採算取れるの?「高度成長期のサービス」がいまに息づく『純喫茶ランチ』のディープな世界
物価高でも長年変わらないサービス
昨今流行りのカフェとは一線を画し、ブームとなっている純喫茶。昭和の名残が店内に佇む。店主とのたわいもないやり取りや香る珈琲、時を紡いだ家具などささやかな幸せが心を満たしてくれる。
「私にとってはなくてはならない場所で、ただボーッとしているだけで疲れが抜けていく。周りの会話を聞くともなしに耳を傾けたり、照明やシュガーポットなどの調度品をぼんやり眺めたり。ナポリタンやオムライス、カレーなど一口食べるごとに活力が湧いてくる食事も楽しめ、五感を使ってその店を堪能しています」
そう語るのは『純喫茶ランチ』(河出書房新社)著者で東京喫茶店研究所2代目所長の難波里奈氏だ。外出すれば日に3〜4軒の純喫茶を巡る。巡った喫茶店は2000店以上で、4月24日にランチに焦点をあてた本書を上梓した。
「純喫茶ランチ」には、レストランや家庭の食事にはない魅力がある。その店の個性や働く人たちの人柄が表れていて、食後のコーヒーとともにその店にしかない空気感のなかで過ごすひとときは特別な時間だ。本書ではそんな「ランチ」を軸に39軒のお店を、歴史も含めて紹介している。
純喫茶の料理自体も奥が深い。サラダの上にトマト、ブロッコリー、かぼちゃは理解できるものの、バナナとちくわが並んで出てくる店も存在する。天候不順で野菜が高騰しても提供される量は変わらない。採算が取れるのか? と不安になるほど盛り付ける。珈琲豆もお米も光熱費も値上がりしているのに、損益分岐点を無視するかのようなサービスを受けることが少なくないのだ。
「昭和に開業したお店の初代は70代、80代となり、現役で活躍する店やその意志を強く引き継いだ店は、高度成長期の頃のサービス精神を大事にしています。常連さんが何十年も通う地元密着の店では、オーナーは物価高でも『来てくれたお客さんを喜ばせたい』『来てよかったと思ってほしい』という使命感すら抱いています。
笑い話として、『(店をやっているのは)ボケないためだ』と話されるオーナーさんもいて、喫茶店の仕事が生きがいであり、『この年までやってこられたから、この先はお客さんのためにやっていく』『自分が食べていければいい』とお客さんを想う気持ちを大事にしている店が少なくないからです」(難波氏、以後のコメントも)
本誌記者も訪れてみた
本書にもある東京・石神井公園(練馬区)近くの『リリー』の「本日の定食」では焼き魚がメインで、イカと里芋の煮物、ウズラの卵入りのとろろ、しらすを添えたほうれん草のおひたし、漬物と小鉢も充実している。この豪華なランチが1000円しないのだ。
「純喫茶ブームが来るまでは常連さんばかりで、近隣で働く女性常連客たちのために『カラダにいいものを』と考えていくうちにどんどん小鉢が増えていった、と聞いています。定食の注文が増えると赤字になるようで(笑)、いまは取材などもあまり受けず、外の看板も出さなくなった。一見さんが入っていいのか迷うようにあえてしているみたいです(笑)。
この本で紹介した店はお客さんとの距離感を大事にし、必要以上にプライベートには踏み込みません。話したがらないお客さんはそっとしておき、話したそうなお客さんには『これ食べてみる?』と話しかけたり、心があたたかい店員さんが多いです。人情もあり、1000円以内でお腹いっぱいにもなるので若い人もよく見かけます」
本誌記者も高円寺(杉並区)の『珈琲 あろうむ』で「純喫茶ランチ」を体験してみた。扉を開けた瞬間にオーナーの増田真代さんが「おはよう」と柔和な笑みを浮かべ優しく挨拶。沢田研二のレコードが流れ、ゆったりとした時間が流れている。
インバウンドに人気の意外な一品
チキンカレーには手羽元が3つ、ブロック状の鶏肉もふんだんに入り、お米もルーの量も申し分ない。冒頭に記したサラダはこの店のもので、なかなかのボリューム感。ちくわとバナナが並んでいるのも微笑ましく感じた。コーヒーもついてこれで1200円だ。ゆで卵を食べ残すと、真代さんは「おみやげにどうぞ」とビニール袋をそっと手渡してくれた。訪れた日は雨天で、帰りしなには、「傘、お持ち?」と声もかけてくれた。
「朝7時オープンで、開始とともに満席になることも。しかも若いお客さんが半分以上。入って来たお客さんに『あら、いらっしゃい』とニコニコしているから常連さんかと思いきや、一見さんでした(笑)。『来てくれてありがとう、みんな私の息子・娘』のような心構えの真代さんのあたたかさに癒やされます。あんなふうに他者を想う気持ちに接すると、ふだん自分は他人に優しくできているかな、と自省するレベルの優しさです」
純喫茶の居心地の良さは若者だけが感じているものでないようだ。インバウンド客も訪れている。意外な食べ物が外国人観光客から人気を博し、浅草の純喫茶では客の大半を占めるインバウンド客の多くが“ある料理”を注文するという。
「インバウンドの方がよく訪れる地域の純喫茶ではオムライスが飛ぶように売れていると聞きました。彼らはオムレツは見慣れていますが、卵のなかに野菜や肉ではなく、ライスが入っていることに驚いているようです。
海外の方たちが好きなケチャップで味付けされたナポリタンも人気ですが、物珍しさもありオムライスを頼む方が多いそうです。『毎日たくさん(インバウンド客が)来るから自然と覚えた』と浅草の高齢のオーナーが英語で注文を取っていたりと、そんな驚くエピソードがいくつもあります」
昭和、平成、令和と3つの時代を生き残った純喫茶にはディープな世界が広がっているようだ。次の休日は本書を片手にどこかの喫茶店の扉を開いてみたい。
取材・文・写真(1枚目):岩崎大輔
