“日本の結婚式を一変”させた「ダイアナ・フィーバー」を振り返る! 悲劇のプリンセス“日の丸ドレス”も披露した初来日から40年
外務省の外交文書は原則的に、作成から30年経つと公開される。2017年、明らかになったある文書には、こんな一文があった。
〈(日本での)関心の高まりは熱狂的だった〉
1986年5月8日に来日した英王妃・ダイアナのフィーバーについてである。今年は40周年のメモリアル・イヤー。当時の大騒動を振り返りつつ、未だ世界での人気も衰えぬ悲劇のプリンセスの魅力が一体どこにあったのか、秘話とともに迫りたい(文中敬称略。役職、年齢は当時)。
【写真で見る】パレードでダイアナ妃を一目見ようと…列島が大フィーバーとなった初来日をプレイバック!
歴史を変えた、結婚式でのオリジナル宣誓!
〈私もお忘れなく ――チャールズ皇太子 男女均等法どの〉

ダイアナ妃来日直前の新聞に載った、一言ネタである(読売新聞。1986年5月6日朝刊)。来日と同じ年の4月1日に改正された男女雇用機会均等法に、チャールズ皇太子がお願いをしている……。
実際に来日したのは、チャールズ皇太子とダイアナ妃の“夫婦”だった。ジョークにされるほど、夫婦での来日ながら、ダイアナ妃の方が圧倒的な人気を誇っていたことになる。それも世界レベルで。
ダイアナ妃は1961年、イギリス貴族の三女として生誕し、19歳のときに13歳年上のチャールズ皇太子と婚約。イギリスでは交際当時から連日のように報道され、その若さと美貌、並びに、大の子供好きで、幼稚園の先生だったことも人気に拍車をかけた。
しかし、英国における彼女の人気を決定付けたのは、結婚式の宣誓の言葉にあった(1981年7月29日)。新婦が「(夫に)従います」(英語ではObey)と答える皇室の通例を覆し、ダイアナはこう言ったのである(彼女自身が考えたメッセージとされる)。
「夫を愛し、敬い、守ります」
実はこの2年前、英国ではサッチャーが首相に就任。閉塞感のあった同国に風穴を開けようと、新自由主義経済政策を採り、国民に「自己責任」「自助努力」の意識改革を提言していた。そのように国の空気も変わりつつある中、余りにも明確な自由意志を持った美しいプリンセスに、イギリス国民は熱狂で応えたのである。子供が生まれると、乳母に頼らず母乳で育てる一方、子育てのため、公務は控えめに。また、これまで家庭教師を起用していた皇室の教育を一変。子供たちを一般の幼稚園に通わせた。
なお、ダイアナ以降の英国皇室の結婚式において、「従います」(Obey)は使われなくなりつつあるという。
日本のブライダル業界も一変させた!
結婚式の模様は、全世界で7億5000万人以上が視聴したとされ、日本でもNHK含め5局が生中継。その際、ダイアナ妃は頭部にティアラを載せ、トレーン(引きすそ)の長さが7.5メートル以上あるウェディングドレスを着用した姿も話題になった。後者については介添役の子供たちがすそを持ち、空からのカメラでその長さが露わに。すると、翌日から日本のブライダル店にも、問い合わせが殺到した。
「ティアラはありますか?」
「ドレスのすそを、もっと長くしたいのですが……」
それまで店で埃を被っていたティアラが一気に注目され、チャペルウェディングが急増した。すそが伸びたドレスで歩くには、長い直線通路が必要なためだった。各地のホテルでは急ごしらえよろしく、宴会場に椅子を並べて簡易バージンロードをあつらえた。日本のブライダル業界までも大きく変化させたのがダイアナ妃だったのである。
「世界のプリンセス」として、行く先々で大人気だった。1985年、アメリカを訪問する際の国民の盛り上がりを、同国の有力誌は、このように報じた。
〈ダイアナ妃の未来は、イギリスに5億ドルの経済効果をもたらした。今やダイアナ妃はビッグ・ベンに代わる観光の目玉であり、ビートルズ以来のイギリスの顏である〉(「ピープル」1985年11月11日号。拙訳)
そんなダイアナ妃が初来日したのが、今から40年前の1986年5月8日だったのだ。
先ずは“そっくりさん”が来日!
実はダイアナ・フィーバーの予兆は、既にこの年の初めからみられた。
「あ! ダイアナ妃だ!」
「えっ!? 本当だ! チャールズ皇太子も!」
1月の東京での光景である。確かにどう見てもそのご両人だったが、実はこちら、世界でも有名だった2人のそっくりさん。チャールズ似の方は、ポール・デグナン(26)といい、ロンドンで地理学を専攻する学生。ダイアナ似の方は、こちらもロンドン生まれのジェリー・ウールドリッジ(26)。主婦で4年前、24キロのダイエットに成功すると、ダイアナ妃にそっくりになったという。2人は日本テレビの招きで来日。1月25日午後8時、同局が放送した特別番組「華麗なるダイアナ妃のすべて」に出演した。同番組の中で、2人は、5月にダイアナ妃が訪れるで“あろう”日本の名所を先んじて訪問、紹介していた。
来日4ヵ月前でこの状態である。月を追うごとに国内は盛り上がって行った。“ご訪日記念”と称して、テレホンカードや記念硬貨の発売はもちろん、雑誌も「プリンセス・ダイアナ百科」(ジャテック出版)、「ダイアナ妃のすべて」(光文社)などが来日に先駆けて出版。「日本中央競馬会」が、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の写真を前面に訪日歓迎の広告を出している。何かと思えば、「サラブレッドを、ありがとう」との御礼文が大書きされていた。サラブレッドは、イギリスの品種である。
アニメ化も!
更に凄かったのが、夫妻の来日に合わせた有名デパートの“英国推し”だった。「英国フェア」(三越)、「ブリティッシュ・ウィーク」(伊勢丹)、「ダイアナ『ファッション&ポートレート展』」(東急百貨店)……わけても西武百貨店(渋谷)は、2人の婚礼の際の高さ2.7メートルのウェディングケーキを300万円かけて再現した。もし、ダイアナ妃が来店すれば、その模様が世界に伝わり、「日本のデパートと言えば〜だ!」ということになるという、いわばパブリシティを兼ねての激しい招致合戦だった。
この栄誉を得たのは、三越日本橋本店だった(5月11日午前中、夫妻で来店)。当時、同店にイギリスの有名デパート「ハロッズ」が入っていたことや、同店のシンボルとして正面入口にある、有名なライオンの像もモノを言った。実はこの像、イギリスの有名観光地、トラファルガー広場にあるライオン像を模したもの。イギリスとの関係はそもそも深かったのである。1983年にはチャールズ皇太子の妹であるアン王女も、三越を訪れている。
そしてテレビだ。来日の瞬間(5月8日。19時39分)は、TBSとテレビ朝日がゴールデンタイムに生中継し、その前後にも各局、特番で対応した。差異を出すためか、ダイアナ妃がアニメ化される番組まであった(4月29日放送、TBS「麗しきロイヤルカップルの素顔」。5月1日放送、日本テレビ「華麗!ダイアナ妃のすべてみせます」)。前者は短めに挿入されるレベルのアニメではあったが、あの「まんが日本昔ばなし」の市原悦子、常田富士男のコンビが声優を担当している。
来日中の13日に予定されていた、経済5団体主催による夫妻歓迎昼食会には、過去最高の600人以上の出席希望があった。「いつもは海外のVIPが来ても200人前後なのですが。それに今回は、いつになく招待状の返事が来るのが早かった(苦笑)」とは、主催者側の述懐である。
日の丸を模したドレスで登場!
5月8日の夜、チャールズ皇太子と来日したダイアナ妃は、文字通り、大フィーバーを巻き起こした。初日に泊まった京都の大宮御所の周囲は6000人のギャラリーが取り囲み、5月10日に東上し、11日昼に青山通りをパレードすると、ダイアナ妃見たさに沿道には概算で約9万2000人が集結。この模様はNHKと、テレビ東京を除く民放各局が生中継したが、そちらの視聴率を足すとじつに69.4%。7000万人近くが、このパレードをテレビで観たことになる(※トップはNHKの28.7%)。
だが、それに留まらず衆目を集めたのが、ダイアナ妃の屈託のない応対ぶりと、その興味の深さだった。
来日の翌朝、修学院離宮(京都)内の美しい滝を見ると、お付きが持っていたカメラを受け取り、自分でシャッターを押した。しかも着ていたのは、伝説とされる白地に赤い水玉模様のドレス、通称「日の丸ドレス」で、「自分で今回(訪日)のために選んだのです」とニッコリ。職人が3ヵ月かけて作ったオリジナルの振り袖を京都府から贈られると、その日の丸ドレスの上から着込むサービスも。
「鹿威し」の音が美しい山荘「詩仙堂」では、出迎えた住職の孫たちに笑顔を見せ、夜に食事をした料亭では、出された野菜サラダを全て食すと、内緒で隣にいた大使の皿と取り換え、計2人前食べ、帰り際、お腹をさすって、
「Too much eat(笑)」(食べ過ぎたわ)。
5月10日昼、専用機で東京に移動。肌寒さを日本の関係者が心配すると、「心はいつもホットですから」と粋な返答をし、相撲観戦では、「本当に全部筋肉なのですか?」と小錦のお腹をつつき(11日)、歌舞伎(「勧進帳」)鑑賞後、弁慶役に「衣装が(白と黒で)お揃いですね」と振られると、「私の(衣装)は軽いけど、あなたは大変でしょう?」とダイアナ・スマイルで返答した(12日)。
離日直前の最後の晩餐会では深みのあるロイヤルブルーのドレスを着たが、これは日本のデザイナー、鳥丸軍雪にわざわざ頼んだもので、「海外ではディナー・パーティーというと華美なファッションが目立つが、日本では落ち着いたもの」という助言を聞き入れた形だった。極めつけは、日産自動車の工場を訪れた際、ミニカーを2ダース、プレゼントされた時のこと(12日)、笑顔でこう答えた。
「こんなに頂けるなら、王子をもっと産まなきゃいけませんわ」
自室には日本の版画も
既に2人の子供を産んでいたダイアナ妃だったが、幸せは続かなかった。チャールズ皇太子が婚姻時より、現カミラ夫人と不倫をしていたのは知られるところだが、ダイアナ自身はより輝くことに。慈善事業に注力するようになっていったのだ。地雷撤去キャンペーンや各種福祉活動への参加はもとより、心ならずもエイズを罹患した子どもたちを手袋を外した素手で抱き上げたのは有名なシーンである。自分が表立って活動することで博愛の情を示せるのは勿論、世界中から募金を集められることに気付いたのだ。
日本にはその後、1990年と95年に2度来日。前者は即位の礼への夫妻での出席だったが、後者の時点では、既にその3年前からチャールズ皇太子と別居し、単独での来日だった(※1996年に離婚)。
ロイヤルブルーのドレスを作った鳥丸軍雪には後に、「ウェストを2センチ延ばして欲しい」と連絡があった。気に入っていたのだ。外務省関係者の以下の発言もある。
〈「ダイアナ元妃は京都が大変お気に召したそうです。帰国してからも、京都の話を至るところでしていたみたいですね」〉(「女性セブン」2010年12月23日号)
英国のダイアナ個人の執務室には、来日中に買い求めた日本の版画がかけられていた。それは、奈良と、瀬戸内海の光景であった。3度目の訪日を決めたのは、ダイアナ自身だった。その2年前、「個人的活動はさておき、公的行事からは身を引く」と公表していたが、日本には来た。公的行事引退宣言後、初めての本格的な海外訪問でもあった(当時の役職は英国赤十字社副総裁)。日本に降り立ったのは、阪神大震災から3週間も経っていなかった1995年2月6日。同地を慰問し、募金を世界中から集めたかったのだという。結局、現地の惨状ゆえ慰問はかなわず、赤十字の活動に腐心していた。
ダイアナはこの2年後、交通事故死する。この3度目の来日の際の言葉が、日本への最後のメッセージとなっている。
「私の心は、常に被災者の方々とともにあります」
瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。近著「10・9 プロレスのいちばん熱い日」(スタンダーズ)が重版出来中。雑学にも通じており、「世界の国々 おもしろクイズ1000」(メイツ出版)においては、ほぼ全問を作成及び執筆している。
デイリー新潮編集部
