最強助っ人、あのバースが小さく見えた 薬師丸ひろ子とCM共演も…さらば赤鬼 再録「ホーナー旋風の真実」(3)
「赤鬼」の異名を誇った強打者、ボブ・ホーナーさんが死去した。68歳だった。1987年のシーズン途中にヤクルト入りし、初出場から4試合で6本塁打を放つなど衝撃的な活躍を見せ、「ホーナー旋風」と呼ばれた。スポーツ報知ではヤクルトでホーナーさんやラミレス、ペタジーニといった球史に残る助っ人獲得に尽力した国際スカウト・中島国章さん(故人)の証言による連載「ホーナー旋風の真実」を全5回にわたって再録する。第3回は「最強助っ人、あのバースが小さく見えた。薬師丸ひろ子とCM共演も」。
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来日初打席は四球だった。一塁へ歩いたホーナーに、優しく言葉をかける男がいた。バースだ。
「ウェルカム・トゥ・ジャパン!」
1987年5月5日の阪神戦。神宮のナイター照明を浴びながら、2人のスターが交わった。バースは前年、打率3割8分9厘をマークし、2年連続のセ3冠王に輝いたばかり。日本のNO1外国人選手に君臨していた。
それでも―。ホーナーの通訳を務めていた中島国章は、その瞬間を振り返る。
「あの時、バースが小さく見えた。バースもオーラはあるけど、ホーナーは全然違った。僕だけじゃない。みんなに聞いても『バースが小さく見えるなあ』と言っていたもんですよ」
中島はその夜、バースと阪神投手のキーオに声を掛け、紀尾井町にあるニューオータニのバーで酒席を開いた。ヤクルトのレオンも合流した。ホーナーは異国での緊張から放たれ、上機嫌でビールを流し込んだ。
「日本で、窮屈にさせたくなかった。試合を離れたら、みんなでワイワイ騒ごうって。そしたらね、ホーナーはキップがいい。助っ人全員の分、すべて自分で払っちゃう。請求書をスッと自分で取っていたね」
来日から4試合で11打数7安打6本塁打の大爆発。神宮には超満員の観衆が殺到し、チームも勝ちだした。絶大な訴求力を広告業界が放っておくはずがない。CM第1弾はサントリービール。水面下ではバースとの場外戦が展開されていた。
「最初はバースにオファーがあった。進行していた矢先にホーナー旋風が吹き荒れたものだから、サントリーが乗り換えちゃって。バースは『俺の話だったのに…』とこぼしていたよ。ホーナーには5000万円を出すという話で、直接本人に話がいって。当然OKするよね。そしたら松園オーナーがNGで。『バカ野郎。飲料はウチと競合するからダメだ。説得しろ!』と。ホーナーは乗り気なのに…」
中島は米国の代理人、バッキー・ウォイに国際電話で協力を求めた。返事は、つれなかった。「5000万円に代わるヤクルトのCMがあるなら、話は聞くよ。ないなら無理だ。NGならば米国に帰っちゃうと、松園オーナーに伝えてくれ」
中島は途方に暮れた。朝、通勤電車を待ちながら、思った。このまま飛び降りれば、ラクになれるかも…。ピンチを救ったのは球団代表・田口周の妙案だった。
「オーナーに『飲料とアルコールは別にしましょう。飲料のCMはヤクルトにしか出ないということで、いかがでしょう』と言ってくれてね。それでオーナーも了承してくれたんだ」
薬師丸ひろ子と共演したCMはその夏、全国のブラウン管を席巻した。
サントリーから“フラれた”バースはその後、モルツ球団の一員として、同社のイメージアップに貢献することになる。(加藤弘士)=敬称略=
<ボブ・ホーナー>1957年8月6日、米カンザス州生まれ。アリゾナ州立大では76、78年と2度来日。78年には東海大などと試合を行い、6戦6発を放つ。同年のMLBドラフトでは全選手中1位でブレーブスに指名され、プロ1年目に23本塁打で新人王獲得。87年にはヤクルトに入団し、93試合に出場して打率3割2分7厘、31本塁打、73打点。88年にはカージナルスに入団してメジャー復帰も、左肩痛のため引退。MLBでの10年間の通算成績は1020試合に出場、打率2割7分7厘、218本塁打、685打点。
