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「このまま国民健康保険を払い続けるしかないのか……」都内で個人事業を営むAさんとBさんはいずれも40歳代後半で、妻と2人の子どもを養っています。売上はあっても、家族分を含めた社会保険料の負担は重く、個人事業主特有の悩みを抱えていました。そんなとき、社保削減コンサルの「理事になれば社会保険に入れる」という誘いに乗ってしまったBさん。同じ生活水準だった2人の運命を分けたこのプランの問題点について、社会保険労務士の岡佳伸氏が実例をもとに解説します。

「国民健康保険だけで年108万円超…」都内フリーランスを苦しめる“重すぎる固定費”

「このまま国民健康保険を払い続けるしかないのか……」

都内で個人事業を営むAさん、Bさんはいずれも40歳代後半。事業所得はそれぞれ800万円前後で、家族構成も同じです。妻と子ども2人の4人家族。仕事は順調でも、毎年の社会保険関係の負担には頭を抱えていました。

国民健康保険の保険料(税)は前年度の世帯所得によって決まります。市区町村ごとに国民健康保険料は変わりますが、荒川区のホームページに掲載されている試算によれば、この前提での国民健康保険料は上限額に近い年額108万4,033円、月額にすると9万337円です。

4人世帯である以上、家族分も含めた負担感は重く、「売上はあるのに、固定費が重すぎる」という個人事業主特有の悩みが色濃く出る水準でした。

しかも、家計負担は国民健康保険料だけで終わりません。妻が会社員の被扶養者ではなく、国民年金の第1号被保険者であれば、令和8年度の国民年金保険料は月額にすると1万7,920円、年額で21万5,040円かかります。

つまり、AさんもBさんも、家計全体でみれば「国保(国民健康保険)に加えて、自分と妻の国民年金も自前で払う」という状態に置かれていたのです。

「年間137万円も浮きます」社保削減コンサルの“甘い誘惑”

「国保よりかなり安くなりますよ。奥さんも第3号被保険者になるので、家計全体で有利です。一般社団法人の理事になれば、協会けんぽと厚生年金に入れます」

そんなとき、Bさんのもとに「社会保険料削減コンサル」を名乗る人物から連絡が入りました。

Bさんは勧められるがまま加入し、理事に就任します。毎月の会費は8万円で、受け取る役員報酬は4万円。最低の標準報酬月額を前提に社会保険に加入するという仕組みでした。

ここで令和8年度の保険料額表を当てはめると、40歳以上64歳以下の東京支部加入者の健康保険の最低標準報酬は月額5万8,000円で、本人負担の健康保険・介護保険料は月額3,326.3円です。また、厚生年金の最低標準報酬月額は8万8,000円で、本人負担の厚生年金保険料は月8,052円となります。

したがって、Bさん本人の社会保険料負担は、合計で月額1万1,378.3円、年額にすると約13万6,540円になります。

この数字だけを見ると、たしかに魅力的です。国民健康保険料と国民年金保険料の年額129万9073円と比べれば、見かけ上の差額は約116万2,533円です。さらに、妻が第3号被保険者になれば、妻本人の国民年金保険料年額21万5,040円も個別負担がなくなります。

家計全体でみれば、年間約137万円超も軽くなるように見える。個人事業主がこうした話に惹かれるのも無理はありません。

「会費8万円で役員報酬4万円」…見せかけの安さに隠されたカラクリ

もっとも、Bさんの実際の収支を冷静に見ると、別の姿が見えてきます。

Bさんは毎月、一般社団法人に会費8万円を支払い、一方で役員報酬4万円を受け取るに過ぎません。ここに本人負担の社会保険料1万1,378.3円を加えると、毎月の実質負担は5万1,378.3円、年額では約61万6,540円になります。

つまり、国保と妻の国民年金をそのまま負担するより軽く見える一方で、「会費を払い、報酬を受け、そのうえで最低等級の社会保険に入る」という、歪な構造のうえに成り立つ話でもあったのです。

「資格取り消しになる?」踏みとどまらせた社労士の警告

Bさんからこの話を聞いたAさんも、一瞬は心が動きました。しかしAさんは、その場で飛びつかず、知り合いの社会保険労務士に相談します。

そこで示されたのが、平成15年6月30日の社会保険審査会裁決例でした。

判例では、形式的に資格取得の手続きを整えていても、実態として「その事業所に使用される者」といえなければ、被保険者資格が否認され得るとありました。

Aさんは「安く見えても、あとで資格が取り消されるのは怖い」と感じ、加入を見送りました。

国も問題視…厚生労働省の通知で問われる「役員としての実態」

その後、事態は大きく動きます。厚生労働省は令和8年3月18日、「法人の役員である個人事業主等に係る被保険者資格の取扱いについて」とする通知を発出しました。

そこでは、社会保険料の削減をうたい、個人事業主やフリーランスを法人役員に就け、役員報酬を上回る額の会費等を支払わせる事業所の存在を正面から問題視しています。

さらに、法人役員であっても健康保険・厚生年金の被保険者となるには、法人の経営に対する参画を内容とする経常的な労務の提供があるか、その報酬が当該業務の対価として経常的に支払われているかを実態に即して総合判断するとし、役員報酬を上回る額の会費等を法人に支払っている場合は、原則として業務の対価に見合った報酬を受けているとは認められないとも明記されています。

Bさんの状況は、まさにこの問題と重なります。

Bさんは役員就任を前提に加入しているため、経営に関する決裁権や会議以外の継続的な業務など、役員としての実態が問われます。単なる勉強会への参加や情報共有程度では認められにくく、理事という肩書きだけでは資格を維持できないのです。

資格喪失の恐怖…明暗を分けたのは?

通知の発出後、一般社団法人は廃業し、資格喪失の話が広がりました。Bさんには、不安が二つありました。

一つは、理事就任時の登記簿謄本が出回ることで「社会保険料を安くするために脱法的な行為をしたのではないか」とみなされ、社会的な批判を受けるのではないかという不安です。

もう一つは、より切実でした。Bさんは、社会保険の加入資格そのものが、理事に就任した時点まで遡って否定されるのではないかと恐れたのです。そうなれば社会保険の資格を失うだけでなく、過去に遡って国民健康保険に再加入し、多額の保険料を一括で請求される可能性があります。さらに、これまでに保険証を使って受診した医療費についても全額返還を求められかねません。

通知の発表後に行き詰まる法人の姿を見て、加入を見送っていたAさんは胸をなで下ろしました。保険料が安く見えることと、その制度が正しく適法であるかは別問題だということを、Aさんは早い段階で見抜いていたのです。

【社労士が警告】「実態のない社保加入」が招く結末

結局のところ、本件の本質は明快です。役員という肩書きがあるから社会保険に入れるわけではなく、役員として加入資格を満たすだけの勤務実態があるかどうかが問われているのです。

会費が報酬を上回る、業務内容が曖昧である、加入の目的が単なる保険料の節約であるといった事情が重なれば、行政からは厳しく指導されます。平成15年の裁決例と今回の通知をあわせてみれば、「形式よりも実態」という行政・審査実務の姿勢は一貫しているといえるでしょう。

個人事業主にとって、社会保険の負担の重さは切実な問題です。しかし、「安く見える仕組み」が、将来の資格否認や遡及処理の火種になっていることもあります。

AさんとBさんの明暗をわけたのは、情報の早さでも、度胸の差でもありません。安さの裏にある制度の仕組みを冷静に確認したかどうか、その一点に尽きるのです。

岡 佳伸

社会保険労務士法人 岡佳伸事務所

特定社会保険労務士/1級ファイナンシャル・プランニング技能士