【難波 猛】「静かな退職」が許される社員、「リアルな退職」に追い込まれる社員は何が違う?会社との「致命的なズレ」の正体

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今、若い人の間で広まっている「静かな退職」。辞めるわけでも、反抗するわけでもなく、最低限の業務だけを淡々とこなす働き方だ。しかし、これは本当に非難されるべき働き方なのだろうか? 人事コンサルタントで、著書に『ボスマネジメント』がある難波猛氏が、「静かな退職」が容認される社員と、「リアルな退職」に追い込まれる社員の差を指摘する。

若い世代に広がっている「静かな退職」

「静かな退職」という言葉が、ここ1年ほどで一気に広がりました。

会社を辞めるわけではない。反抗するわけでもない。ただ、求められた最低限の業務だけを淡々とこなし、それ以上の成長や挑戦やキャリアアップは求めない。そんな働き方を指す言葉として、SNSでもビジネス誌でも頻繁に取り上げられています。

調査によって数値に幅がありますが、多くの会社に一定数は存在するといわれています。

特に世代が若いほど、その比率は増えています。

「静かな退職」は、もはや一過性の流行語ではなく、日本の働く風景を象徴するキーワードになりつつあります。

「静かな退職」は本当に悪いことか?

この静かな退職をどう捉えるかは、実はとても繊細なテーマです。私自身は、すべての静かな退職が悪いわけではないと考えています。

会社と個人は情緒的なつながりではなく労働契約に基づく関係性です。別に意欲満点である必要はなく、「プロとして要求されている業務を遂行し、成果を着実に創出している」状態であれば、誰からも文句をつけられる筋合いはないはずです。

世の中には、淡々と実直にひとつの領域のスキルだけを磨き続ける職人気質的な人もいます。領域は限定的で派手さはなくても、確かな技術があり、周囲から「あの領域ならあの人だ」「あの人がいないと困る」と一目置かれる存在です。

こうしたスタイルで働いている人は、会社にとってむしろ貴重な存在であり、いわば「良い静かな退職」といえるでしょう。

周囲の期待を上回る成果を淡々と出し続け、静かにプロフェッショナルとしての職業人生を歩んでいる。そうした仕事ぶりは「静かな退職」というより、「静かな働き方」と呼ぶほうが適切かもしれません。

「ズレのある静かな退職」に要注意

一方で、注意が必要なのは「ズレのある静かな退職」です。

自分では「必要最低限の業務をこなしている」と考えて、会社や周囲から求められている最低限の水準や方向性とズレていることに気づかず、「最低限」を下回ってしまっているケース。

あるいは、自分のスキルや役割を客観視できず、アップデートしないまま「過去の最低限」の延長線上で今後も働き続けられると考えてしまうケースです。

スキルの陳腐化は速く、職務領域も常に変わり続けています。経営方針や戦略の転換、AIや技術の進化に伴う業務の再設計が進む中で、自分では「最低限の業務」を淡々とこなしているつもりでも、「必要とされる水準や期待」は常にレベルアップし続けているのです。

「ズレのある静かな退職」状態が続くと、本人が気づかないうちに戦力外となり、「リアルな退職」を迫られてしまうリスクを抱えることになります。

「会社の期待」と「自分が提供している価値」とのすり合わせとアップデートがないまま、自分だけが「最低限の仕事はできている」と満足していることは非常に危険な状態なのです。

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自分では「静かな退職」だったつもりが「リアルな退職」にどう追い込まれるのか。後編記事〈「言われたことはちゃんとやっていた」中堅社員が"解雇寸前"に…静かな退職からリアルな退職に追い込まれる人の「ズレの正体」〉では、実際に"解雇寸前"に追い込まれた中堅社員のケースを紹介する。

【つづきを読む】「言われたことはちゃんとやっていた」中堅社員が”解雇寸前”に…静かな退職からリアルな退職に追い込まれる人の「ズレの正体」