「家を買うか、一生賃貸か」――。令和の時代になっても終わることのないこの論争に対し、「所有なんてただの幻想」「人類は土にこき使われる奴隷になった」と独自の壮大なスケールで一石を投じるのが、フリーアナウンサーの古舘伊知郎氏だ。

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 ここでは同氏の著書『寝ても覚めても煩悩』(小学館集英社プロダクション)の一部を抜粋、再構成。30代男性からの「住宅購入」に関する切実な相談への、目からウロコの回答を紹介する。


古舘伊知郎氏 ©文藝春秋

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 令和時代の住宅購入について、相談させてください。現在、住宅ローン金利も上昇局面に入ったのと同時に、都市圏の住宅・土地価格も上昇しており、若者が取得するには、ペアローンが主流となっています。昭和・平成とは大きく異なっている状況の中で、「俺は賃貸派」「終の棲家は必要だ」などなど、住宅購入に対してのご意見を伺いたいです。(30代男性)

【古舘】
 生きるためには何も持たない。
 人間の原点に、ヒントがあるかもしれませんよ。

それは本当にあなたの家?

 専門家でもない私に、なにを言わせようというのだ! という気がしないでもないですが、ちょっと考えてみます。まず、住宅を購入するか否か? 根本的なところから考えていきましょう。

 最初に申します。正解はありません。

 家を買うのも、賃貸を選ぶのも、どちらも利点はあります。

 逆に、どちらにもデメリットはあります。自分の価値観次第ですし、経済動向でどちらかが有利になったりします。

 しかしほとんどの人たちは、家を買うことに、人生の大きなプレミア感を持っていると思います。

 持ち家は、毎月の賃貸料を払わなくてもいい。

 庭も増築も、好きなように手を加えられます。

 子どもや孫たちに、資産として分けられます。何より、社会的なステータスが得られます。

 いくつもの魅力に惹かれ、自分の家で将来は暮らしたい! という夢を叶えるべく、頑張って働いている社会人は多いです。

 家を購入するのが、仕事のモチベーション。

 それはそれで、悪いことではないと思います。

 一方で、考えを深めてみましょう。

 持ち家とは言いますが、それは本当に、あなたの家になるのでしょうか?

本能は消えない

 所有欲は、人の本能には存在しないという説があります。

 人類の始祖は、狩猟を生きる糧にしていました。

 狩って、食べて、食べるものがなくなったらまた旅をする。

 そんな狩猟生活を、人類は猿人から数えて約600万年も過ごしました。

 その間、資源を貯蔵する習慣は、存在しなかったでしょう。

 むしろ移動の邪魔になるので、物を持つことは避けられていたと思います。

 所有欲は持たないというより、所有欲は命が危険にさらされるリスクになっていたと考えられます。

 生きるためには何も持たない。それが本能の原点なのです。

 約600万年も従っていた本能は、親知らずのように簡単に人間からは消えません。

 硬い木の実や骨を噛み砕いてすり減った臼歯の、スペアタイヤとして用意された親知らず。いまは柔らかいものを食べているので、臼歯はすり減らず、親知らずは厄介者扱いです。

 所有をしない暮らしは、共同体のなかで、物資を分け合います。

 食料も道具も家も、すべての物は仲間たちで共有します。

 基本的に個人で物を持つ、という考え方はありません。

 原始共産制と言いますか、物の権利はみんなに帰属するのが、狩猟時代でのルールでした。

 その歴史は、1万年前の農業革命で大転換しました。

 人類は大地を掘り起こし、農耕技術を身につけました。

 作物をつくり、貯蔵して、家族みんなで食い繋ぐという知恵を得ました。

 この知恵によって、飢え死にや病死、狩りで負うケガなど、生きていく上でのあらゆるリスクを、大幅に減らしました。

 人類は寿命が延び、文明が進み、子孫が増えていきました。

 農耕は、まさに人類の最大の救世主とも言える発明でした。

 一方で、人類は地べたに縛られる運命になりました。

 生きるのに農地を守ることが何より優先され、狩猟時代のような移動の旅はできず、一年中土地の管理に追われます。

 天候や天災にも悩まされ、不作のときには、近くの共同体と争いが起きることもあります。

 何より、所有の概念が生まれてしまいました。

 貯蔵した作物は、製造した者が「所有権」を主張し、独占しようとします。

 すなわち資源という概念の誕生です。

格差社会の始まり

 資源とは、消耗品。狩猟時代のように「なくなったら取ってくる」という理屈は通用しません。

 所有者の同意がなく、分け合ったり奪われたりすると、争いが起きます。

 所有の攻防を経て、力を持った一部の人々は、資源の獲れる土地そのものを、独占しようと考えました。

 企ては成功しました。富める者が土地を持ち、貧しい者たちは、資源生産のために下働きする、格差社会が始まりました。

 より豊かな資源を求める支配者たちは、武力を持ち、土地の収奪に臨みました。

 格差の下の人々は、時に反旗を翻し、同じく武力で富める者たちと、激しく衝突しました。

 所有を満たすために、誰も彼もが血を流す。

 極論、人類の戦争の歴史は、農耕技術の発明と共により強まっていまに至っています。

 農耕技術で、飢えるリスクが減ったのは、いいことかもしれません。

 しかし所有の概念によって、人類は土地の管理に一生を費やし、資源を巡って争い続ける未来を、強制的に選択させられたわけです。

 あえて言うなら地面の奴隷。人類は全員、土の言いなり。土にこき使われる存在となりました。哀しい事実であります。

土地の所有なんて幻想だ

 いったん頭を動かして、きちんと考えてみましょう。

 土地は、誰の物なのか? 地面からどのくらいの深さまでが自分の土地なの? 

 自分の土地をどんどん掘っていったら、地球の裏側のブラジルまで貫通して、そこには別の地主がいて、キリがありません。

 高いお金で購入したとして、本当に、あなたの所有となり得るのか?

 住宅購入を模索されている相談者の方も、考えてみてください。

 元の所有者から法的手続きを踏んで、所有する権利を購入した。だから自分のものには違いない……と、理屈では言えます。

 では、家を建てる基礎工事中、縄文時代の貝塚が発掘されたら?

 縄文時代の先住民が「ここは俺たちの約束の地だ! 返せ!」と、魂で訴えてきたとしたら、縄文人に返さないといけませんよ。だって元の所有者が、NGだというのですから。

土地なんて国からのリース品

 極端な例ではありますが、所有とは元より無意味なものです。

 どんな豪邸も広い土地も、長い目で見れば誰の物にもなりません。

 渋谷区南平台の岸信介の大豪邸は安倍晋三に受け継がれ、いまはご親族が管理されているそうです。

 お隣は統一教会始祖の文鮮明の買った土地で、都内の超一等地として知られます。とんでもない額の時価総額だと思いますが、そのぶん相続税はバカ高くなります。

 豪邸とはいえ、3代程度の相続を経て、資産価値は償却される運命にあります。そして別のお金持ちの誰かに、切り売りされるでしょう。

 政治家の豪邸だけでなく、日本全国の家の行く末は、似たり寄ったりです。

 土地の権利を持ったとしても、何十年後かには相続税を吸い取られた果てに、別の人に売られます。

 土地なんて結局、相続税で厳しく紐付けされた、国からのリース品なわけですよ。

 骨董品や美術品も、同じだと思います。「この幽霊の掛け軸は、室町時代のお宝だよ! 残っているのは、もうこれ一品だからね! あること自体、奇跡なんだよ!」と熱く語ったところで、持ち主が死んだ後、どうなるでしょう?

 子どもや孫が受け継いだとして、手に入れた本人ほどの情熱と思い入れが、あるはずもない。狭い家だと置き場所は取られるし、扱いに困ります。それに、そういった物はだいたい贋物だったりしますよ。

 仮に、本物の重要文化財クラスのお宝だったとしたら、受け継いだ方は重い資産税が課せられて困ります。まともな常識をお持ちの人だったら、「そんなに貴重な掛け軸なら社会にお返ししなくちゃ」と、美術館など専門機関を通して、国へ返還されるでしょう。

 結局、物を永代所有することは、できません。

 最終的には誰かの手に渡って行方不明になるか、国が持って行っちゃいます。

 俺はすごいお宝を持っている! というのは、小さな主観的事実に過ぎません。

 お宝を棺桶に入れて、旅立つことはできない。

 本当の意味で人間が一定期間預かっていられるのは、自分の命だけなんですよ。それもやがてはお返しするわけですが。

だから私は賃貸派

 長々と語ってしまいました。結論、家を持つのは幻想だということ。

 身もふたもないと困惑されるでしょうけれど、揺るがしがたい真実であります。

 もし「家を持つ」という錯覚、所有の幻想に、多少なりの価値を感じるというなら、頑張って家を購入する努力をするのがいいでしょう。

 皮肉ではなく、そのように選択して生きる幸せも肯定されるべきだと考えています。

家の購入派か、賃貸派か?

 誰しも、ある程度の年齢にさしかかると、一度はその論争に直面しますが、どっちでもいい。

 好きな方で、お金を工面するのが正解! それが結論であります。

 ちなみに私は断然、賃貸派です。住まいは賃貸に限ります。

 何がどうなるかわからない現代社会において、毎月の厳密な支払いが確定している数十年もの負債ローンを、自ら請け負うのですか? 金利の心配もストレスです。固定資産税もストレスです。そんなのはイヤです。

 しかも本質的に、自分の所有物にはならない! というのは、論じたとおりです。持てない物に何千万円も何億も払うのって、何が幸せでしょうか。

 人生のリスクヘッジという意味においても、家は賃貸で貫き通すのが、賢明だろうと思います。

だから私は賃貸派。のはずが……

 しかし、人とは不可解な、矛盾した生き物であります。

 私は、家を持っています。

 若い頃に、すでに購入していました。

 所有は無意味! だと説きながら、大金を投じて、私の名義の家を「持っている」わけです。

 俺は家が欲しかった! 金を用意できたから買った!

 それだけです。欲望を満たしたのです。

 読者の方は、呆れるでしょう。

 古舘はいい加減な男だ、と誹られるかもしれません。

 甘んじて、厳しい意見は受け止めます。

 言っていることと、やっていることが全然違う。

 人間とは斯様に、相反するものを内面に持ち合わせた、理解困難な存在である。その実像を、このお悩み相談の場で、私自身がさらけ出しております。

 私の情けない姿を通して、所有とは何なのか? という問いを、あなたも共に考えていただけたら嬉しく思います。

 私は所有欲の煩悩が、とても強いのです。

 だから、それとは逆のベクトルで、所有しない精神を、強く求めています。

 まったく逆方向の欲求を、意識内に持ち合わせることで、心のバランスを取ろうとしています。

 違う欲に従っている人間が2人いれば、まん中でやじろべえのように気持ちのバランスを取るのが少し楽になります。

 この辺りの所有欲との向き合い方は、私が推し活をしているお釈迦様が大変わかりやすく説いてくださっています。

 人は、本来、何も持っていないのです。

「私など、欲まみれのスケベ野郎であります!」「いつまでもモテたい!」…古舘伊知郎(71)が夜な夜な“高級美顔器”を顔に当てる切実すぎる理由〉へ続く

(古舘 伊知郎/Webオリジナル(外部転載))