旧宮ノ下御用邸をリニューアルした別館がある富士屋ホテル=神奈川県箱根町(撮影・朝霞保人)

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 戦後に皇室を離れた旧宮家は戦前、全国各地に別荘(別邸)を構えているケースが少なくなくかった。その中には現在、ホテルに衣替えをして私たち一般人でも利用可能な施設がある。秋篠宮ご一家は2008年5月3日、軽井沢でご静養中の姿を報道陣に公開したが、皇室の静養先としてよく知られる御用邸は退位後や即位前を含め、天皇のための別荘として事実上運用されており、現在は民間施設が宮家の静養先だ。しかし、宮内庁OBは「旧宮家の別荘生活をうかがい知るチャンスは決して少なくありません」と指摘する。旧宮家が皇室典範改正をめぐり注目される今、そのかつてのライフスタイルに迫る。

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聖護院の宿

 もともとは皇室財産だったホテルの中で、もっともよく知られるのは、神奈川県箱根町宮ノ下の富士屋ホテル。「チャーリー・チャップリンが愛した宿」として有名だが、レストラン・スペースの菊華荘は、昭和天皇もよく泊まった旧宮ノ下御用邸だ。

旧宮ノ下御用邸をリニューアルした別館がある富士屋ホテル=神奈川県箱根町(撮影・朝霞保人)

 また、御用邸だけではなく、天皇が住み、執務を行う皇居・御所が“現代人の宿”に転用され、有効活用されているケースもある。

 2019年4月にオープンした奈良県五條市西吉野町の「賀名生旧皇居 KANAU」は、南北朝時代の南朝の旧皇居にあたる。1336年、京の都を追われた後醍醐天皇が、賀名生(かなう)と呼ばれる土地にあった地元の名士・堀孫太郎信増の邸宅を訪れ、手厚いもてなしを受けた。後醍醐天皇はこの邸宅を、京都の北朝に対抗する南朝の皇居・御所とした。のちに国指定重要文化財となった「堀家住宅」をリニューアルして、旧皇居のラグジュアリーなホテルへと変わったのが現在の姿である。

 また、京都市左京区聖護院中町の「聖護院御殿荘・光淳」も、仮御所だった宿泊施設だ。聖護院は皇族などが代々、門主(住職)を務める十三門跡寺院の一つで、門主としては後嵯峨天皇の皇子だった覚助法親王らがよく知られる。平安神宮の北にあり、京都大学の南に位置。1788年の正月に起きた大火災では,聖護院が光格天皇の仮御所となり、1854年の火事では孝明天皇の仮御所となった。

 寺は「聖護院旧仮皇居」として国指定の史跡となっている。境内には光格天皇ゆかりの「一夜造御学問所」や、光格天皇愛用の茶室があり、往時の面影を残している。このような建築物の一部を旅館として開放しているのが、聖護院御殿荘・光淳だ。寺に由来する聖護院の地名は、京都の銘菓「聖護院八ツ橋」でも馴染みが深い。

 ただ、これらはあくまでも天皇の邸宅・住宅をリノベーションしたもの。戦前の宮家の暮らしぶりを垣間見ることが出来るのが、旧皇族別邸のホテルである。例えば箱根・強羅の人気料亭旅館「強羅花壇」は旧閑院宮別邸だった。箱根登山電車とケーブルカーが乗り入れる強羅駅から線路沿いを歩いて5分のところにある、格式高い外観の一方で洗礼されたリゾート施設の趣もあり、箱根温泉フリークから高い支持を受けている。

箱根十七湯

「温泉のデパート」として人気のある箱根は、小涌谷や仙石原、宮ノ下、芦之湯、塔之沢、箱根湯本など、「箱根十七湯」と呼ばれる温泉地の集合体で、20種類近くの泉質と効能でファンが多い。この十七湯のうち、強羅は天然弱アルカリ温泉などが特徴だ。強羅花壇の大浴場では「心身共にリフレッシュしました」などと、ネットの口コミにある。参考までにGoogleマップでは「五つ星」のホテルとなっている。

 閑院宮家は伏見宮家、有栖川宮家、桂宮家と並ぶ、江戸時代にあった四親王家の一つ。四親王家は世襲親王家とも呼ばれ、天皇家の直系に皇位継承の有資格者がいない危機的状況になった際の、セーフティネットとして位置づけられた重要な存在だった。しかも、閑院宮家は唯一、実際に天皇を輩出している。同家出身の光格天皇は天皇陛下の直系の先祖で、上皇陛下が200年ぶりに生前退位を実現させるまでは最後の上皇でもあった。

 1930年、強羅花壇の建物を避暑や迎賓を目的に建設した閑院宮載仁親王は、第二次世界大戦が始まる前までは旧日本陸軍のトップ(参謀総長)を務めた。終戦直前に亡くなり、家督は長男の春仁王が継承。戦後は皇籍を離脱し閑院春仁氏となり、1948年に別荘をホテルとして開業させた。

 箱根の美しい山河の中にたたずむ強羅花壇のシンボルとなっている大列柱廊は、自然と向き合うために内外の境界線を無くして野山と一体になれる心地良い空間。併設レストランの「花壇」は1991年、世界的に有名なホテルレストラン・グループ「ルレ・エ・シャトー」に加盟している。

 また、千葉県銚子市犬吠埼の「別邸 海と森」は旧伏見宮別邸の瑞鶴荘をリフォームしたもの。伏見宮貞愛親王が、1898(明治31)年に建てた別荘の地にある。2010年の開業で全室オーシャンビューの露天風呂からは、関東平野最東端ならではの日の出と、幻想的な夜の月や星、そして灯台の織り成す風景を楽しめるとしてリピーターも多いようだ。

 Googleマップでは「四つ星」だが、「太平洋と犬吠埼を一望出来る圧巻の景観は見事です」といった独特の景観の感想に加え、「朝食夕食もとても美味しくいただきました」など、サバやサンマ、マグロの水揚げで知られる銚子漁港が地元ならではの口コミが目立つ。伏見宮貞愛親王は日清戦争、日露戦争の両方に参加したことでも知られる。14人目の息子だったにもかかわらず宮家を継ぐことになったのは、正妻(正室)の子供だったからという。

元職員垂涎

 ほかには、京都・吉田山の中腹にある吉田山荘は根強い人気がある。戦後の1948年、旧東伏見宮別邸を高級料理旅館に用途替えしてリニューアルオープンさせたものだ。

 吉田山荘の建物は1932年に創建。本館は総桧造りで重厚な外観だ。屋根瓦には皇室ゆかりの「裏菊紋」があしらわれ、南向きの客室からは庭園や吉田山を含めた「東山三十六峰」の眺めを堪能できる構造になっている。また、離れは北山杉を用いた伝統的な数寄屋造りだ。

 Googleマップでは「四つ星」。2012年4月に登録有形文化財に認定されたことにも象徴されるように、口コミ欄には「『お屋敷』って感じ」「素晴らしい建物」「落ち着いた雰囲気」「典雅な風情」といった、重厚感のある建築様式への感想が並ぶ。

 東伏見宮家は依仁親王が創建した一代限りの宮家。東伏見宮依仁親王は昭和天皇の義弟に当たるほか、2人目の妻は岩倉具定の長女で、大正時代に亡くなっている。跡取りに恵まれなかったために一代限りとはなったが、晩年に久邇宮家の邦英王を養子のようにして手塩にかけた。

 恩義を感じた邦英王は自らの意思で皇室を離れ、東伏見の姓を得て東伏見宮家の祭祀を継いでおり、十三門跡寺院の一つで京都にある青蓮院で出家。終戦後の1953年に青蓮院の門主となって「慈洽」という法名を授けられた。東伏見慈洽氏は京都仏教会会長を務め、京都市による古都保存協力税(古都税)の創設方針に徹底抗戦の構えを見せ、多くの寺院の拝観停止や行政訴訟提起などの反対運動を主導したことで話題の人となった。騒動は結局、古都税の廃止によって収束している。

 吉田山荘は、宮内庁京都事務所に勤務歴のある元職員らが、退職後に「一度は泊まってみたい」と口にする垂涎の宿としても知られる。あまりにも畏れ多い存在から、国民とともにある存在へと変革した平成・令和の皇室像だが、国民がその皇室をより身近に感じるための入り口として、こうした宿は少なからず役に立っているようだ。

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部