流されてくる情報に「虚構」が少なからず含まれていることを認識しておくべきで、鵜呑みにするのは危険である。

スマホを手放せないわれわれは、「虚構」がかなり含まれた情報の洪水にさらされている。その結果、「心の余白」を奪われているといっても過言ではない。情報を見きわめ、「虚構」の情報をいったん脇へどけて「心の余白」を作るべきではないだろうか。

■片田珠美
精神科医。広島県生まれ。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。2003年度~2016年度、京都大学非常勤講師。臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)『職場を腐らせる人たち』(講談社現代新書)『生きづらさの正体』(宝島社新書)など多数。