上田の自宅(1994年2月)

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【実際の写真】「犬訓練士」を自称していた上田宜範 複数の遺体が発見された当時の現場も

睡眠薬と筋弛緩剤

第1回【犬の安楽死に使う“筋弛緩剤”で男女5人を…94年「大阪愛犬家連続殺人」馴れ馴れしい素顔と立件できなかった“遺体なき別の犯行”】を読む

 睡眠薬を飲ませ、犬の安楽死などに使う筋弛緩剤を注射する――。この冷酷な手口を思いついた上田宜範(39=当時)は、1994年6月3日までに5人の殺人・死体遺棄で起訴された。上田は自称「犬訓練士」。被害者たちはペット事業の立ち上げ費用として上田に金を渡したが、開業準備が進まないことでトラブルとなり、命を奪われていた。広域重要事件120号に指定された「大阪・愛犬家連続殺人事件」である。

上田の自宅(1994年2月)

 まさに恐るべき殺人者だが、上田の基本思考は「悪いのはあいつら」だという。「週刊新潮」のバックナンバーで事件を振り返る第2回では、上田の生い立ちや知人が耳にした衝撃発言、そして裁判での「無罪主張」を伝える。

(全2回の第2回:以下「週刊新潮」1994年2月17日号、2月24日号、6月16日号掲載記事を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです。文中敬称略)

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Aさんを殺してか僅か3日後

 平成5(1993)年10月25日、高級犬グレートピレニーズを飼っていたAさんが約80万円の預金を下ろしたまま失踪した。上田はこの日、レンタカーを借りてAさんと堺市内で食事をした後、例によって睡眠薬でぐったりしているAさんを堺市内の自分のアパートに運びこんだ。

 翌26日未明、Aさんが目を覚まして、「私を騙したらこの辺で仕事ができないようにしてやるからね……」と罵ったという。が、再び眠り込んだ高橋さんの腕に、上田は1年ぶりに筋弛緩剤を、今度は慣れた手つきで注射したのだった。

 上田はAさんの遺体をロッカーに入れて車に積み込み、塩尻に向かったが、塩尻の現場付近では土地の住民が秋祭りの最中で、やむなく堺市へ引き返して来た。

 この頃、訓練センター建設に関する上田の“作り話”は、化けの皮が徐々にはげかかって来ていた。そして10月29日、Aさんを殺してから僅か3日後、上田はBさんをまたしても同じ手口で“薬殺”。Aさんの遺体が入ったロッカーを積んだレンタカーの助手席にBさんを誘い込み、睡眠薬を飲ませてぐったりしたところで荷台の方に移動させて薬を注射したのだという。Bさんの口座からはこの時点で既に1300万円が引き出され、解約されていた。

自分を怒らせる方が悪い

 が、この供述にBさんの夫は疑問を投げかける。

「Bは、人から勧められてもジュースやコーヒーは飲みません。ですから無理やり飲まされても量が少なくて効き目が浅かったんでしょう。だから殺された他の4人と違ってBだけ、両手は後ろ手に縛られ、両足はがんじがらめにガムテープで縛られていたんだと思います」

 被害者は勿論、残された肉親の無念は想像に余りあるが、上田は「悪いのはあいつら」というのだから驚く。事件をフォローしているフリー記者によると、

「金のトラブルであれ何であれ、原因はどうあろうと悪いのは相手の方だ、という考え方なんです。金を返せという方が悪い。自分を怒らせる方が悪い。責任は全て相手にあって自分にはないんだということのようです」

父親の死と前後して3人が行方不明

 この他責思考はいつ芽生えたのか。上田の生家は大阪府堺市の繁華街にある酒店。父親は入り婿だったが身持ちの堅い働き者だった。妹1人の長男として生まれた上田は、祖母から溺愛された。これといった非行歴もなく、むしろ友人に何か言われても言い返せずに黙って耐えている、気弱な印象の方が強かったようだ。

 大阪市内の高校を出ると、しばらくは家業を手伝うが、知人と建売住宅販売会社を設立したが失敗。その後、不動産会社、自動車修理業、外車セールス、長距離トラックの運転手などもするが、いずれもうまくいかず借金は7000万円にもなってしまい、昭和61(1986)年には親から勘当され「準禁治産者」(編集部注:旧民法で準禁治産の宣告を受けた者)にされてしまった。

 父方の親戚の1人は、

「宜範は、子供の頃は男の子か女の子か分からんようなおとなしい子でしたが、堺の家では甘やかされたみたいで、成人してからは家に寄りつかんようになったようです。事業に手を出し、失敗して借金を抱えたとかで、父親も手に余ったらしく“あの子は勘当した”と言ってきました」

 その父親が階段から転落し集中治療室に入った時、上田は病院に現れた。親戚は「連絡を取っていたのか」と驚いたという。確かに、一度は勘当したものの、銃刀法違反と業務上横領の罪で1年余り服役した上田が最後に頼ったのは肉親だった。平成3年8月に仮出所して地元へ戻った上田に、父親は住居とアルバイト先を見つけてやった。

 父親は1週間ほど集中治療室に入ったが、意識は戻らず他界した。その時期と、Eさん、Dさん、Cさんの行方不明は前後していた。

何本か打ったらイチコロやねんでえ

 Bさんの自宅をよく訪問していたある女性は、上田の不穏な発言を耳にしていた。Bさんの愛犬に会うための訪問だったが、そこには決まって上田がいたという。

「上田が犬好きというのは違うと思いますよ。あいつは単に犬を利用してるだけやと思います。だって、犬好きでも時には心を鬼にして、犬に向き合わなあかん時もあるんですが、上田の場合、そういう心の葛藤とかなしに、何の躊躇もなしに平気で安楽死させたりしてたみたいですもん。自分で“よその犬を取って来て捨てた”とか、“うるさいから山から落とした”とか言うてましたもん。

 それと、いつも汚い軽トラックに乗ってましたけど、車には何種類かの薬を持ってました。ある時、薬の話になって、自分が今持ってる薬のアンプルで、“これ1本、犬に注射したら1分くらいでいってまうなあ”とか“そやけど人間やったらこのくらいではまだ平気やな。ちいっとばっかし眠たなるくらいやな”とか“人間でもこれ何本か打ったらイチコロやねんでえ”みたいなことを言うてました」

 発掘された5人の遺体の胸の上には、それぞれ頭の大きさくらいの石が置かれてあったという。そしてその遺体の発掘現場に立ち会った上田は、遺体を見ても手を合わせるでもなく、捜査員にうながされて合掌したものの、しばらくすると「もういいですか?」と尋ねてきたという。

(以上「週刊新潮」1994年2月17日号、2月24日号、6月16日号掲載記事より)

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初公判から死刑確定まで11年半

 1994年8月24日、大阪地裁で上田の初公判が開かれた。だが、罪状認否での上田は自供から一転し、「5人のことは知っているが、殺害や死体遺棄はやっていない」と起訴事実を全面否認。全面的に争う姿勢を見せ、裁判は長期化することとなった。なお、上田に筋弛緩剤などを手渡したとされる獣医師は、罰金50万円の略式命令と同年12月1日から5か月間の業務停止命令を受けている。

 年が明けて1995年1月17日には阪神大震災が発生し、上田の公判も裁判官が出廷できず日程を延期した。1998年3月20日、大阪地裁は求刑通りに死刑判決を下したが、25日までに判決を不服として大阪高裁に控訴。控訴審でも引き続き無罪を主張した。

 2001年3月15日、大阪高裁は一審判決を支持。控訴を棄却し再び死刑を言い渡したが、上田は最高裁に上告した。最高裁が上告を退ける判決を下したのは、2005年12月15日のこと。およそ11年半を経て、上田の死刑は確定した。

「遺体は富士山麓の樹海に捨てたと言っている」――。第1回【犬の安楽死に使う“筋弛緩剤”で男女5人を…94年「大阪愛犬家連続殺人」馴れ馴れしい素顔と立件できなかった“遺体なき別の犯行”】では、遺体が見つからなかったもう1つの殺人などについて伝えている。

デイリー新潮編集部